ただのミレイユとして、生きていく
「な……ほ、本気で言っているのか?」
「もちろん!本気ですとも。こんなこと、冗談で言うと思って?」
以前──魔法学院に入学したいと、お父様に伝えた時。猛烈に反対されて、お父様はこう言った。
「『そんなに、魔法学院に入学したいというのならミューテンバルトから出ていけ』。
……お父様はそう仰いましたわね?」
首を傾げて、私はお父様を見つめた。
言葉というのは、言った本人は案外忘れてしまうものだ。言われた方は一生、忘れられない、ということはままあると思う。
この発言はまさにそれで、ずっと、私の胸にちいさな棘となって刺さっていた。
私の選択は、お父様を苦しませるものなのだと、私が魔法の道に進むのは、お父様にそこまで迷惑をかけてしまうものなのだと、ずっと。…………ずっと、思っていた。
でも、もう分かった。
お父様はどこまでいっても、私を私として見てくださらない。お父様が大切なのは、言うことを聞くお人形のような娘であって、自我のある私ではない。
私は、お人形ではない。
「お父様の思うように振る舞えず、誠に申し訳ございませんでした。ですが私は、ひとりの人間ですし、考える頭がございます。私のことは、今後、死んだものとして扱ってください」
「そんな……そんなこと、許すとでも思うか!?」
ぶるぶると震えて、お父様が言う。
私はそれを一瞥した。
「お父様は、いつまで私をコントロール可能な物だとお思いですの?いい加減、線引きをなさってくださいな。お父様は、お父様。私は私なのです」
あなたの考えを、私に強要しないでほしい。
私の気持ちに寄り添って欲しいなんて贅沢は、もう言わない。
だけどもう、私に関わることはやめてほしい。そう思った。
「まともな令嬢のように……いいえ。お父様の言葉に全て【YES】と答えられる娘でなく、申し訳ございません」
私は手提げカバンを持つと、踵を返した。もう話は終わりだ。これ以上、お父様とする話はない。
「本日にて私は、ミューテンバルトの家を抜けます。最後にお手数をお掛けしますが、どうぞそのように書類のご提出をお願いいたします。後日、必要書類を郵送でそちらに送りますのでご記名をお願いいたします」
「ま、待て!!待ちなさい!!」
ガタ、と音を立ててお父様が立ち上がる。
このまま執務室を出てしまおうと思ったけれど、続くお父様の話を聞いて、私は足を止めた。
「融資は!!返済の件はどうなる!?無責任は許さない!!ミューテンバルトの人間としての責任を果たしなさい!!」
ピタ、と私は足を止めた。
チラリと振り返ると、お父様の顔は青ざめていた。
どこまでいっても、お父様の頭にあるのはミューテンバルトのことだけらしい。
娘が家を出ると聞いて真っ先に思い浮かぶことが、お金のことなのね。
……なんとも、お父様らしい。
そうね。お金は大切だもの。
貴族として、それが正しい反応なのかもしれないわね。おかしいのは、私の方なのかも。
お父様の、彼らの常識の物差しで測るのであれば。
「私が先方に嫁ぐことを条件に、無利子としていただいたのでしたわね」
「そ、そうだ。お前はそれを放り出すというのか?あまりにも無責任だ!なんと言おうと、お前はミューテンバルトの人間なんだぞ!?それを、もう嫌になったから逃げるなど……!恥知らずめ!」
「恥知らず?」
感情的になっては、いけない。
それは悪手だと、最後まで冷静でいるべきと思っていた。
だけどもう、限界だった。
思わず、声に力が入る。
私は、自分の胸をドンと叩いて、お父様に言った。
「私が!私自身を!自分自身を!……大切にすることを、恥だと、お父様は……そうおっしゃるのですか」
どんどん、私の声は冷えていく。
悔しくて、どうにかなりそうだった。
悔しさのあまり、涙が出そうだ。
絶対に、泣かないけれど。
どうして、ここまで【私】をコケにされなくてはならないのだろう?
私という存在を、軽んじられなければならないのだろう?
どこまで、このひとは……いえ。
このひとたちは、私という存在を、否定するのだろう。
あなたたちにとって、私は何?
クラレンスにとって、お父様にとって。
あなたたちが私という存在を、ムゲにして、コケにして、使い潰すというのなら。
私だけは、私自身を慈しまなければ。
私が、私を大切にするのだ。
「……至らぬ娘で、申し訳ございませんでした。融資の件は、私が返済いたします。追って、クルルフォーツ公爵には連絡いたしますわ」
「ハッ!お前に何が出来る?いいから、早くクルルフォーツ公爵家に行って、ふたたび婚姻届を──」
「あなたの娘は死んだと先程言いました。今後、私をあてにするのはおやめください」
私は、ゆっくりと息を吐いた。
「……この歳まで育ててくれたことに、感謝しております。じゅうぶんな教育を受けさせていただいたことも」
ミューテンバルト伯爵家に生まれたことで、私は衣食住に困らなかった。
私はまつ毛を伏せて、言葉を続けた。
「ですから、融資の件は私が責任をもって返済いたします。それが、私の、最後のお父様への恩返しです」
そしてこれが、私が最後に果たす貴族としての責務。
お父様は相当驚いたのでしょう。
あんぐりと口を開き、言葉が出ないようだった。
私は最後に淑女の礼をとり、今度こそ踵を返す。
もう、お父様には呼び止められなかった。
執務室を出て、私は廊下を歩く。
気がつけば、じっとりと手に汗をかいていた。
自分でも気が付かなかったけれど、私は相当緊張していたらしい。
緩く、息を吐いた。
(……これで、終わり)
じわじわと込み上げてくるものは──喜び、だった。
それと同じくらいの、安堵。
今、私は泣きたいくらい嬉しかった。
うっかり、泣いてしまいそうだわ。
何度か瞬きを繰り返して、呼吸を整える。
(私は、これからただのミレイユとして生きていく)
クラレンスの妻としてでもなく。
ミューテンバルト伯爵令嬢としてでもなく。
ただのミレイユとして──生きていくのだ。




