finding of a nation 106話
“ウィ〜ン……バッ”
「ふぅ……、全くゲームの中で拷問されるなんてたまったもんじゃないわ。まぁ、実際に拷問されたのは私ではなかったけど……。あの子もたかがこんなゲーム如きに熱くなってないで早くログアウトしちゃえばいいのに……ってあら?」
ナギ達が拷問紳士との死闘を繰り広げている頃、ゲームからログアウトすることを選択したバジニールの意識は無事“finding of a nation”のゲームの外の空間へと来ていた。あの悍ましさを感じずにはいられなかった拷問の光景から解放され“ホッ……”と安堵の溜め息を吐くバジニールだったのだが、ふと周りを見渡すと何か違和感があることに気が付いた。本来なら“finding of a nation”のゲームの世界からログアウトする際は、まずログイン時にも訪れることになるまだ“finding of a nation”のゲームの世界の中ではあるものの、時間の流れが現実の世界のものへと戻った一面に灰色の風景が無限に広がる待機空間へと訪れることになるのだが、その場所の周りの風景こそいつも訪れている待機空間となんら変わりはなかったのものの何故か周りにはバジニール以外のプレイヤーの姿がまるで見当たらなかった。待機空間も12の国ごとに区切りされているとはいえこのゲームに参加しているプレイヤーの数はナギ達の国だけでも3万人を超える。各プレイヤーがログイン、ログアウトする時間にそれなりの偏りはあるだろうが流石にこの待機空間にいるプレイヤーが一人だけになることなど考えにくい。そんな状況に戸惑いながらも取り敢えずバジニールはこの待機空間から現実世界の自分の意識へと戻る為ゲーム内の操作を終えようとしたのだが……。
「……まぁ、いいわ。どうせもう二度とプレイすることのないゲームのことなんて気にしても仕方ないしとっとと現実の自分へと戻っちゃいましょ。多分まだ向こうは夜中の0時も回ってないくらいでしょうし、気晴らしに散歩がてらコンビニに夜食でも買いに行きましょうか。そしておでんとビールで一杯やって、今夜はVRDベットも使わずに久しぶりに現実世界の空気を感じながらゆっくり眠りに就きましょっと。もう冒険だの戦闘だのに疲れちゃったしずっと海の真ん中を大空を見上げながら漂ってるような穏やかな夢が見れるといいんだけど……」
“ピッ……”
「……あら?。どうしたのかしら……、ちゃんとダイブアウトの操作をしたはずなのに何の反応もないわ。まさかゲームの動作不良でこのままVR空間に取り残されるなんてことは……」
“………”
「やっぱりどれだけ待ってもダイブアウトできる気配がない……。もしかしたらまだゲーム内の空間いるのが原因なのかしら。でもいつもならこれで直接現実世界へと帰れてるはずなんだけど……。取り敢えずは先にこのゲームからログアウトしてそれからもう一度ダイブアウトできるか試してみるしかないか。それで駄目なら面倒だけどVR管理センターに問い合わせ……」
「……バジニール」
「……っ!、い、今の声は……」
VR空間から現実世界の自分へと帰還する為の操作をダイブアウト、反対に現実世界からVR空間へと意識を転移させる操作をダイブインという。特定のゲームのVR空間から直接ダイブアウトの操作を行えば自動的にそのゲームからもログアウトしたことになるのだが、確かにそのダイブアウトの操作を行ったはずのバジニールの意識は操作を終えてから数分たった今も“finding of a nation”の待機空間に留まったままだった。本来なら操作を終えた後1秒どころか10分の1秒も経たない内に一瞬にして現実世界の意識へと戻っているはずだというのに……。予想外の事態に若干の途惑いを感じつつもバジニールはなんとか冷静さを保ちダイブアウトする方法を模索しようとしたのだが、そんな時先程まで周りに誰もいなかったはずなのに突如として背後から自分に呼び掛ける女性の声が聞こえた。咄嗟に後ろを振り向いて背後を確認するバジニールだったが、そこにはダイブアウトが実行できないことよりも更にバジニールを動揺させる人物の姿のあったのだった。
「か……母さんっ!」
「………」
自身の背後から声を掛けてきた人物の姿を確認したバジニールだったが、その姿を見てバジニールから出て来た言葉によるとなんとその人物は自身の母親のようだった。かなり予想外だったのかその母親の姿を見たバジニールは思わず顔を引き攣らせる程の驚きと動揺を隠せずにいたようだが、この空間にいるということは当然そのバジニールの母親と思われる人物もこの“finding of a nation”、それもナギやバジニール達と同じくヴァルハラ国に所属しているプレイヤーということになる。バジニールの現在の年齢が32歳であることを考えるとどう少なく見積もっても母親の年齢は50歳を超えていると思われるのだが、この時代のVRゲームはボンじぃや激痛整体師等を見れば分かるように若者だけでなく60を超える高齢者まであらゆる世代に浸透している為このバジニールの母親がプレイヤーとしてここにいたとしてもそこまで不思議なことではない。親子で同じVRゲームを一緒にプレイするプレイヤー達も少なからずいる程だ。それでも事前に情報のないまま突然ゲーム内で母親と出会えば驚くのも無理ないことだが、それにしてはバジニールの反応は少々度が過ぎているようにも感じられる。何か母親との間にトラブルでも抱えているのだろうか。
「そ、そんな……どうして母さんがこんな場所に……。い、いえ……そんなはずないわ。だって母さんは私が高校に入学してすぐ亡くなっているのよっ!。VRの中だろうと本物の母さんがこの世に存在しているはずがないっ!。だとしたら誰かがVRの中だということをいいことに私の母さんのアバターになりすまして……」
なんと現実世界のバジニールの母親は既に亡くなっていたようだ。それならばバジニールの過度な驚きようも無理もない。VR空間やゲームの世界はしばしば仮想現実という言われ方をするが、いくら仮想とはいえは現実の世界の一部であることに変わりはなく、現実でなくなった人物がVRやゲームの世界で生きているということはないはずだ。当然バジニールもそう考え目の前の母親は何者かが自身の母親の姿に似せたキャラクターでVRの中に登場しているだけで本物ではないと考えたようだ。だがこの“finding of a nation”のゲームに限っては他のVRゲームとは違い現実世界の自分の姿のキャラクターでしか登場することができないはずなのだが……。
「………」
「このゲームは現実世界の自分と同じ姿のキャラクターでしか登場できないようだけど違法な手段を使えば方法なんていくらでもあるはずだわ。どうやってゲームのシステムをハッキングしたのか知らないけど、一体どこの誰が何のつもりでそんな姿をして私の前に姿を現したのかしらっ!」
「………」
「黙ってないで何の為に現れたのかぐらい話しなさいよっ!。さもないと用件を聞く前にあなたをハッキングの疑いで管理センターに通報させてもらうわよっ!。いくら綿密に工作してようと今のあなたのそのキャラクターの情報を知らせればハッキングなんてすぐバレるはず……。そうなればあなたはこの場から強制的にダイブアウトさせられて最悪の場合VRサイバー犯罪の罪で実刑をくらう可能性もある。……さあっ!、分かったらさっさとわざわざそんな格好で私の前に現れた用件を言いなさいっ!」
やはりバジニールは目の前の人物が自身の母親であるとは到底思えないようだ。確かにハッキング等の違法な手段を用いればゲームのシステムの影響を受けず自由な姿や格好でこの空間に現れることは可能かもしれない。っというか現実の世界の母親が亡くなっている以上バジニールにはそう考えるしかなかった。しかし電子生命体そのものを用いて作られたというこの“finding of a nation”をハッキングできる人物などそう易々といるものなのだろうか。しかもバジニールの母親のことを知る者となるとその範囲の対象となる人物も限られて来る。現実の世界でのバジニールの人間関係等は分からないが、彼の振る舞いを見る限りそれ程VRのシステムやプログラミングに精通した人物が周りにいるとも思えないのだが……。
「……本当にいいのですか。このまま彼等を置いて行って……。長く孤独だったあなたにようやくできた心安らぐ仲間達なのでしょう」
「彼等……それは私と一緒にさっきまであの拷問野郎に捕まってたナギって子達のことかしら。どうやら私の母さんを知っているだけじゃなく私のゲームの中での行動まで監視してたみたいね。何故あなたがそんなことを気にするのか分からないけど残念ながらあの子達は私の仲間なんかじゃないわ。……まぁ、今まで出会った来たプレイヤーの連中に比べれば全然マシな子達だとは思うけど所詮はゲームの中だけの付き合いよ。偶々同じ国に所属してパーティを組まされたから一緒に行動してただけ。そのゲームも一切やる気がなくなっちゃったしもう赤の他人と同じよ。私が抜けたせいで全滅することになろうと知ったこっちゃないわ。どうせあの状況だと私が残ってたとしてもあのナギって子が拷問されるのを見せつけられた挙句倒されるのが落ちだったろうし……」
「それはあなたの本心ではありません。例え敗北することになろうと最後まで自分の信じた仲間と共に戦い抜く……。これまで自身の勝利の為、もしくは自分にとって利となる行動のみを心掛け孤独にゲームをプレイしてきたあなたですが、それとは裏腹に心の奥底ではそんな自己の利益の為に行動する自分を投げ捨ててその身を犠牲にしてまで仲間の為に戦いたい、戦える自分になりたいとずっと思っていたはずです。もっともあなたがそうまで他人に心を閉ざしてしまい、そして本当の自分をその心の殻の中に閉じ込めてしまったのは思春期も終えておらず心の多感の時期にあなたを一人残して逝ってしまった私にも原因があるのですが……」
「勝手なこと言わないでっ!。確かに私はまだ中学を卒業して間もない頃に母親を亡くしてしまったわ。おまけにちょうどその頃自分の心と体の性別が違うことに私自身だけでなく周りも気付き始めてたった一人で重大な悩みを抱え込んでもいた。父親は母さんが亡くなるちょっと前に自分の息子が俗にいうオカマであることにショックを受けて私達二人を置いて出て行っちゃったしね。だけどそれはもう10年以上も前の話……、今はもう自分の心と体の違いも受け入れて幼い頃のトラウマもとっくに克服したわ。ちゃんと仕事にも就いて自立して生活もできてる……。心身の病に関してもそれなりに楽しくやれる居場所も手に入れた。もうそれ以上の望みなんてないしたかがゲーム如きにさっきあなたが言ったようなことを求めたりしないわ。そんなことより母が亡くなったことやその時期の私の悩みまで知っているなんて相当私や母さんに近しい人物のようね。もしかして中学や高校の時に私の担任だった先生とかかしら。悩みを抱えている生徒に対して何もしてやれなかったことに罪悪感を感じて今更こんな馬鹿な真似をしに来たのだったらとんだ御笑い種だわ。それともまさか父さん……。いいえ、流石それだけはありえないわね……」
やはりバジニールの目の前に亡くなったはずの母親の姿で現れた人物はかなり現実世界でのバジニールとその親族に近しい人物のようだ。含みを持たせた言い方で具体的な内容には触れていないが、それにしてもバジニールの内面にまで関わる部分について知っていることを匂わせるようなふしがある。そしてその言葉の数々は確実にバジニールの心の奥底を抉り取ったようで、居丈高な物言いで反論こそしていたものの明らかに心が揺さぶられているのが見て取れた。その証拠にまだ完全に相手に見透かされているかどうかも分からないのに自身の過去を自分の口から吐露してしまっていた。反論する為とはいえまだ相手の素性もまるで分かってない以上なるべくこちらの情報は隠すべきだと頭では分かっているはずだろうに……。
「バジニール……そんな表面上の見た目だけを整えても真に自分の心を満たすことはできません。今こそ本当のあなたを取り戻す為に今一度彼等の元に舞い戻り共に最後まで戦い抜くのです」
「だから余計なお世話だって言ってんのよっ!。大体なんで本当の母さんでもなく、何処の誰だかかも分からないあんたなんかにそんなこと言われなきゃいけないのっ!。そりゃ私だってあの子達がとてもいい子だってことぐらい分かってるし置いて来たことにも多少の罪悪感も感じてはいるわっ!。だけどもうゲームの世界から出て来ちゃったからにはどうしようもないじゃないっ!。一度でもこの空間に戻って来た以上あの場所は愚かさっきまでと同じ時間にすら戻れない……。それどころかもうゲームの中の世界ではすでにあの子達も皆やられちゃってるわよっ!。だからもう私のことは放っておいてとっと目の前から消えてちょうだいっ!」
「いえ。彼等はまだやられてはいませんしあなたが掛け付けるにも今ならばまだ間に合います。端末パネルを開いて今あなたがいるこの空間の時間を確かめてみてください」
「えっ……こ、これはっ!、現在の時刻10月27日午後6時30分……。明らかにさっきまでいたゲームの世界と同じ時刻だわっ!。ダイブアウトできないだけじゃなく時刻の表示までバクちゃったってわけぇっ!」
「それは違います。その表示に狂いはなくあなたはまだ彼等と同じ時の流れで進む空間にいるのです」
「……っ!、そ、そんな……でも私は確かにいつもログアウトする前に来る待機空間に……ま、まさかっ!」
「そう。ここはあなたがいつも訪れている待機空間等ではありません。言うなれば“finding of a nation”と現実のあなた達の世界を繋ぐ狭間の空間……。ゲームの世界から現実の世界へか、それとも現実の世界からゲームの世界へか、どちらかに移動する際にまだ自分は元の世界に留まるべきでなのでないかという強い迷いを抱えた者のみが稀に訪れる外界から遮断された場所なのです」
自身の母親の姿をした謎の人物に促されバジニールが時間をするとなんとその表示はまだナギ達がいる“finding of a nation”の世界のもののままだった。母親の姿をした人物がいうにはここは“finding of a nation”の待機空間ではなくそことはどこか別の世界ということらしいが……。
「くっ……どうりで周りに誰も見当たらないわけだわ。どうやら本当に私はいつもの待機空間とは違う場所に来てしまったみたいね……。けどどうしてこの私がそんな場所に……」
「それはあなたがまだ彼等を置いて立ち去ってしまうことに深い悩みと疑念を抱えているからです。そしてこの場所から抜け出すにはその悩みと疑念を払拭しなければなりません。ゲームの世界に戻るか、それとも初めの考えの通り現実の世界に帰ることになるかそのどちらにしてもです」
「くっ……悩みと疑念を払拭って……。私には自分が本当に現実の世界に帰ることに悩みを抱えているかどうかすらも分からないのに一体どうしろっていうのよ……」
「バジニール……。自分の心と体の性の違いに悩むあなたを置いてあの世へと逝ってしまったことは本当に申し訳なく思っています。父さんは見た目と中身の違う自分の息子の姿を見るに耐え兼ねて私達を置いて出て行ってしまいましたが、私はあなたが肉体の性別ではなく心の性別である女性として生きていくことを拒絶してしたり否定するつもりはありません。ですがどうか本当のあなたを見失うことだけはしないでください。“本当のあなたは誰よりも他者への思い遣りが深く友や仲間を大切にする子だったはず……例え男であろうと女であろうとそのどちらでもない存在であろうとあなたはあなたはなのですよ……友子”」
「……っ!、い、今のは確か母さんが今際の際に私に残してくれた最後の言葉……っ!。それに友子っていうのは母さんだけが私を呼んでくれた名前……。私の本当の名前は勝也だったのに女性でありたいと願う私を思って母さんが周りに秘密で新しく付けてくれた……。他の誰もその名前を知らないはずなのにまさかあなたは本当に私の母さんだっていうのっ!」
母親の姿をした人物との会話を続けるバジニールだったが、なんとその会話の中で本当の母親でなければ恐らく知りえないと思える内容が飛び出してきた。もしや目の前の人物は本当に自身の母親なのではないかと思いバジニールは慌てて問い質したのだが……。
「いえ……残念ながら私はあなたの本物の母というわけでありません。ですが限りなくそれに近い存在ではあります。だからこそあなにも私の言葉は心の奥深くまで届いたはずです。今の友子という名前……。その名は友を大切にする子という本当のあなたでずっとあってほしいと願って付けたものなのですよ。どうやらその願いは届かずにあなたは自身の女性としての心は大事にできてもあの誰よりも優しく思い遣りのあった美しい心をないがしろにしてしまったようですが……」
「くっ……何よっ!。本当の母さんだかそれに近い存在だか知らないけど今更出てきてそんな偉そうに説教じみたことばかり言って一体何様つもりっ!。優しく思い遣りのあった心を踏みにじったのはその大切にすべき友や仲間……、そしてオカマの私に嫌気がさして出て行った父さん達家族じゃないっ!。確かに母さんとお婆ちゃんだけは最後まで私の味方をしてくれた……。お婆ちゃんに至っては母さんを亡くした私を引き取って私が自立するまでの面倒まで見てくれたわ。だけど他の連中はどうっ!。私がオカマだと分かった瞬間から偏見と嘲笑に満ちた視線と悪意を浴びせてきただけじゃないっ!。そんな連中に優しく思い遣りのある態度なんて取る義理は私にはないわっ!」
「……では先程まで共に戦っていたあのナギという子達もそのあなたの言う連中と同じだというのですか」
「……っ!、そ、それは……」
どうやらやはり目の前の人物は本物のバジニールの母親というわけではないらしい。本人曰く限りなく母親に近い人物ということだが、その言葉通り彼女の発言の数々は確実にバジニールの心の奥底まで響いていっていた。
「彼等だけではありません。あなたはこれまでも自分に親しく接しようとしてくれた人物達を意図的に遠ざけて来たはずです。確かにあなたの持つ悩みへの世間からの偏見は強く周りを信じられなくなるのも無理はありませんが、全ての人がそうでないこともあなたにはちゃんと理解できているはずです」
「分かってるっ!。……分かってるけど一度歪んでしまったものを元に戻すのはそう簡単にはいかないものなのよっ!。例えあの子達のような私に信頼できる仲間ができたとしてもきっともう母さんの言うような優しく思い遣りの接し方なんてできやしないわ。今度は逆に捻くれた私の心が彼等の純粋な心を傷つけて汚してしまうだけ……。かつての私がそうなってしまったようにね。だったらもう初めからある程度の距離感を持って接していた方が楽でいいのよっ!」
「別に元のあなたに戻る必要はありません。先程は厳しい言い方をしてしまいましたがあれ程重大な悩みを抱えながらもここまで生き抜いて来ただけでも大したもの……。心の弱い者であればとっくに人生を投げ出してしまっているかもしれないしれないでしょう。私はあなたのその苦しみを乗り越えて来た類い稀無い精神力と努力も否定するつもりはありません。ですがその努力も最終的に実らせることができなければ何の意味もないもの……、それどころかこれまでの徒労が無駄に終わることであなたの心を更に苦しめてしまうことになることでしょう」
「………」
「もう私が何を言いたいのかは分かっていますね。今こそあなたのこれまでの努力の成果を実らせる時なのです、バジニール。長く強い孤独と絶望に耐えてきたあなたなら私の知る昔のあなた以上に他を思い遣りその為に行動することができるでしょう。不本意ながらもあなた孤独に追いやってしまった私の言えることではないかもしれませんが……、どうかこの母にあなたの本当に成長した姿を見せてください。そうすればもう二度とこのような幻影の姿であなたの前に現れることもないでしょう」
「母さん……」
胸を打つ母親に近い人物の発言の数々にとうとうバジニールは反論する言葉を失ってしまった。これは相手の言葉に納得したということなのだろうか、それとも単に会話に嫌気がさしてしまっただけなのだろうか。果たしてバジニールがこの後に取る選択は一体……。
「ちっ……今のは確実に決まったと思ったのによ。全く華奢の体に似合いの通りちょこまかと逃げ回りやがって。ちょっとは俺の技を正面から受け止めるぐらいの気迫を見せたらどうなんだ」
「(バジニールの為にもこの勝負は絶対に負けられないしあんな安い挑発に乗ってる場合じゃないわ。まぁ、普段でもあんな下品な奴の言葉なんて気にも止めないけど……。ただ思ったよりパワーがあるしあの蹄を使った技も非常に厄介だわ。その上不仲さんの矢が通らなかったところを見ると私の剣でもそれ程のダメージは与えられない。出来れば魔法を主体にして戦うように切り替えたいけどそれじゃああいつとやり合う為の前衛が……)」
バジニールが母親の姿をした人物と謎の空間で話してた頃“finding of a nation”の世界では当然ナギ達と拷問紳士達による死闘が続いていた。今はちょうど柱に追い詰められたリアが寸でのところでデーモンゴートの攻撃を躱していたところだったのだが、リアはデーモンゴートの予想以上のパワーのある攻撃と防御力に苦戦を強いられ反撃の術を失ってしまっていた。なんとか頭の中で対策を練り、ゴートスキン・シールドによって強化された相手の皮膚を無視してダメージを与える為剣ではなく魔法を主体で戦いたいと考えていたようだが肝心のリアの代わりに前衛を務められる者が他にはいなかった。魔法剣士であるリアならば斬撃の属性を魔法攻撃に切り替えて戦う手段もあるのだが、斬撃自体が硬い皮膚によって阻まれてしまう為効果の程はほとんどはないだろう。それでも通常の斬撃を放つより遥かにマシなダメージを与えられるだろうが……。
「ふんっ、だがこのチャンスに攻撃を仕掛けてこないところを見るとどうやらこの俺のアングゥイス・スティグマを相当脅威に感じているみたいだな。それに恐らくゴートスキン・シールドによって防御性能が大幅に強化された俺に対して有効打となる攻撃手段も持ってないんだろう」
「(くっ……こっちの考えが全て見抜かれている……。戦闘能力だけじゃなく思った以上に頭の切れる奴みたいね)」
「くくくっ、攻め手のない敵を相手にすること程楽なことはないぜ。こっちは何も考えずに攻め続ければいいだけなんだからな。さぁて、それじゃあ今度は向こうの壁際まで追い詰め……うん?」
“パアァァァ〜ン……”
「な、なんだぁっ!」
「……っ!、あ、あの光は……」
リアがデーモンゴートの攻撃を躱した直後ということで、デーモンゴートは自身のアングゥイス・スティグマの直撃した柱の前、リアはそこから少し横に離れた場所にいたのだが、相手への攻め手の手段がなく立ち尽くすしかないリアに対してデーモンゴートが再びアングゥイス・スティグマによる攻撃を仕掛けにいこうとした時、突如として柱の前から謎の光が出現し周囲を包み込んだ。その光はデーモンゴートのアングゥイス・スティグマが直撃し烙印の刻まれた場所、まさにログアウトする前のバジニールが捕らわれていたところだったのだが……。
“バッ!”
「あ、あれは……」
「バジニールっ!」
暫くして光は収まったのだが、なんとその光が消え去った場所には先程ゲームからログアウトしたはずのバジニールの姿があったのだった。当然これは誰にも予想だにできないことで、バジニールが姿を現した直後にリアと不仲の驚きの声が部屋中に響き渡った。その声に反応して少し離れた場所でサニールと戦っていたゲイルドリヴルと鷹狩も咄嗟にそちらを振り向いてしまったのだが……。
「バジニールだとっ!。……確かにあれはバジニールの姿に間違いない。だが一体いつの間にここに姿を現した」
「分からん……。我々のように天井から落ちてきたというわけではないようだが……」
「それにあの柱に囚われた格好をしているのはどういうことだ。我々がリアを救出した時には確かに奴の姿はなかったぞ」
「ああ……、ナギ達に聞けば少しは事情が分かるだろうが今はそんな話をしている余裕は……っ!、ゲイルっ!」
「……っ!」
“カァァーーンッ!”
バジニールに注意の行っているゲイルドリヴル達を見てサニールはすぐさま攻撃を仕掛けて来た。鷹狩の言葉に咄嗟に反応しなんとかゲイルドリヴルはサニールの斬撃を弾くことができたようだが、今の二人にはとても突如として姿を現したバジニールについて考察している余裕はなかった。それにしてもゲイルドリヴルも言っていたがどうやらバジニールはログアウトする直前と同じく柱の手錠に囚われた状態で出て来たようだ。しかも当然目の前にはデーモンゴートの姿があり、この場に戻って来たはいいがすぐさま相手の攻撃により再びゲームから退場させられかねない状況だったのだが……。
「な、なんだぁ……こいつは。一体どこから現れやがったんだ。しかもその場所はついさっき俺のアングゥイス・スティグマが直撃した場所だってのに何の手応えもなかったぞ」
「………」
「まぁいい……。どういうことはまるで分からねぇが無様にもその柱に磔にされた格好じゃねぇか。敵のプレイヤーであることは間違いみたいだし折角現れたのも束の間すぐゲームから退場させてやるぜ。そんな無抵抗な格好で俺様の目の前に現れちまったことを後悔するんだなぁっ!。……おらぁぁぁぁぁっ!」
「……っ!、バジニールっ!」
「ふっ……」
“パキンッ!”
「……っ!、な、何……っ!」
“バァァァーーンッ!、……ジュワァ〜”
柱に磔にされた状態のままのバジニールを見てすぐさまアングゥイス・スティグマを放ち息の根を止めようとしたデーモンゴートだったが、なんとその直後突如としてバジニールを手足を拘束していた手錠が砕け散った。拘束から解放されたバジニールは先程のリアと同じように咄嗟に身を屈めてデーモンゴートの攻撃を躱し、アングゥイス・スティグマは再び誰もいない柱の壁へと直撃した。そして攻撃が空振りに終わったデーモンゴートはその反動の硬直で今度は反対に相手に対して無防備な状態を晒すことになり……。
「はあぁぁぁぁーーっ!」
「……っ!」
“バアァァァンッ!”
「がはぁぁーーっ!」
デーモンゴートの攻撃を咄嗟の反応で見事に躱したバジニール、だが先程のリアとは違いバジニールはその場に身を屈めた留まったままだった。頭上には蹄を柱にぶつけたまま硬直しているデーモンゴートの姿……。バジニールは身を屈めた状態からデーモンゴートの顎目掛けて強烈なアッパーカットを放ちながら一気に上空に向かって飛び上がった。バジニールの強烈な一撃を受けるとともにデーモンゴートはよろめきながらその巨体を大きく宙へと浮かした。そしてそのデーモンゴートと共に彼に上空へと舞い上がるバジニールの背中の後ろ……、二度までもデーモンゴートのアングゥイス・スティグマが直撃した柱の壁からは蹄の烙印が完全に消え去ってしまっていた。まるでバジニールが今の一撃で自身に押された烙印を全て払拭したかのように……。




