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婚約破棄された悪役令嬢ですが、復讐する前に闇ギルドにスカウトされました

婚約破棄された悪役令嬢ですが、先輩悪役令嬢から聖剣を貰ったら、勇者から果たし状が届きました

【前話】婚約破棄された悪役令嬢、破滅エンドを無視して悪役令嬢を側近にスカウトしようと思います。

の続編となります。今回も一話完結です。


 世も末とはこの事か。


 豪奢なシャンデリアの下、白絹のクロスに並ぶ金銀の食器。

ラモレス家の朝食はいつも華やかだが、今朝は緊張が走っていた。


 武門の名家の貴公子レオナルドは、食後の紅茶をひと口含み、カップを小さく震わせながらも手元の新聞から目が離せない。

毎日ざっと目を通す貴族階級の新聞——王宮タイムズを脇に避け、今朝方に家令から報告を受けた民間新聞が原因だった。

紅茶の香りよりも、紙面に踊る活字の方が彼の胸をかき乱す。


 第一面を飾っていたのは……取材班独占。あなたの知り合いにいる悪役令嬢の自慢大会——その大見出しにはこうある。



『ぶっちぎりで独走する悲しき名誉の伯爵令嬢』



 金髪の巻き髪を風になびかせ、不敵な笑顔で優勝旗を高々と掲げる妹の写真。

写真からすら、観客の喝采と罵声が響いてきそうで、レオナルドは思わず口をパクパクと開き肩を震わせる。


 妹の後ろで困ったように微笑むのは、既にファンクラブができつつある“淑女型”悪役令嬢ラナリエ。

横で地団駄を踏むのは、二年連続優勝を狙っていた“新たな聖女”と評判高い聖王国の熾天してん聖女リブリラ様。

記事はさながら競馬中継のようで、各令嬢の表情や声援までもが鮮やかに綴られていた。



『昨年は“隣の聖女よりも、新たしく来た聖女の方がもっと腹黒かった件”と評されほどの傾国の美女ぶりを発揮し、

アイドル勇者を破滅させた聖王国のリブリラ姫を抑えて——』



 そこまで読んだところで、レオナルドの手は震えた。

続く文は、こう締めくくられていたのだ。



『今年の独走優勝者は、会場を洗脳の渦に巻き込んだラモレスの赤き魔豹——アビヒルテ令嬢』



 なんということだ。婚約破棄されたのち、闇ギルドに入るなど闇落ち宣言したと思えば、悪役令嬢を側近にスカウトしてきた先月。最近は少しおとなしくなったかと思っていれば、この醜聞である。



「あんの、不良娘めぇぇえええ!!!」



 優美な食堂に似つかわしくない咆哮が轟き、銀器がわずかに震える。

侍女たちの肩がびくりと跳ね、家族は顔を見合わせてため息をついた。



「これ、レオナルド。家族の前ではしたないわよ。婚約破棄の絶望も乗り越え、アビィは強く華やかに頑張ってるではありませんか」



 青い顔をして母が無理やり笑顔を取り繕う。

だが、カラトリーが不自然な方向にねじり曲がっているのが視野に入り、レオナルドは少しばかり寒気を感じて冷静になった。



「はっはっは。まったく、我が愛しの才女は天上を知らぬな!独走、優勝。とても鼻が高い。これは旧宰相閣下にも自慢できそうだ」


「それだけは止めてください、父上……」



 父は娘のこととなると頭のネジが数本どこかに無くしてしまうのか、妹のやることなすことに肯定的だ。



 ——私がしっかりせねば……!!



 兄は心の底から妹の行く末を案じていた。

でなければ、いずれ一族ごと粛清されるのではないか――そんな恐怖が、絶望と肩を組んでスキップしてくるような錯覚を覚えたた。



 ——既に肩ポンされているのではないか?



 最近、調子の良い右肩に不安を感じるのも気の所為だと言いたい。

それにしても今日は妹の姿が見えない。不安だ。


 優雅な空間にこだまする心の絶叫は虚しく。

アビヒルテは早朝から側近のラナリエを連れて、闇ギルドの仕事をしてくると家を出てしまった。



 ——頼むから、大ごとだけは起こさないでくれ



 奇跡的か、その場にいた母と妹の専属侍女まで両手を組み合わせ、必死の神頼み。そんな光景を見て父は、おっと東桜国風の儀式かな? それでは私も、ご馳走様でした。と両手を合わせて柏手を打つ。

今日もまた、ラモレス家の朝は波乱に満ちていた。



——



 貴族通りから門を越え、朝方の市場区のざわめきを抜けた先に入り組んだ街路がある。その奥、焼き立てのパンの香りが華やぐ中を歩く、二人の令嬢の姿があった。


 赤く壮麗なドレスを纏ったのは、巷で婚約破棄されたと噂されるラモレス家の赤き魔豹こと、悪役令嬢アビヒルテ。その隣に寄り添うのは、落ち着いたドレス姿の側近ラナリエである。

かつて断罪された儚げな少女は、悪役令嬢と称されながらも、可憐な微笑みを浮かべ、美しく背筋を伸ばしていた。


 二人は古風なカフェの前で立ち止まり木製の入り口を潜る。磨き上げられたベルがチリンと鳴り、奥から熊のようなひげ面の店主が出迎えた。


 アビヒルテは店主と低い声で合言葉を交わすと、ラナリエを伴って奥に通される。

微かに古木の香りが漂う店内を進み、奥の扉が軋みを立てて開かれると、その先には厚みある絨毯が敷かれた通路。

踏み進めると、靴底にふわりと柔らかさが伝わる。

アビヒルテは重厚なドアの前で立ち止まり、ノックもなく開け放った。そこには――


 紅茶の香りを楽しむように、赤髪を結った男が、カップを持ち上げたまま固まった様子で、二人を見ていた。

背後には巨漢の護衛が二人。浮き上がった筋肉が向きを変え、スーツの生地が擦れるような音を立てる。



「毎度、俺の居場所を嗅ぎつける手腕には感心するが……。

 ふむ、今朝も陽光が霞むほどの鮮やかさだな、アビヒルテ令嬢」



 低く甘い声。サラリと垂れた前髪の隙間から覗く眼差しは、硝子のように艶やかで、視線が触れるだけで肌が熱を帯びるようだ。



「あ、朝からよく回る口ですわね。よくもまぁ軟派なセリフがスラスラと……」



 アビヒルテは頬の熱を悟られぬよう、つい視線を逸らした。耳の奥で自分の鼓動が音を立て始めるのが憎たらしい。



わたくしは仕事をしに来たのです。

 そう、もっと、今日こそは、私が活躍する仕事を頂きにと……!」



 手持ち無沙汰を隠すように、部屋の調度品へと歩み寄り、銀細工の短剣を手に取る。冷たい金属の感触が心地よく、指先を滑った瞬間――。



「……おいおい」



 赤髪の男が音もなく背後へ回り込み、彼女の手元を包み込むようにして短剣を取り上げた。すれ違うとき、微かに香水とも血の匂いともつかぬ香りが鼻をかすめる。



「その鞘には猛毒が仕込まれている。

 闇ギルド(ここ)で不用意に触れるのは、隙を晒すようなものだぞ」



 囁きは耳殻を撫でるほど近く、温い吐息が首筋に触れた気がして、アビヒルテの耳まで真っ赤に染まった。



「……そんなこと知るはずないですわ!

 宜しければご教授いただけないかしら。

 私をスカウトしておきながら放任してばかりですと、ほら!

 仕事に支障をきたすというものですの!」



 抗議の声を上げるが、彼は微笑を崩さず、

「ほう? 構って欲しいのか」と軽やかにいなす。



「な、違っ……!」



 アビヒルテはキぃぃと奥歯を噛みしめ、羞恥を誤魔化す。

終いには、悔しげにドレスの裾を翻すと、



「私の活躍を指をくわえて見てなさいまし!」



 宣言するように吐き捨てて飛び出してしまった。


 紅茶の香りがそよぎ、からかうような笑い声が扉の向こうからくぐもって聞こえてくる。

ラナリエは肩を竦め、ため息まじりにアビヒルテの後を追った。



——



「作戦会議ですわ!」



 闇ギルドの支部を飛び出て、二人が向かった先は貴族街。

街のざわめきと馬車の音を背にして、高級な調度品が彩るカフェに入った。


 赤いドレスの裾を広げて椅子に腰かけると、間を置かずに給仕が奉仕する。アビヒルテがカップを傾けると、舌の上に広がる品のある苦み。ふわりと甘い花蜜のような香りが気持ちを落ち着けると同時、頭の中が澄み切ったように冴え渡った。



「ラナリエ嬢、よろしくて?

 わたくしは、闇ギルドらしい仕事をしてみせますわ! 

 そして……ふふふ。婚約破棄した、どこぞの王子もどきに、完膚なきまでの復讐を遂げるのです」



 白磁のカップを置く音が、やけに甲高く響く。

向かいに座るラナリエは、困ったような、しかし楽しげな瞳で彼女を見つめた。

指先でカップの縁をなぞりながら、鈴のような声で告げる。



「とても素敵な志かと。……ですが殿下の弱みを握るには、旧王家そのものについて詳しく知る必要がございます。

 伝承も、血筋も、裏の金の流れも。知らずに挑めば、逆に足元を掬われかねません」



 正論の一撃。

見えないパンチを食らって、痛まないボディの調子を確認するほど。

アビヒルテは一瞬、言葉を詰まらせたが、すぐに顎を上げて笑った。



「ええ、任せなさい。わたくしに策あり、ですわ!」



 彼女は手袋越しに扇子をぱちんと閉じる。その乾いた音が、未来への宣言のように店内に響いた。


 ほどなくして、二人は馬車に乗り込み街外れへ。

石畳を越え、古びた屋敷の門をくぐると、そこには年季の入った煉瓦造りの邸宅が佇んでいた。苔むした壁からは冷気が立ちのぼり、ひときわ静かな空気に鳥の声すら遠ざかる。


 旧王家を長らく支えてきた、隠退した家令の屋敷。

その重厚な扉の前に立ち、アビヒルテは胸を張る。



「――さて、殿下の秘密を暴く第一歩。根掘り葉掘りで、存分に暴いてやりますわ!」



 鉄の門が、無情な音を立てて閉ざされた。



「お約束のない方は、お引き取りくださいませ」



 中年の執事が、石のように無表情な声で告げる。


 アビヒルテは微笑んだまま、ピタリと足を止めた。

 冷たい風が薔薇園の香をかすめ、白い帽子のリボンを揺らす。

 横でラナリエが、やれやれと肩をすくめた。



「……ふふっ、やっぱり門前払いですわね」


「当然ですわ」



 嬉しそうに言うラナリエ。

 彼女の瞳が、期待にわずかにきらめいていた。

 ――知っているのだ、この後のアビヒルテを。



「では、実力行使とまいりましょうか」



 その声は、薔薇の棘のように甘く鋭い。

 アビヒルテは優雅にスカートの裾をつまみ、つややかに微笑んだ。



 ――チート能力【私の好意は100倍にして返せ】



 瞬間、空気がぱん、と弾けた。

 風が逆巻き、庭師の帽子が吹き飛ぶ。

 門番たちの瞳がとろんと光を帯び、次の瞬間――。



「アビヒルテ様ぁああ! どうぞ中へお入りくださいませええ!!」


「門を開けろ! 何をしている、早く花道を作れッ!」


「お紅茶を! いやシャンパンをッ!」



 執事までもが、咲き乱れる花のようにアビヒルテを讃え始めた。

 門はまるで舞台の幕のように開き、アビヒルテはその中央を悠然と進む。

 ラナリエは顔を覆って、うっとりとした息をついた。



「……異世界転生者と伺っていましたが、これがアビヒルテ様の異能チート

 さすが、闇ギルドにスカウトされたお方ですわ……」



 馬車の御者が呆然と見守る中、アビヒルテは邸宅の玄関前でくるりと振り返り、

 光のような笑顔を浮かべた。



「好意を返すのは、人として当然の礼儀ですもの」



 そのとき、屋敷の奥から重厚な足音が響いた。

 大理石の廊下を杖で叩く音が近づく。

 現れたのは、背筋の伸びた老家主――旧王家の秘書官を務めた男。

 銀髪をぴたりと撫でつけ、片眼鏡を光らせながら、無表情で二人を見つめる。



「……門番だけでなく、庭師まで総出とは。まるで蜂の巣を突いたようだ」



 彼は深く息を吐き、

 それから、ゆっくりとアビヒルテを見上げた。



「――さて。あなたが、“赤き魔豹”と呼ばれるお嬢様ですかな?」



 アビヒルテは、まるで称号を讃えられたかのように微笑んだ。



「ええ。ご存じで何よりですわ。クシャール卿」



 その返答に、老家主の口元がかすかに引きつった。



「……これは、面倒な客人を迎えたようだ」



 屋敷の空気が一瞬にして張り詰めた。

 だがアビヒルテは、上等な紅茶の香りを纏うような仕草で微笑み、勝手に屋敷に入り込む。



「ご安心なさい。挨拶ではありませんわ――ただの襲撃ですの」



 ラナリエはこめかみを押さえた。とても楽しそうに。



「アビヒルテ様。“ただの”の使い所が、逆ですわ」



 老家主はため息をつきながら二人の背を追いかけるのであった。



——



 屋敷の中はセンスの良い調度品に彩られ、その空気は静謐そのものだった。


 窓から差し込む午後の光が金糸のカーテンを透かし、磨き込まれた床に淡く反射する。


 香ばしい紅茶の香りが漂う中、アビヒルテとラナリエは深紅のソファに腰を下ろしていた。


 向かいの椅子には、旧王家に仕えた名家の家令――クシャール卿が座している。年季の入った銀のポットから湯気が立ち上り、茶器が静かに鳴いた。



「さて……」



 クシャール卿は慎重に言葉を選ぶように、眼鏡の奥で瞳を細めた。



「アビヒルテ様。あなたは殿下の――つまり、元婚約者様の――何をお知りになりたいので?」



 アビヒルテはにっこりと、花が開くような笑みを見せた。



「決まっていますわ。弱みをすべて、ですの」



 紅茶を吹きそうになったクシャール卿。

ラナリエが、慌ててハンカチを差し出す。



「あ、アビヒルテ様? 全部は多すぎるかもしれませんわ」


「いや、そこじゃないだろう!」



 クシャール卿が椅子を鳴らして立ち上がる。

 しかしアビヒルテはまるで相手にしていない。

 紅茶のカップを優雅に傾け、淡い琥珀色の表面を見つめながら囁いた。



 ――チート能力【私の好意は100倍にして返せ】



 カチリ、と時間が止まるような音がした。

 次の瞬間、クシャール卿の瞳がふっと緩む。

 それは催眠でも洗脳でもなく、ただ“彼女を好ましく思う”という純粋な感情が、脳の奥底で爆発的に増幅されたような感覚。


「……そうでしたな。殿下のお話を少々――いや、すべてお伝えしましょう」



 家令の声はどこか嬉しげですらあった。

そこから、暴露の宴が始まった。



——



「まず殿下は、七歳までおねしょが治らず……冬の夜はよく熱を出され、侍医が泣いておりましたな」


「まぁ……お尻も拭けない、甘えん坊さんの殿下だったのですね」

 


ラナリエがにこやかに相槌を打つ。



「十六の春には、森の魔物にちょっかいを出して、お尻に噛み跡――げふん、激闘の勲章を……」


「まぁ……明後日の勇気に感動ですわ。尻の青い殿下ですこと」

アビヒルテの眉がぴくりと動いた。


「好き嫌いが激しく、嫌いな野菜を弟殿下に押しつけたのですが――弟殿下がそれを全部食べて『兄上の分も』とおっしゃった次の日から、食卓に嫌いな野菜が山盛りになりましてな」


「なんという制裁! 青春は草木を食んで成長なさったのですね」


「い、いや……なにもそこまで言わずとも……ちょいちょい厳しくないですかな、ラナリエ嬢」



 ラナリエは口元を押さえ、笑いをこらえきれない。

家令は目を細め、懐かしそうに続ける。



「他にも、学園時代は女子寮に忍び込もうとして噴水に落ち……」


「おおっと、それはもう結構ですわ!」



アビヒルテが慌てて遮った。



 ——わたくしが誘い出した挙句、恥ずかしくなって背後から突き落とした……などと言えるはずありませんわ



 聞き取れないほど小さな呟きに、

ラナリエは冷や汗をかくまいと努力し、

「快適な気候ですわね」と、意味不明な言葉でごまかした。


 アビヒルテはしばらく考えてみたが、どれも弱みというより恥の類。



「……どれも、しょっぱいですわね」



 情報の質にご不満があるらしい。

クシャール卿は少し考えてから、ぽんと手を打つ。



「――そういえば、勇者の墓にある伝説の剣を抜こうとして抜けず、

腹いせに“抜けない伝説の剣”などと刻んで怒られたことがございましたな」


「まぁ……抜けなかった伝説、ですの?」

 

 

アビヒルテの瞳が、きらりと光った。



「これは面白そうですわね。わたくしが抜いて差し上げましょう!

 抜けなかった王子もどきの長髪を、勇者の剣で落ち武者ヘアにする好機ですわ!

 頭頂部に、ざまぁとサインしてあげようかしら」


「で、殿下にざまぁを……!? 不謹慎ですぞ、アビヒルテ令嬢!」


「不謹慎? いいえ、これは正義ですわ」



アビヒルテは優雅に立ち上がると、扇子をひらりと開いた。



「さぁ、行きますわよ。勇者の墓へ!」


「ま、待ってくださいまし!? 今からですの!? 夕餉の前に墓地へ!? 貴族令嬢の行動ではありませんわ!」



 ラナリエの悲鳴もむなしく、アビヒルテは彼女の腕を掴み、

満面の笑みで屋敷をあとにした。



 ――向かう先は、町外れ。



 古の勇者が眠るという、霧深い墓地だった。



 ――日が傾き、町外れの丘は紅に染まっていた。

風に揺れる枯草の隙間を抜け、アビヒルテとラナリエは古い墓地へとたどり着く。

古びた石碑の群れの中、ひときわ大きな墓の前に立つ影があった。


 それは、銀糸のような髪を夕陽に透かした一人の女性。

 漆黒のドレスに包まれた肢体は、妖艶で。

墓前に跪き、静かに祈りを捧げている姿は美しく、思わず息をのむ。



「さながら美魔女、というやつですわね。なぜこんな所に?」



 女性は、祈りを終えると、ゆるやかに振り返る。

 琥珀色の瞳が二人を見つめ、唇に微笑が浮かんだ。



「あなた方こそ、こんな夕暮れ時に墓地とは。珍しいお嬢様方ね」



「わたくしは、アビヒルテ。抜けないと噂の伝説の剣を――抜きにまいりましたの」



 扇子をひらりと広げて言い放つ。


 女性はくすくすと笑い、墓前の剣を指した。



「どうぞ。お好きに持ち帰ってくださいまし」


「ふふん、見てらっしゃいな」



 アビヒルテは裾をたくし上げ、柄を握る。――びくともしない。



「……う、動きませんわね? 台座ごと持って帰ろうかしら」



 歯を食いしばり、ぐいぐいと力を込めるが、剣は沈黙を守った。



「アビィ様……お手伝いを」



 ラナリエが前に出る。

 細腕にしては力強く引くが、やはり抜けない。



「ぬ、抜けませんわ……! 本当に伝説通りですのね」


 美魔女は少しだけ肩をすくめ、

「では、少し貸してもらえる?」と優雅に剣の前に立つ。


 そして――まるで花弁でも摘むような軽さで、

 すぽん、と剣を引き抜いた。



「「え、えぇぇっ!?」」



 二人の貴族令嬢がそろって悲鳴を上げる。



「ゆ、勇者はここにいましたわ!」



 ラナリエが感極まって叫ぶ。



「いや、抜けるんかい! おっと、前世のクセが。

 お抜け遊ばされましたわねんかい?」



 アビヒルテの突っ込みが墓地に響き渡る。


 美魔女は抜いた剣をひらりと掲げ、

 月のような笑みを浮かべた。



「ふふ……変な子ね。

 そうね。これは、あなたに差し上げます。

 この剣も、そろそろ次の時代を歩むべきでしょうから」



 風が吹いた。三人の間に静寂が落ちる――その時。



「待ち給えッ!」



 墓地の門を蹴り開け、月光を背にした影が声を張り上げる。

 風が鳴り、銀の鎧がぎらりと反射した。


 登場したのは、やたらとまぶしい笑顔を浮かべた金髪の青年。

 派手すぎるマントに、装飾過多な剣。明らかに“強そう”を狙っている。



「俺は、勇者リュシオンの末裔――勇者ツヨシであるッ!」



 自信満々に名乗りを上げると、胸を張って指を突きつけてくる。


アビヒルテとラナリエは驚愕して口元を隠した。

脇役のような自称勇者の隣にいるのは、聖女リブリラの姿があったためだ。



「ええいっ、無視するでないわ!

 その剣は、我が家の誇りにして遺産なのだ!

 やっと見つけたぞ。さぁ、返してもらおうか!」



「あら、そうですの。残念でしたわね」



 アビヒルテは一歩も引かず、涼しい顔で返す。



「だって、今まさにわたくしがもらったんですもの」



「な、なんと傲慢な! 俺の話を聞いていたのかかッ!」



 ツヨシは息を荒げ、額の宝石をギラつかせた。



「突然墓地に来て、他人の物にすがる貴方様のほうが非常識かと……」



 ラナリエが涼しく返すと、場の空気がぴしりと凍る。



「た、確かに……!」と誰がが呟いた。


リブリラが首をかしげながら言葉を添える。



「勇者ちゃん勇者ちゃん。

 リブリラはねぇね、――お墓に刺さってたばっちい剣より、

 国宝のオリハルコンの剣のほうが、ほしいかもぉ」



「「……さ、さすが傾国!!」」



 アビヒルテとラナリエの声がハモった。


 ツヨシは顔を真っ赤にして指を震わせる。



「くっ……き、貴様ら、好き勝手ばかり言いおって……。

 それならばこちらにも考えがあるぞ!!」



 ばさぁっとマントを翻し、勢いだけで墓地を後にする勇者の末裔。

 去り際に石につまずいて盛大に転び、鎧がガランと鳴った。

聖女リブリラがポイ捨てのように回復魔法をかけ、ツヨシを置いて帰ってしまう。

情けない声が遠ざかっていった。



「勇者の末裔のくせに、何もないところで転倒するのですわね」



 アビヒルテが扇子で口元を隠し、優雅に微笑んだ。

くすくすと笑い声が聞こえる。



「ふふ……まさか墓守の私より先に、勇者の子孫が逃げ出すとはね」



 その声に同意するように、ラナリエが呆れ混じりにため息をついた。



「アビィ様、また面倒な方を敵に回しましたわ」


「まぁ、いつものことですわ」



 アビヒルテは月を見上げ、髪をなびかせながら高らかに笑った。


 風が止み、夕暮れがゆっくりと沈みはじめた。

 アビヒルテは剣を見つめ、しばし黙り込んだ。

 金の髪が風に揺れ、赤い瞳が落陽を映す。



「……やはり、この剣はお返ししますわ」



 静かに告げると、墓守の女が目を瞬かせた。



「まぁ、どうして。ばっちいから?」



 唇にいたずらな笑みを浮かべながらも、どこか探るような声音だった。


 アビヒルテは首を横に振る。

 墓碑に刻まれた古い文字へ、そっと指先を伸ばした。



『きみとの さいかいを ゆめにみて。かの みやこを しのぶ』



 風が文字をなぞるように吹き抜け、砂の香りがふわりと舞う。



「……この勇者様は、きっと最期まで苦難の果てを歩まれたのでしょうね。

 故郷の恋人と再会できぬまま、戦い続けて……」



 アビヒルテは目を伏せ、そっと剣を鞘に納める。



「宝剣は、この御方の誇り。

 その歩みを知らぬ私ごときが踏み込む資格はないですわ」



 その声は、まるで祈りのように静かで、誇り高かった。

故に、墓守の女は一瞬、息を呑んだ。

深紅の夕陽に照らされたアビヒルテを見て、微笑む。



「――貴女、素敵ね」



 その言葉には、心の底からの敬意がこもっていた。

落日の光が三人の周りを金色に染め、墓前の空気がやわらかく変わっていく。

ラナリエが胸を張って言った。



「当然ですわ。アビィ様は――悪役令嬢ですから」



闇の訪れを前に、二人の令嬢は確かに“誰よりも美しく、誇り高く”そこに立っていた。





 翌朝――ラモレス家の門前には、異様な緊張が走っていた。

霧のようにそれは静かに漂い、突如として空間そのものが歪む程に殺気をぶつけられたのだ。


 門番たちは武門の血を引く屈強な男たちだったが、その脚はがくがくと震えた。

それでも誰一人として倒れないのは、さすが名家の矜持といえる。


 門の向こうに立つのは、赤髪を結った男。

黒の外套を羽織り、ただ立っているだけで、周囲の空気を圧縮するような凶悪な威圧――誰もがこの男を知っている。

触れてはならない相手だと理解している。



「朝から闇の住人が何用か?」



 鋭い声が屋敷から響いた。

現れたのは、整えた金髪に真紅の軍服を纏う男――レオナルド・ラモレス。

武門の嫡男らしい凛とした立ち姿で、門前の暴威を真っ向から受け止める。


 両者の視線が交錯した。

刹那、空気がさらに膨張。一斉に飛び立つ鳥達の下では木々がざわめき、鉄格子の共振する。

赤髪の男が、ふっと笑みを浮かべた。



「ほう……お前、面白いな」



 低く呟いたその瞬間――



「ど、ど、ど、どうして突然いらしたのですの!?!?」



 寝間着姿のアビヒルテが、屋敷の玄関から飛び出してきた。

 手にはクマのぬいぐるみ。

 いちご柄のふわふわモコモコなパジャマが、朝の光にふわりと揺れる。


 赤髪の男が一瞬、言葉を失う。

 門番たちは硬直。

 レオナルドは額に手を当てて深いため息をついた。



「妹よ……。なんて格好で出てくるんだ。せめて上着を羽織れ」



「きゃぁぁぁ!! 破廉恥ですわ! お二人とも見ないでくださいまし!」



 頬を真っ赤に染め、ぬいぐるみで顔を隠しながら、

 アビヒルテは足音も軽やかに屋敷の中へ駆け戻っていく。

 バタン――と閉まる扉。

 残された二人の男は、静寂の中でわずかに咳払いした。


 レオナルドが肩の力を抜き、やる気を削がれたように客人を招いた。



「……さて、改めて。今日はどのうな用件で?」



 赤髪の男は一拍置いて苦笑いし、普段は見せることがないほど礼儀正しく、胸に手を当てた。



「ご令嬢の仕事仲間の、リヒターと申します。

 彼女には、いつも驚かされてばかりでして」


「こちらこそ。兄のレオナルドと申す。

 毎度、うちの妹が世話になっているようだな」



 重苦しかった空気が、少し緩んだ。

警戒は解かず、しかし殺気は収めて。

招かれざる客人は、門をくぐった。



——



 レースのカーテンから朝の光が差し込み、香るのはアールグレイの気品。

 お洒落なドレスを着込んだアビヒルテが、応接室の扉を押し開けた。

 赤髪を結った男と、レオナルドがテーブルを挟んで紅茶を嗜みながら、

 穏やかに政治談義をしている。



「おお、やっと来たか……」



 兄が顔を上げると、アビヒルテはドレスの裾を軽く摘まんで一礼した。



「お待たせしましたわ。

 お兄様、お客様のおもてなしをありがとうございます。

 もう用はありませんので、退出されても構いませんわ」


「おい、客の前でそれを言うか……」



 苦笑するレオナルド。

 対面の赤髪の男――闇ギルド幹部リヒターは、逆に兄を手で制した。


「いや、むしろご家族にも聞いていただきたい話です」


 低く落ち着いた声で言い、彼は懐から一通の封書を取り出した。


「冒険者ギルドに小国の勇者からの“果たし状”が届いたようでしてね。

 しかもその後、聖女リブリラ姫の手を経て、我々――闇ギルドにまで回ってきました」


「はぁ?!」



 紅茶を吹きかけそうになるレオナルド。

 リヒターは眉を揉み、少し疲れたように続けた。



「……できれば、あまり大っぴらに“闇ギルド入会”を言いふらさないでいただきたいのです。

 最近、うちの情報屋が困っておりましてね」


「そ、そりゃそうですよね……誠に申し訳ない」



 兄が口調を見失い、思考が追いつかないまま頭を下げる。

 その横で、アビヒルテはぽかんと口を開けた。



「え、いけませんの?

 ご挨拶代わりに名刺に書こうと思っておりましたのに」


「……ここに本人がいるんだもんなぁ」



 レオナルドは椅子にもたれてガックリと肩を落とした。

 リヒターは額を押さえ、深くため息をついた。



「やれやれ、どうやら本当に“悪役令嬢”とは、あなたらしい」



 アビヒルテはむしろ嬉しそうに微笑んだ。



「まぁ、お褒めにあずかり光栄ですわ。

 社会の闇と謳われるギルドも、社交界の延長にございますもの」


「……社交界、そんな軽いノリで入る場所じゃないのですがね」



 リヒターは軽く帽子を押さえ、紅茶の香りを残して帰っていった。

 静けさが戻ると、レオナルドが腕を組み、妹を見やる。



「……で、どうするつもりだ?」



 アビヒルテは椅子の背にもたれ、ティーカップをくるりと回してから、にっこりと笑った。



「決まっておりますわ。——華麗に、返り討ちにして差し上げます」



 その言葉に兄は思わず額を押さえる。

自信に満ちた笑みが、かえって不安を誘うのはなぜだろう。


なお、先日地下闘技場で、プロレス技で見事に断罪された件は、言わないでおくに限る。

さすがにアビヒルテもそう思った。



——



 時刻は再び夕暮れ。

 町外れの墓地には、茜色の光が長い影を落としていた。

ひんやりとした風が草を揺らし、砂埃の向こうで二組の令嬢と一人の勇者が対峙する。


 アビヒルテとラナリエ。

そして、自称勇者ツヨシと、聖王国の熾天聖女リブリラ姫。

緊張が走るなか、ラナリエが小声で尋ねた。



「リ、リブリラ様も……戦われるのですか?!」



 リブリラは涼やかな笑みを浮かべ、扇を軽く口元に当てた。



「まさか。私はただ——勇者様の“勇姿”を見届けたいだけですわ。

 どのような結果であっても、ね」



 その声音には、鈴のような優しさと、棘を忍ばせた艶があった。

リブリラの瞳は、すでに勝敗を見透かしているだ。

アビヒルテにツヨシが勝てるとは思っていないのだろう。

ラナリエは苦笑を隠し、心の中で惜しみない賛辞を送る。



 ——そしてきっと、敗北した勇者を慰め、その心をそっと掌に包み込むつもりなのですね。

   さすが……傾国の美女。いえ、悪役令嬢!



 思わず心の中で手を叩き、尊敬の念を抱いた。

 ——戦いが始まった。


 自称勇者ツヨシは、のっけから喉が裂けそうな声で叫ぶ。



「うおおおおっ!

 晴天に落ちろ、光翼爆裂スラッシュぅぅぅ!!」



 しかし、その軌跡は風を切るだけ。

 アビヒルテはひらりと身を翻し、ドレスの裾さえ乱さない。



「今は夕暮れ、誰の翼……名前負けが爆発していませんこと?!」



 挑発するように微笑みながら、アビヒルテは軽やかに一歩踏み出す。

 次の瞬間——彼女の背後で、銀の閃光が二筋、交差した。


 どこに隠していたのか、優美な双剣。

 その刃が夕陽を受けて、まるで薔薇の棘のように煌めいた。



「なっ——!? せ、聖剣を持ってるじゃないか! 卑怯だぞ?!」


「まぁ。双剣術の名門ラモレス家に喧嘩を売ったのは、どこのどなたでしたっけ?

 ——安心なさい、勇者様。全力で“ボコボコ”にして差し上げますわ」



 言うが早いか。華麗に舞うような剣撃が勇者を襲う。

 いつぞや冒険者にドロップキックを食らった時とは異なり、

アビヒルテは完全に勇者を手玉に取っていた。


 優雅な回転。そして踵落としからの肘打ち、剣の柄による制裁。

 悲鳴を上げる勇者が、たまらず地面を転がり、距離を稼ぐ。



「ふふっ……痛いですか? でも、勇者様ですもの、これくらい当然ですわね?」



 リブリラは勇者が転がるさまを見て、腹を抱えて笑っていた。



「アビィ、さすがは、わたくしのライバル。

 これぞ悪役令嬢たる美学!」



 ラナリエは遠巻きに、自分も何かを言いたい様子であったが、戦いに目が追いつかず、歯噛みするように状況を見守るしか無かった。


 勇者ツヨシは、こんなはずじゃ……と悔しがる。

 形勢は不利、奥の手を使うしかないと判断。空に向かって手を伸ばし、虚空に向けて、急に叫んだ。



「くらえぇっ! 俺のチートが、轟き叫ぶぅぅぅ!!」



 突如、眩い光がほとばしり、地面に魔法陣が描かれる。


 アビヒルテは眉をひそめて空を見上げ、次の瞬間には地面に描かれた魔法陣を見て「そっちかよ!」とツッコんだ。



「というか、こいつやっぱり、勇者の末裔ではなくて異世界転生者でしたわ!」



 そして魔法陣の中心から、ひとりの冴えない男が現れた。

 スーツ姿にネクタイ、革靴。片手には営業カバン。



「えっ……ここ、どこ?

 これって異世界召喚ってやつ?

 王様と王女様はいない……ということは、説明なしで放り出されてチートでスローライフなパターン?」



 完全に状況が飲み込めていない、典型的な社畜顔。


 アビヒルテはにっこり微笑み、すぐさま背後に回って襲いかかった。



「所詮、召喚直後のレベル1のモブなど、勇者とは言いませんわ!」



 ——ドカッ!



 一閃。アビヒルテの健脚が唸り、サラリーマンは軽快に吹っ飛んだ。地面がこすれ、滑る頭頂によってわだちが出来上がる。

勇者ツヨシから「ドン引きな不意打ち……」と批難されたが気にしない。なぜなら悪役令嬢だから。



「先手必勝に卑怯もクソもあるものか、ですわよ」



 うまく対処できた事に内心安堵しつつ、ジリジリと勇者ツヨシににじり寄る。

 しかし、土煙の中から冴えないサラリーマンが、のそのそと立ち上がっまのには一同驚愕した。



「……くそっ。ここ、どこなんだよ。

 いきなり襲われるのは最近の流行りなのか?

 女神様の声も聞こえないし、もしかしてこれ、チートがないパターンなのか……?」



 ゾンビのような顔で、ゆっくりとアビヒルテに歩み寄る。



「うぇ、嘘でしょう!? その顔はどうみてもレベル1のはずですのにっ!?」



 勇者ツヨシが勝ち誇ったように指を突きつけた。



「はははっ! 俺のチートスキル【勇者召喚ゆうしゃガチャ】は、召喚した勇者を俺の戦力として使役するんだ!

 強さはピンキリだが、俺+勇者、ふたりで最強ってわけよ!

 行け、勇者サラリーマンよ!

 あの金髪女をボコボコにするんだ!」



 「ふ、ふたりで最強(物理)ですって……?」



 アビヒルテは顔をひきつらせながら、不気味なサラリーマンと油断しきった勇者ツヨシを見て、これはまずいとばかりに、慌ててチートを発動した。



 ——【私の好意は100倍にして返せ】!!



 光が走り、勇者とサラリーマンを駆け抜ける。

 ツヨシの瞳がハートに染まった。



「アビヒルテちゃぁん! 俺、命に代えても君を守るよぉぉぉ!!」


 「ならば勇者よ、わたくしの盾になりなさい!」


 「ぃいいよろこんでぇぇぇ!!」



 サラリーマンが血走った目を向け、拳を振りかぶる。



 ——ズドォン!!



 勇者ツヨシは、涙と鼻血を飛ばしながら、サラリーマンの拳を全身で受け止めた。頬に拳がめり込むほどに強打され、情けなく崩れ落ちる。

 まさに社畜の拳、労働の重みは強い。



 「……これはまずいですわ。勇者が気絶しても、サラリーマンがまだ立ってますの!?」



 アビヒルテが後退しながら悲鳴を上げる。

 土煙の向こうから、冴えない声が静かに響いた。



「なんかレベルが上がった気がする。

 ……もう一人倒したら、襲われた馬車でも探してみるかー。

 ケモミミヒロインか、おっさん商人くらい転がってるだろ」



 無気力な暴威が、不穏な気配を漂わせ始めた。

先ほどまでの冗談なやりとりでは済まないかもしれない。

アビヒルテは不敵な笑みの裏で思考を回転させ、ラナリエやリブリラの安全確保を優先。

立ち位置を変え、脅威に備える事とした。



「また、会ったわね。素敵なお嬢さん」



 声が落ちたのは背後からだった。

凶暴と化したサラリーマンはもう目の前だ。

危ない!声を掛けようと振り返る、そこには。

先日会った墓守の美女が、ひらりと指を鳴らしたところであった。


 次の瞬間、サラリーマンの足元に魔法陣が浮かび上がり――眩い光の鎖が彼を巻き取る。



「もとにいた世界に還りなさい」



 召喚解除の光が柱となって天を突く。



「ま、まだハーテムきづいてないんですけどぉぉぉ!?」



 哀れなサラリーマンの叫びを残し、彼は光とともに消滅した。

唖然と見届けたアビヒルテが、肩で息をしながら、墓守の美女に目を向ける。



「あなた……何者ですの?」



 墓守の女は微笑み、月光を受けてその瞳が青く光った。



「私は――かつての勇者の墓を護る墓守の精霊。

 かつてこの地で夢半ばに尽きた勇者の……飼い猫だったの」



「飼い猫……?」



 アビヒルテとラナリエがぽかんとする。

墓守の精霊はクスリと笑い、優しく墓碑を撫でた。



「ええ。私も彼も、かつては召喚の魔力に呑まれ、姿を変えてしまったの。

 特に私は、世間では“悪女”、“魔女”と呼ばれたわ。

 恐怖に怯え、災いを振りまき、人々に疎まれ……最後に、これが残った」



 アビヒルテは目を細め、どこか親しみを込めて言った。



「なるほど。あなたも、悪役令嬢の先輩だったのですね」



 墓守の美女――いや、精霊はふわりと微笑み、懐かし響きを噛み締める。



「悪役令嬢……懐かしい響きだわ」


「それでは、先輩。悪役令嬢らしく――復讐は遂げられましたの?」



——



 かつて彼女は――一匹の猫だった。

柔らかな銀の毛並み、透き通るような青い瞳。

誰もが愛し、抱きしめたくなるほどに美しい飼い猫。

そして、ただ一人の飼い主に、何よりも愛されていた。


 その飼い主は、異世界転生を命じられた。

この世界を離れ、使命を果たすために。



「……行かないで」



 声にならぬ声で、幼き彼女は鳴いて、その背中を一心に追った。

しかし届かぬまま、光の渦がすべてを飲み込んだ。


 ——目を覚ましたとき、彼女は人の姿をしていた。

理性を持ち、言葉を話し、魔力を操る存在として。

けれどそこに、かつての飼い主の姿はなかった。


 世界は残酷だった。

異端を狩る炎が街を焼き、魔女狩りの叫びが夜を裂いた。

彼女もまた、“異界のもの”として追われた。

いつしか抱いたのは、恐怖ではなく――憎悪だった。


 ——あの人を恨んでもいいのだろうか?

   それとも、置き去りにされた私が悪いのだろうか……?


 長い年月が過ぎた。

季節が幾度巡っても、胸の痛みだけは薄れなかった。

ただ、あの人を探し続けた。

何百年という時を越え、ついにたどり着いたのは――勇者の墓前。


 そこには、最期の言葉として、故郷を案じ続けた思いが遺されていた。

この墓の主の名は、リュシオン。

夢半ばにいのちついえた敗北の勇者。

幻想図書館に収められた冒険記には、「りゅうじ」と名乗っていたことが分かった。彼は——。


「私のこと、覚えていてくれたのだろうか……?」


もう一度訪れた墓碑の片隅。

ついに、思いの欠片を見つけた。猫の紋章とともに。



 ——「みやこ を しのぶ」



 りゅうじは彼の名で、みやこ……みゃーこは、私の名だ。

 長い年月に閉ざされていた涙が溢れた。

恨みなど、もはやどこにもなかった。墓前で彼女は初めて悟った。


 復讐をしていたのではない。

あの人を慰め、祈り続けていたのだ、と。

涙の跡に微笑みが差し、やがて静かに消えていく。

慈しみと寂寞が入り混じったその微笑は、

誰にも見せることのない、たった一人の飼い主への贈り物だった。



---



「……本当に、いろいろあったわ。

 あの人にもう一度会えると信じて、ずっと耐えてきたの。

 でも——何百年も待つには、長すぎたみたいね」



 彼女は小さく笑った。

風が銀の髪を揺らし、墓前の花がひとひら落ちる。



「……もう、気持ちが枯れてしまったから。

 私の“復讐”は——ここでおしまい」



 その声には、もはや怒りの影もなかった。

憎しみを燃やし尽くしたあとの静けさ。

そしてその奥に、長い年月を越えてなお消えぬ、深い愛があった。



——



●エピローグ


 ラモレス家の客間にて。

アビヒルテとラナリエは、紅茶を片手に、今回の騒動を振り返っていた。


 墓守の美女——先輩悪役令嬢は、実は大精霊だった。

その後、意気投合した精霊とアビヒルテは契約を結び、ラモレス家に新たな仲間が加わることになったのだ。



「それにしても……」



 銀の毛並みを持つ猫が、アビヒルテの肩の上で伸びをしながら口を開く。



「勇者の飼い猫のセカンドライフが、悪役令嬢——しかも闇ギルドの使い魔だなんて……世も末ね」



 言葉の割に、声はどこか楽しげだ。

ラナリエが苦笑しながら、いたずらっぽく尋ねてみる。



「……後悔してますの?」



 大精霊はしっぽを揺らして、にやりと笑った。



「いいえ。胸がときめくわね」



 アビヒルテは思わず、ぐふふ、と淑女にあるまじき笑い声をあげる。

勝利の余韻を噛みしめるように、頬を緩めた。



 ——有能な側近に加えて、強力な相棒までゲットしてしまいましたわ!



 勇者の剣は重くて使えそうになかったから返却した。

今日は筋肉痛で腕が上がらないとは、さすがに言えない。


 もちろん、あの墓標に刻まれた想いに感じた心は偽りではない。

でも——あの剣は重かった。

いやいや、真剣に寄り添って、真心をこめたのは真実!

剣だけに。……そう、あの剣は重かった。


 夕暮れ、窓の外に差し込む光が三人の笑顔を照らす。


 その背に寄り添う銀の猫と、忠実なる侍女の眼差しを受けて。

 不敵な笑みは美しく。赤き魔豹のアビヒルテ。



 ——彼女こそ、やはり“真の悪役令嬢”なのかもしれない。



異世界転生者が問題を起こし、魔導書が脱走する世界で、

幻想図書館の外勤員ジョシュアが奔走する記録。

——空から堕ちた魔導書が、物語を動かす——

『幻想のアルキヴィスタ』本編 連載中です!

→ 本編はコチラ

 https://ncode.syosetu.com/n2841kw/

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