finding of a nation 109話
「……どうやら上のグラッジ・ファントム達の相手は悪霊達だけで十分なようですわね。大勢で徒党を組んだところで所詮は固有の種族も名も持たない低ランクの雑魚モンスター共。元々この館の勤勉な使用人や腕利きの傭兵として名を馳せたパラやブラマ達の相手ではありませんわ。……さて、では我々は当初の予定通りあのヴァルハラ国のプレイヤー達をここから逃げられる前に始末してしまいましょうか。本当はもっとスリリングな鬼ごっこをあの方々と楽しみたかったのですが余計な邪魔が入ってしまいましたからね」
「ふんっ、物好きなお前も遊びにふけって奴等を取り逃がすより確実に始末できる方を選んだか。悪霊達がグラッジ・ファントム達の相手に回った以上俺達だけで通路へと逃げ込んだ奴等を探し回るのは流石に骨が折れるからな」
「ええ、逃げ惑う敵を追い回す時の優越感ときたらそれはもう脳味噌が快感でとろけ落ちそうな程たまらないものですが、万が一取り逃がしてまった時はそれを上回る悔しさと屈辱を感じさせられることになりますからね。ゲームやその他の遊びというものはこちらの勝ちがほぼ決まっている状況でこそ愉快に楽しめるものなのですよ」
「なら奴等に通路に逃げ込まれる前にさっさと俺達も奴等に攻撃を仕掛けるぞ。モタモタしていると本当に奴等を取り逃がしてしまう事態にもなりかねん」
「分かっておりますわ。ではいきますわよ……はっ!」
“バッ!”
まずは上の階へと向かった悪霊達とグラッジ・ファントム達の戦いの様子を見守っていたチャッティルとワンダラだったが、数の上ででの不利があるといえど戦況がこちらが優位と見るや否やこの場から撤退しようとしている馬子達に向けて攻撃を仕掛けていった。ワンダラが先頭になって一気にその距離を詰めていったが足止め役のナイト達の反応は間に合うのだろうか。
「……っ!、しまったっ!。こちらがごたついている間に奴等に先手を取られてしまったかっ!。早く俺達も奴等を迎え撃つぞ、塵童っ!」
「ああっ!」
「私達も二人の援護に回るわよ、アーソっ!。私は塵童に付くからあなたはナイトをお願いっ!」
「了解しました、マスター」
「お前達も早く行けっ!。一度通路に逃げ込んでしまえば仮に俺達が突破されてもそう簡単にお前達を見つけ出すことはできないはずだ」
「分かったっ!、行くぞ、皆っ!」
「それじゃあ上手く脱出しろよ……お前達。……はあっ!」
“バッ!”
こちらに攻撃を仕掛けようと一気に迫って来たチャッティル達に対しナイト達もすぐさま迎撃に向かった。残りのメンバーも己武士田の先導で通路へと向かい脱出を開始したようだ。だが馬子に手を引かれながらもリリスはまだ事務室のグラッジ・シャドウを置いて行くことに踏ん切りがつかない様子で中々足が進まずにいた。そしてついには馬子の手を振り切りってしまい……。
「やはり私には事務室のグラッジ・シャドウさんを置いて行くことなどできませんわ。私もナイトさん達と一緒にこの場に残って戦います。私のことは構わずに馬子さんは早く皆と一緒にここを離れてくださいっ!」
“グオッ!”
「えっ……ええぇぇっ!、今更何を言うとるじゃぇ、リリスっ!。そんなこと言われても私もあんたを置いてなんて逃げられへんよっ!。早く私等も行かんと他の皆も心配して引き返して来てまうじゃろうし気持ちは分かるけどここはグッと堪えて皆と一緒に脱出してぇぇっ!」
“グオォ……”
なんとこの土壇場にきてリリスは自分もこの場に残るとまで言い出してしまった。余程グラッジ・シャドウ達を残して行くことに抵抗があるようだが、馬子の言う通り急に予定外の行動を取られてしまっては他の者達もリリスのことを気に掛けないわけにはいかず撤退に支障をきたしてしまう。そしてチャッティルとワンダラの迎撃に向かったナイト達も戦闘の最中でありながらいつまでも撤退する様子のないリリスことが気になりつい後ろに目をやってしまうのだったが……。
“カァンッ……キィィーーーンッ!”
「くっ……、リリスの奴はまだ撤退していないのか……。いつまでもグズグズしているとこいつ等との戦闘に巻き込まれて抜け出せなくなってしまうぞ」
「ふっ……この私を相手に余所見をしている余裕などあると思っているのですか。……かあぁっ!」
「……っ!、危ないっ!、ナイトさんっ!」
「……っ!、何っ!」
「くっ……、サンド・シールドっ!」
“バアァァァンッ!”
先程ゲイルドリヴル達と戦闘を行っていた時はワンダラに前衛を任せて後方から魔法を撃ってばかりのチャッティルだったが、ワンダラ程ではないにせよある程度は近接戦闘はこなせる様子で、元々鋭く尖っていた手の指の爪を鋭利な刃物となるように長く伸ばしナイトの剣と激しく斬り合っていた。とはいえやはり近接戦闘では若干ナイトの方が押し気味ではあったのが、ナイトが後ろにいるリリスを横目に気に掛けたほんの一瞬の隙を突きチャッティルは右手に火属性の魔力を集め一気にそれをナイトに向かって放出した。どうやら炎熱波という炎の熱を帯びた魔力を相手に向かって放つ、ほとんど詠唱が要らずに発動できる魔法のようだ。このような近接戦闘中でも有効に発動できる魔法は実用性が高い分扱いが難しいはずなのだが、チャッティルの放った炎熱波
はかなりの威力と精度を誇っておりやはり攻撃魔法に関してはかなり精通しているであろうことが窺える。隙を突かれたナイトはそのチャッティルの炎熱波の直撃を受けてしまいそうだったのだが、サポートに付いていたアーソがすぐさま反応しナイトの前でサンド・シールドという砂の防御壁を作り出す土属性の魔法を発動させチャッティルの炎熱波を防いだ。しかしアーソのサンド・シールドに防がれつつもチャッティルの炎熱波はまだ掻き消されてはおらず、チャッティルは炎熱波を放っている右手に更に魔力を集中させ重ねて魔法を放つようにその威力を増大させた。アーソの魔力とサンド・シールドの魔法の性能では威力の増大した炎熱波を防ぎ切ることはできず、そのままシールドは破られアーソは守っていたナイト共に炎熱波の直撃を受け後方へと吹き飛ばされてしまうのであった。
「きゃあぁぁぁぁーーーっ!」
「ぐあぁぁぁぁぁーーーっ!」
「……っ!、ナイトっ!、アーソっ!」
「ふっ、今やられた仲間のことが心配か。だが余所見をしている余裕がないのはお前達も同じだぞ。……はあっ!」
「……っ!」
「下がってっ!、塵童っ!。……ノーム・クラフトっ!、マカライト・バレットっ!」
“シュイィィィーーーンッ!”
「……っ!、ちっ……!」
チャッティルの炎熱波に吹き飛ばれたナイト達を見て塵童もそちらに気がいってしまったのだが、塵童の相手をしていたワンダラもチャッティルと同じようにその一瞬の隙を突いてマテリアライズ・ウェポンを振り被り攻撃を仕掛けて来た。だがこれもまたアーソと同じようにサポートに付いていたレナが“ノーム・クラフト”という魔法の一種である“マカライト・バレット”をワンダラに向けて放ち、塵童への攻撃を未然に防いだ。ノーム・クラフトとは土の精霊として有名なノームの作り出した細工品、マカライト・バレットはそのノームがマカライトの鉱石を用いて制作した弾丸のことを意味し、その弾丸を敵に向けて撃ち放つ魔法のことだ。このノーム・クラフトには鉱石や樹木等他の素材を用いた物も数多く存在するのだが、リアは逸早くワンダラの攻撃を牽制する為に詠唱に掛かる時間が短く弾速の速いマカライト・バレットを選択したようだ。だが当然牽制の為の放たれた魔法等はワンダラに命中することなく躱されてしまい、今の攻撃を防ぐことはできてもとてもナイト達の元に駆け付ける余裕はなかった。今の塵童とレナにはワンダラを食い止めておくだけで精一杯だろう。
「ナ、ナイトォォっ!」
「ぐっ……」
「あわわわわわっ……!、やっぱり私等がモタモタしてるせいでナイト達の気が散って敵にやられてしもたけぇっ!。塵童とレナはなんとか大丈夫みたいじゃけどもう一人の奴の相手をするので手一杯みたいじゃしこのままじゃ……」
「ふはははははっ!、この私を相手に余所見などしているからそのような目に合うのですよ。一体に何に気を取られたか知りませんがこのまま一気に止めを刺して差し上げ……っと、おや?」
「………」
「あら……、てっきりこの者達が囮になっている間に他の者達が逃げ出す算段と思っておりましたが、何故か未だに逃げ出す様子もなくグズグズとこの場に留まっている愚か者が二人もおりますわ。どうやらあの方々に気を取られて余所見をしてしまったようですわね。ふふっ、そういうことならば折角なので逃げ遅れた方々の方から血祭りにして差し上げましょう。その方があの黒猫さん方も憂い事から解放されて存分に我々と戦うことができるでしょうしね。全く私ったらなんと慈悲深い心の持ち主なのでしょうか。おーほっほっほっほっ!。……はあっ!」
“バッ!”
炎熱波でナイト達をフロアの壁に叩き付けるまで吹き飛ばしたチャッティルだったが、そのままナイト達の止めを刺すに向かうと思いきや未だに逃げ出すことなくこの場に留まっている馬子とリリスの姿の目に入り標的をそちらへと移してしまった。これまでの戦闘で馬子達の実力はナイトや塵童には及ばず前衛職に就いていないことも承知していた為、何の警戒もせずともそのまま攻撃を仕掛けてしまえば通路に逃げ込まれる前にすんなり二人を倒せるチャンスだと考えたのだろう。事実今の馬子達にとってチャッティルはとても正面切って戦える相手ではなく、二人にとってはまさに最悪自体となってしまった。
「くっ……これは考えてた中でも一番最悪のケースになってしもたけぇ……」
「ごめんなさい……馬子さん。私が急に我儘を言い出したせいでこのようなことに……」
「もうええよ……。私もなんだかんだでこのグラッジ・シャドウ達のこと好きじゃったからあんたの気持ちも分からんわけじゃないけぇね。今からじゃあもう逃げ出すこともできへんしこうなったら覚悟を決めて私等も戦うよっ!」
「馬子さん……分かりましたわっ!」
「それじゃあ私が前衛になってあいつに立ち向かうからリリスは後ろから援護をお願いね。……てやぁぁぁっ!」
もう逃げ場はないと覚悟を決めた馬子はリリスに後衛からの援護を任せて自ら迫り来るチャッティルへと向かって行った。この状況で今更無理にでもこの場から逃げようとしてはチャッティルも通路へと連れて行ってしまうことになる為余計に他のメンバーに迷惑が掛かるとも考えたのだろう。恐らく二人が来ていないことに気付けば他のメンバー達もこの場に引き返して来るだろうが、狭い通路で追われながらチャッティルを迎撃することになればそれこそメンバーが全滅してしまう事態になり兼ねない。馬子がチャッティルの元へと向かう最中、そのようなことには絶対にさせないという馬子の強い願いと祈りの込められた錫杖の先端からはその願いと祈りが力となって溢れ出るように白く眩い光が発せられていた。
「はあぁぁぁぁぁっ!、……祈祷撃っ!」
「ふっ!、いくら力を込めようとも前衛職でもない者のそのような攻撃がこの私に通用すると思っているのですかっ!。あなたも先程のデビル・キャット達のように壁へと叩き付けて差し上げますっ!。……はあっ!」
“バアァァァンッ!”
「……っ!、きゃあぁぁぁぁーーーっ!」
「ま、馬子さんっ!」
口では相手を見くびったことを言いながらも冷静さを保ったチャッティルは馬子の祈祷撃が自身へと届く前に再び炎熱波の魔法を放ち馬子をナイト達とは通路を挟んで反対側となる壁と叩き付けた。攻撃を受けた馬子のHPはなんとか0にはならずいたようだがそれでもシールドを張っていたナイト達とは比べ物にならないダメージを受けほぼ瀕死に近い状態にまで陥ってしまっていた。そしてナイト共々壁に叩き付けられた衝撃ですぐには動くことはできず、チャッティルの目の前にはまるで無防備な様子で立ち尽くすしかないリリスの姿があったのだった。
「ちっ……、どうやら一撃で仕留めることはできなかったようですわね。元々威力はそこまで高くないとはいえ私としたことがあの程度の敵を相手になんと情けないことです」
「……っ!、い、今の声はもしかして馬子の……っ!。……皆っ!、さっきから馬子……、それにリリスの姿も見当たらないわっ!。どうやら二人共まだ奴等のところから逃げてないみたいっ!」
「なにっ!。くっ……ではさっきの声はやはり馬子のものかっ!。一体あいつ等は何をやっているっ!。……急いで引き返すぞ、皆っ!」
“ダダダダダダッ!”
「ええぇぇーーーっ!、そんなことしたらもう確実にこのダンジョンから逃げ出せなくなっちゃうじゃないですかぁっ!。戻ったところで私達もやられちゃうだ……って待ってくださいよっ!。私も馬子さん達のところに戻りますから一人で置いて行かないでくださぁーーいっ!」
壁へと叩き付けられた馬子の叫び声を聞いてマイはその場に馬子、そしてリリスの姿が見当たらないことに気が付いた。慌てて皆を呼び止め、己武士田の先導の元皆と共に再び先程いたフロアへと引き返して行った。チャッティル達が待ち受けていることは勿論、今ここで引き返せばほぼ確実といっていい程このダンジョンからの撤退が不可能になってしまうことも承知の上でのことだ。だが
己武士田やマイ達にこのまま馬子とリリスを置いて逃げ出すという選択肢はなく、自分第一主義のアメリーも一人になるのが怖かったのか渋々己武士田達の後を追って行った。皆この時すでに先程の馬子と同じようにこうなればナイトやグラッジ・シャドウ達と共に最後まで戦い抜くしかないと覚悟を決めていたようだ。一度敵に背を向けておきながら再びのチャッティル達の戦闘となるわけだが果たして……。
「私の我儘のせいで馬子さんまで酷い目に……。でもごめんなさい……、私どうしてもこの館で初めて会った私達に親身に接してくれた事務室のグラッジ・シャドウさん達を置いて行くことができなかったのです……。どうか他の方々はこんな愚かな私のことなど置いて無事この館から脱出していてください……」
“グオォ……”
「ふっ、どうやらあの霊術士のプレイヤーのお方はまるで抵抗する様子がないようですわね。あまりに絶望的な状況にとうとう全てを諦めてしまいましたか。いいでしょう、ならばこの私が今すぐその絶望から解き放って差し上げますわ。今度は確実に息の根を止められるよう私の爪で喉元を掻っ切ってねぇっ!。……はあっ!」
“バッ!”
その場に立ち尽くしたまま動く気配のないリリスの姿を見たチャッティルはここぞとばかりに止めを刺そうと自身の鋭利な爪を突き立てリリスへと差し迫って行った。そんな迫り来るチャッティルの姿を目前にしてもリリスはまるで抵抗する様子もなく、どうやら自分の我儘のせいで馬子を危険な目に合わせてしまったことへの後悔とショックで完全に戦意を喪失してしまっていたようだ。このままではただチャッティルにやられてしまうのを待つだけだが……。
「………」
「死ねぇぇぇーーっ!」
“グオォォッ!”
“バッ!”
「……っ!、いけないっ!。事務室のグラッジ・シャドウさんっ!」
迫りくるチャッティル対しに何も動きを見せる様子のないリリスだったが、そんなリリスを守ろうと事務室のグラッジ・シャドウがチャッティルの前に立ちはだかった。どうやらリリス以上にグラッジ・シャドウ達の側もリリスや馬子達に対して好意を抱いているようだ。だがそんな思いとは裏腹に低ランクのゴースト系モンスターである事務室のグラッジ・シャドウがこのエリアのボスであるチャッティルに敵うはずもなく、先程まで無言のまま立ち尽くしたままだったリリスだがそんな事務室のグラッジ・シャドウの姿を見て慌ててその名を叫んでいた。だが無慈悲にもチャッティルの爪はリリスを庇って目の前に姿を現した事務室のグラッジ・シャドウに向けて振り下ろされ……。
「はんっ!、最底辺の雑魚モンスターの分際でこの私の前に立ちはだかるとは良い度胸ですわっ!。操られているわけでもないのにプレイヤーの味方をする魔物など存在そのものが目障り……、そんなにその女のプレイヤーの為に死にたいというのならすぐにその願いを叶えて差し上げますっ!。……シャァーーーッ!」
“グッ……グオォォォォッ!”
「……っ!、グ……グラッジ・シャドウさぁぁーーんっ!」
“グオォォ……”
どれだけリリスのことを思う気持ちが強かろうとやはりチャッティルとの実力さは埋めようがなく、リリスを守ろうと勇敢に立ち向かったにも関わらず事務室のグラッジ・シャドウは瞬く間に獣が敵を攻撃する時のように鋭く振り下ろされたチャッティルの爪によってその身を引き裂かれてしまった。事務室のグラッジ・シャドウの体にはそのチャッティルの右手の指の5本の爪痕のエフェクトが刻み込まれ、その爪痕に沿って体が引き千切れるように分断されていきその場から消滅しようとしていた。消えゆく事務室のグラッジ・シャドウの体を掴もうと必死に手を伸ばしたリリスであったが、その体に触れてもすでに事務室のグラッジ・シャドウがその場にいるという実感がなく、ナイトにアーソ、それに馬子まで倒れ絶望に包まれるフロアにリリスの悲しみに満ちた叫び声が響き渡っていた。
「……事務室……の……グラッジ……シャドウさん……」
「ふんっ……やはり所詮は雑魚モンスター。この私に何の抵抗も出来ずにやられてしまいましたわね。まぁ、それはこのグラッジ・シャドウが慕っていたそこにいる霊術士のプレイヤーさん達も同じことでしょうがね。おほほほほほっ!」
「……ああ……あああああ……」
「ほほほっ!、そんなに悲しまずともあなたもすぐにあの愚か者のグラッジ・シャドウの後の追わせて差し上げますわ。何故本来なら敵であるはずのプレイヤーであるあなたをあれ程慕っていたのかは分からず終いでしたが……」
「ああああああっ……!」
「うるさいですわね……。焦らずともすぐにお友達の元に送ってあげると言っているでしょうっ!。……死ねぇぇぇぇっ!」
「リ、リリスゥゥーーッ!」
「あああああああぁぁぁぁぁぁっ!」
“パアァァァァァーーーーンっ!”
「……っ!、な、なんですのっ!」
「リ……リリスゥっ!」
目の前で事務室のグラッジ・シャドウを惨殺されたリリスはショックのあまり言葉を失ってしまい、動物の呻き声のように低く野太い、それでいて小さく悲しみのこもった泣き声のようなものを上げていた。だがそのリリスの声はまるで不安定で段々と制御ができなくなっていくかのように大きいものになっていき、耳障りに感じたチャッティルは爪を大きく振り上げ先程の事務室のグラッジ・シャドウと同じようにリリスの体を引き裂こうとした。しかしその直前、突如としてリリスは何かがはち切れたかのように今度は電動のカッターで金属を切断しているような馬鹿に大きく甲高い声で叫び声を上げ始めた。その音量と迫力はリリスに止めを刺そうとしたチャッティルの手を止めてしまう程激しいもので、チャッティルだけでなく近くにいた馬子やナイト、少し離れた場所でワンダラと塵童、それに上の階で戦っている悪霊とグラッジ・ファントム達、更には通路からこちらへと引き返して来ているマイ達をも驚かせてしまっていた。それだけではなく叫び声を上げ続けるリリスの体からは、事務室のグラッジ・シャドウとの初対面の時に使用したスピリット・オーラによって発生したものと同じ霊体のエネルギーがこのフロア中の全ての空間を包み込んでしまう程激しく溢れ出ていた。そして間もなくしてこちらへと引き返していたマイ達もリリス達の元へと辿り着いたのだが、そこにはリリスの霊体エネルギーによってフロア中の空間が青白く染められた凄まじい光景が広がっていた。
“ダダダダダダッ……”
「……っ!、な、なんなの……これっ!。馬子に続いてリリス……、その後も多分リリスのものなんだろうけどちょっと異常としか言いようがない叫び声が聞こえて来たと思ったらさっきまでいたフロア中に青白い霧……いえ、どちらかといえばこれは何かエネルギーの感じられるオーラのようなものが充満している……。一体少しの間私達がここを離れていた間にナイトや馬子達の身に何があったって言うのっ!」
「分からん……だが幸い視界の方はそれ程遮られてはいない。今はナイトや馬子達の安否を確認するのが優先だ」
「リリスさんならすぐ目の前であのチャッティルとかいう奴と対峙してるじゃないですか。あっちでは塵童さんとレナさんがワンダラとかいう奴と一緒にいます。……でもなんだか皆動きが止まってて戦ってる感じがしないですね」
「それは上にいるグラッジ・ファントム達と悪霊達も同じことだ。もしや奴等にとってもこの青白いオーラは想定外のことだったのか……」
「……っ!、己武士田さんっ!。あそこに馬子さんが倒れてらっしゃいますわっ!。どうやら酷いダメージを負ってらっしゃるご様子ですっ!」
「何っ!」
「こっちにはナイトとアーソがいるわっ!。馬子の程ダメージは受けていないみたいだけどあいつ等の攻撃で手痛い目に合されたみたいっ!」
「よしっ!、ならイヤシンスは馬子を、マイはナイトとアーソの回復にそれぞれ当たってくれ。俺はリリスの援護に向かいここで何が合ったのかを問い質してくる。アメリーとドラリスはここで回復が済むまで皆の護衛だ」
「分かりましたわっ!」
通路を入ってすぐの左右の両側で倒れているナイトとアーソ、馬子を発見した己武士田はすぐさまイヤシンスとマイに3人の回復の指示を出し、自身は正面でこちらに背を向けてチャッティルと相対しているリリスの元へと向かって行った。だがこの時リリスの体はこのフロアを覆うもの以上の凄まじいオーラを纏っており、その只ならぬ雰囲気を感じ取った己武士田はどことなくこのフロアの異変はリリスによるものなのではないかと察知していた。ならば直接本人に問い質そうとリリスの肩に手を向けたのだが……。
「おいリリスっ!、一体この青白いオーラは何な……」
“スッ……”
「……っ!、な、何……っ!」
こちらに振り向かせようとリリスの肩に手を掛けようとした己武士田だったが、なんとこの手はリリスの肩に掛けられることなくそのままリリスの体を貫通し自身の元へと返って来てしまった。己武士田その返って来た掌を瞳が白目の半分になってしまうほど見開いた目で見つめ驚きと困惑、そして動揺を隠せない様子だった。己武士田再び今度はリリスの身に起きたことについて問い質そうとしたのだったが……。
「リ、リリス……これは一体どういうことだ……。まさかこれは霊術士であるお前の特殊能力によるものなのか……」
“がっ……がああ……っ!”
「……っ!、リ、リリス……っ!」
己武士田の問いかけに反応したからなのかどうかは分からないが、リリスはゆっくりと己武士田の方へと振り向きながらその顔と視線を向けた。だがそのリリスの視線と目を合わせた直後己武士田の目に入って来たのは、先程までのリリスとは異様な変貌を遂げてしまったリリスの姿だった。その姿は体の輪郭こそ元々のリリスのようであったものの、目と耳以外の顔のパーツはまるで“のっぺらぼう”にでもなったかのように綺麗に剥がれ落ち、残された目も眼球の中に瞳はなくその全てが真っ赤に染め上がり己武士田の方を見つめていた。更に先程己武士田の手をすり抜けてしまったが、リリスの体は全体的にどことなく透き通っているように感じられ、足元を見てみるとドレスのスカート部からリリスのものと思われる脚部は見えず体のどの部分も地面に付いていない状態で完全に宙に浮いており、まるでこの館の悪霊達のようにリリスの体は完全に幽体化してしまっているようだった。己武士田は霊術士であるリリスの能力の一つではないかとも考えたようだが、それにしても目の前にいるリリスから感じられる気配はこれまでものとはまるで別人になってしまったようだった。
“がああああっ……”
「くそっ!、一体リリスの身に何が起きたというんだっ!。言葉どころか理性すらも失っているようだが俺達のことはちゃんと分かっているのかっ!」
「こ、これはまさか“霊神化”の魔法……。一時的に肉体を捨て自らの魂を神仏に等しいもの、乃ち“霊神”へと昇華させる霊術士系統の最上級魔法ですわっ!。霊術士だけでなく祈祷師や上級の職である霊能士や陰陽師、更に聖職者や神官等まで霊や神仏に関わるあらゆる職業を極めた者のみが転職できる“霊神士”の職に就いた者のみが使用できるはずなのにどうしてまだ高々初期の霊術士の職を経ただけの彼女がこのような魔法を……」
「霊神だと……」
先程までリリスと対峙していたチャッティルだったが、急変したリリスの姿に動揺するどころか恐怖すら感じている様子で、己武士田が援護に現れたというのに何の行動も起こすことはなく、ただリリスに身に起きたことについての考察のようなものを身を震わせながら口走っていた。それによると今のリリスには霊神化という最上級クラスの魔法の効果が発動している状態となっているようだが、これもチャッティルの考察の通り今の現段階のリリスに扱うことのできる魔法ではなかった。では何故そのような魔法を発動することができたのかとチャッティルの話を聞いた己武士田も疑問に思っていたのだが、そのようなことを考えている間にリリスは皆の予想を上回る更なる行動を取ろうとするのだった。
“がっ……がああっ……あああああああぁぁぁぁぁぁっ!”
「……っ!、こ、今度は何だ……っ!」
豹変してしまったリリスについて己武士田考えている間もなく、リリスは先程と同じように激しい金切声のような叫び声を上げ、それと同時にこれまで以上に凄まじいオーラを周囲に放出し始めた。そのオーラと共に周囲には強い突風が吹き荒れたものの、すぐ近くにいた己武士田とチャッティル、それに塵童やマイ達、ワンダラには何の影響もなかったのだが、何故かそのオーラはこのフロアにいるチャッティル達の部下である悪霊達へのみ纏わりつくようにそれぞれの周囲を取り囲んでいった。そしてその取り囲まれたオーラから何かしらの影響を受けたのか悪霊達は急に頭を抱えて苦しみ始め、それに耐え兼ねて叫び声を上げ始めたと思うと段々とその姿、主に顔の面のみだが鼻や口が綺麗に剥がれ落ちたようになくなっていき、目のみが激しく充血したように真っ赤に染め上がりリリスと全く同じと言えるような姿へと変貌していった。その変貌を遂げた悪霊達はこれもリリスと同じように先程まであった人格と呼べるものを完全に失い、無言のまままるで風船にでもなってしまったかのように体を動かすこともなくゆっくりと宙を漂っていた。少し変な話ではあるが悪霊であるにも関わらずまるでリリスから発せられたオーラに憑依でもされてしまったかのようであった。
「ど、どういうことだ……。急に上にいた悪霊達の動きが止まってしまったぞ……。それだけではなくリリスと同じように自我までも失ってしまったように虚ろな状態になって宙を漂っている……。やはりこれもリリスの発動させた魔法の効果なのか……」
「ま、間違いない……今のはスピリット・ルーラーの魔法に間違いありませんわ……っ!。霊神化に続いてなんと恐ろしい魔法を……」
「くっ……今度はスピリット・ルーラーだと……。もう俺には何が起きているのか見当が付かないが一体どのような効果を持った魔法なんだ……」
チャッティルの口にしたの魔法のスピリット・ルーラーとは霊を統べる者という意味で、周囲にいる全ての霊体モンスターを自身の支配下に置くことのできる霊神化と同じく霊術士系等の最高クラスに位置にする魔法のことである。自身のレベルと相手のモンスターのランクによっては効果の及ばないこともあるようだが、どうやらこのフロアにいた悪霊達は全てリリスの放ったスピリット・ルーラーの影響下に置かれてしまっていたようだ。つまりは元々はチャッティルの配下であり馬子達の敵であったブラやパラマ達は今は全員味方……、正確にはリリスの配下になっていることのはずだが果たして……。
“あああああああぁぁぁぁぁぁっ!”
「くっ……先程から一体これはどうなっている。全てあの異様な叫び声を上げている小娘の仕業なのか……チャッティルっ!」
悪霊達の異常な様子を見たワンダラも動揺を隠し切れない様子で、目の前の塵童達を無視してチャッティルの元に何が起きているのかを問い質しに行った。ただこのフロア内で起きている現象に気を取られているのは塵童達も同じで特にワンダラの後を追って攻撃を仕掛けるようなことはしなかったようだ。
「おいっ!、チャッティルっ!。これは一体どういうことだっ!。何故急に悪霊共の動きが止まったっ!」
「あ……あの娘……、あの娘があのような魔法を使ったからですわ……。私は何も悪くありません……。私はただあのグラッジ・シャドウに止めを刺しただけですわっ!。なのに何故このようなことに……うわぁぁぁーーーーっ!」
「落ち着けっ!。別に誰もお前を責めてなどいないっ!。それであのような魔法とは一体どの魔法のことだっ!」
「スピリット・ルーラー……ですわ」
「なっ……スピリット・ルーラーだとぉぉっ!」
チャッティルからリリスの発動させた魔法の名を聞いたワンダラはこれまでとは比べ物にならない程の驚きようを見せていた。このチャッティルとワンダラの反応を見る限り、スピリット・ルーラーの魔法はこのエリアのボスである彼等でさえ対応不能な程強力な効果を秘めているようだ。そしていつの間にか周囲にはリリスの配下となった悪霊達がそんないつまでも驚いたままの二人を取り囲むように集まって来ており……。
“グオオォォッ……”
「……っ!、チャッティルっ!」
「……っ!、あ、あれはパラにブラマ……、それにオルトーや他の者達まで……。皆先程まで我々の忠実な僕であったはずなのにあのような冷たい目で見下ろすようになって……」
「くっ……スピリット・ルーラーの魔法には配下にした霊共のステータスを大幅に増幅させる効果も秘められている……。もはやあいつ等一人一人が俺達と同等……それ以上の力を持っている可能性させある。このままでは俺達は……」
「もう彼女等にやられるのを待つしかありませんわ……」
“あああああああぁぁぁぁぁぁっ!”
“バリッ……バリバリバリィッ……”
「……っ!、こ、この魔法は……っ!」
チャッティルとワンダラを取り囲んだ悪霊達はリリスの叫び声と共に両手を二人、そしてリリスに向けて前に構え何やら凄まじい魔力を放出し始めた。すると悪霊達が取り囲んだ空間にバチバチッっと放電現象のようなものが起こり始め、それはリリスと悪霊達の魔力が強まるにつれより激しいものへとなっていた。どうやら悪霊達の手から放たれる放電はリリスの元へ集まっているようだが、放電を受けているリリスには何の影響もなく、まるで放電により繋がった互いの魔力が相互反応でもしているかのように高まっていっていた。そして最終的にはリリスの魔力を核とした巨大なプラズマボールのようなものをその場に作り出し、その中には今にも電気による爆発でも起こりそう程凄まじい放電が嵐のように飛び交っていた。チャッティルとワンダラ、それに近くにいた己武士田はそのプラズマボールの中にでも放り込まれたように放電の嵐の真っ只中にいたのだったが……。
「こ、これはなんだか相当ヤバい感じがするぜ……。リリスのことは気になるが今は逸早くこの場を離れた方が良さそうだ」
“ダダダダダダッ……”
「……っ!、ちっ……!。こうしてはいられない……。俺達も早くここから退避しなけ……」
“バリバリバリィッ!”
「……っ!、な、なんだ……っ!」
「無駄ですわ……。どうやら我々をこのプラズマの中からは一歩たりとも出すつもりはないようです……」
「くそぉっ!」
周囲に巻き起こる放電の嵐にこれは只事ではないと判断した己武士田は霊神化の魔法による影響か自我までもなくしてしまった様子のリリスを置いてその場から退避した。その己武士田の行動を見てワンダラもすぐこの場を離れようとしたのだが、ワンダラが片足を上げた瞬間、瞬時にその向かおうとした方向に激しい放電がほとばしり行く手を遮ってしまった。勿論これはこの放電現象を発生させている張本人であるリリスの意志によるもので、どうやら今発動させようとしてるこのプラズマのような魔法の威力が最大に達するまでチャッティル達をここから出すつもりはないようだった。そしてそんな霊神化したリリスの強大な魔力を前にチャッティルが完全に意気の消失してしまった表情を浮かべ絶望と諦めの言葉を口にする最中、とうとうこのプラズマの魔法に込められた魔力が頂点に達し、リリスはこれまで以上に激しく甲高い大声の叫び声を上げ悪霊達と共に一気に魔力を解放し魔法を発動させた。すると今までほとばしっていた放電のようなものは段々とその線が太くなっていき、他の放電との間の間隔がどんどんと狭まっていき最後には中の空間を埋め尽くしてしまいプラズマボールのようなものであったものは巨大な光球へと変わってしまった。それはまさに光の爆弾とでも言うような壮大な光景で、周りでその様子を見ていた馬子やナイト達も心の中で皆同じ感想を浮かべる中、突如としてその光球から溢れるように周囲に閃光が放たれ始めそのまま一気に膨張してその光でフロア中を包み込んだ。しかし光のようになったとはいってもその性質はあの凄まじい放電であったものと変わってはいない……。光球の中心にいたチャッティルとワンダラは肉体全てを光の放電に包まれると同時にそれに撃たれ、激しい断末魔を上げると共にその肉体を焼き焦がされその場から消滅してしまうのであった。
「あ……ああ……うあああああああぁぁぁぁぁぁっ!」
「くっ……くそおおおぉぉぉぉぉーーーーーっ!」
“………”
この凄まじい光の雷撃を起こす魔法はスピリット・エクス・スパーク……、霊術士系の職を極めた者のみが使用できる周囲にいる複数の霊体エネルギーを持つ者達と協力して放つ霊術士系統の中でも最高クラスの威力を誇る魔法だ。今回リリスはスピリット・ルーラーによって支配下に置いた悪霊達と共に放ったようだが、十体近くの者達の霊体エネルギーを駆使したとはいえ、目の前でその光景を目の当たりにした馬子達でさえもわかには信じられない程の破壊力を誇っていた。その後そのスピリット・エクス・スパークの放電は段々と収まっていき、発生した光が消えると共にこの魔法を放った張本人であるリリスと悪霊達が姿を現した。だが今だにリリスは自我を失ったままの様子で、項垂れた姿勢で虚ろな赤い目の視線をジッと地面に向けてその場でたたずんでいた。そして先程までの激しい魔法の光景から一気に静寂に包まれた空間の雰囲気に呑まれた馬子達も何の言葉も発することができず、ただその未だに目の前で事務室のグラッジ・シャドウを失った悲しみを背中に背負ったままのようなリリスの姿を見守っていることしかできなかった。




