少年は英雄へ
続きです、書き溜めが続くうちは毎日投稿したいです
王都を離れて二日目の朝。
アクアは、海沿いの街――ミズリハに滞在していた。
穏やかな波が岸壁を洗い、小さな漁船が並ぶ港町。
潮の香りと魚の干物の匂いが漂い、白壁の家々には洗濯物が風にはためいている。
クレイン王国の豊かな領地の中でも、とりわけ静かで、穏やかな空気を持つ街だった。
だが、その穏やかさを破るように、町中では噂が渦巻いていた。
「聞いたか? クレイン家の第三王弟が行方不明らしいぞ!」
「アクア殿下だろ? 王都を無断で抜け出したとか……」
「これって、王国の未来に影響が出るんじゃ……?」
どこに行っても耳に入るのは、アクアの名前。
顔を見られぬよう、アクアは深くフードを被り、石畳の街を歩いた。
(……やっぱり、隠しきれなかったか……)
胸の奥に冷たいものが広がる。
だが足を止めるわけにはいかない。
それと同じ時刻。
アクアとは反対側の大通りを、一人の少女が歩いていた。
白装束に赤い袴。腰には鋼の刀を差し、背筋をまっすぐに伸ばして歩む。
異国の血を引いているのか、雪のように白い髪は陽光に銀色の輝きを放ち、その切れ長の瞳にはどこか冷たい気配すら漂っていた。
ミズリハの港町ではあまりに異質なその姿に、道ゆく人々の視線が自然と集まる。
「東洋の剣士か……?」
「巫女か侍か……いや、旅芸人か?」
ざわめきが後ろからついてきても、少女は振り返ることなく、淡々と歩みを進めていた。
(この街にいる……間違いない)
彼女の唇がわずかに動き、鋭い眼差しが霧の向こうを見据える。
まだ出会わない誰かを探すように
アクアは石畳を踏みしめながら、ふと港に並ぶ漁船を眺めた。
白い帆が潮風に揺れ、海鳥の鳴き声が青空に響く。
(……国を抜け出した? 王族としての責任? そんなもの、今は考えたくない)
深く被ったフードの下で、少年は小さく息を吐いた。
今の彼にあるのは、ただの十代の少年らしい好奇心と解放感。
市場を抜ければ、香ばしい焼き魚の匂いが鼻をくすぐる。
露店には珍しい貝殻細工や色鮮やかな布が並び、子どもたちが走り回っている。
「……はは、なんだよこれ。思ったより楽しいじゃん」
アクアは財布の重さを気にしつつも、焼き串を一本買って頬張った。
塩気の効いた魚の旨味が口いっぱいに広がり、自然と笑みがこぼれる。
(……これが一人旅か。悪くないな)
ほんのひととき、迷いも痛みも忘れて、アクアは“初めての自由”を楽しんでいた。
アクアは串を食べ終えると、腰の財布を確認した。
「……ん? なんか、札が増えてるような……」
眉をひそめ、すぐに苦笑する。
「……兄さんだな」
――その頃、王都。
静かな書斎で、ハーデスは机の上に置いた金貨袋に手をかざしていた。
次の瞬間、淡い光とともに金がふっと消える。
「金はなんとでもなる。お前はただ楽しみ、学び……そして探すだけでいいのだ、アクア」
転移魔法は母譲りの才。
彼はそれを、弟の旅支度のために惜しみなく使っていた。
「やれやれ、またかよ」
背後から聞こえた声に振り向けば、アズールが腕を組んで立っている。
「あまり税金を使いすぎると姉上に怒られるぞ?」
「父上の私財だ。問題はない」
「ははっ、言うねぇ」
二人の会話の奥にあるのは、弟へのただひとつの思い――
“アクアの旅が安全であるように”。
一方その頃。
同じ街の別の通りを、一人の東洋人の少女が歩いていた。
白装束と赤い袴に、腰の刀。
人々の視線を浴びながらも、彼女の歩みは一分の迷いもない。
彼女は心の奥で繰り返す。
――故郷で受けた“神託”。
まだ見ぬ「主」を探し出し、その隣に仕えること。
それが、自分の生の意味だと。
(この街に……いるはず)
少女の瞳が霧の中を鋭く見据える。
胸の奥に宿る確信が、足を止めさせなかった。
「ねぇママ、あのお姉ちゃん、なんか変な服」
無邪気な子供の声に、母親が慌ててその口を塞ぐ。
だが少女は立ち止まらない。
凛と背を伸ばし、ただ前だけを見据えて歩き続けた。
武士の誇りを胸に抱く彼女にとって、揶揄や好奇の目など、取るに足らぬものだった。
しかし、その足取りは次第に重くなる。
故郷から遠く離れ、休む間もなく旅を続けてきた疲労。
空を覆う雲は黒さを増し、やがて冷たい雨粒が頬を打った。
(……まだ……止まれない……)
濡れた髪が頬に張り付き、衣がしっとりと重くなる。
それでも少女は、使命に突き動かされるように歩みを止めることはなかった。
雨宿りをしていたら雨が激しくなってきた。
海も荒れ始めた。
風が変わった。
潮の匂いが、異様なまでに濃く、重くなる。
(……この気配は、災の前触れ……?)
彼女がそう思った刹那――
ドォォォン!!!
海が、吠えた。
高鳴る咆哮と共に、防波堤を越える高波が押し寄せる
轟音が街を揺らす。
黒い壁のような波が、防波堤を軽々と乗り越え――港町を呑み込もうとしていた。
「キャー!ママーッ!!」
悲鳴。さっき彼女を指差した子供と、その母親。
刹那、少女は考えるより早く動いていた。
足が濡れた石畳を蹴り、流れるように親子のもとへ。
「しっかり捕まって!」
腰の刀がわずかに鳴る。
だが抜かれることはない。ただ両の腕で母子を抱え、雨を裂くように跳躍する。
――ドシャァァァァンッ!
押し寄せる怒涛を背に、少女の姿は屋根の上へ。
濡れた瓦の上に軽やかに着地すると、息を整える間もなく次の動きを計る。
(……この波……ただの自然災害ではない。
まるで“何か”が、海の底から……)
少女の瞳が、荒れ狂う海へと細められた。
「なっ……!」
空を覆うほどの黒き壁。
叫ぶ人々、逃げ惑う群衆。
港町ミズリハは、一瞬にして混乱の渦に飲まれた。
だが、少女は動かない。
ただ一人、荒れ狂う海の方へ――鋭く視線を向けていた。
波の奥。
そこに、確かに“いた”。
歪んだ黒影。
人の形に似て、人の形を冒涜した異形。
潮に溶け込み、津波そのものを操っているかのような――魔の気配。
(……やはり、これはただの自然ではない……!)
雨に濡れた髪がはためく。
少女は、刀の鞘に指をかけた。
カチリ――
静かな音が、轟音に混じって響いた。
群衆が逃げるその逆へ。
少女は、ただ一人、波へと歩み出す。
「……奴が元凶。
この国を……海ごと飲み込む気か」
静寂。
その刹那に走るは、ただ一条の閃光。
ザシュッ!!
水気を裂き、奔流を両断する斬撃が走った。
波が悲鳴のように割れる――しかし。
ドゴォォォォンッ!!
次の瞬間、黒き影が波の奥から躍り出た。
斬られたのは“外殻”に過ぎない。
津波と同化した本体はなお健在で、逆にその姿をあらわにする。
蠢く黒鱗、災厄そのものを纏った魔の異形。
大口を開き、街を呑み込まんと迫る。
「っ……!」
刀を振り抜いた少女の顔が、一瞬だけ険しく歪む。
(……足りない。奴の本体には……届かない――!)
雨は土砂降りに。
港町を揺らす轟音の中、刹那、彼女の背に初めて焦燥が走った。
次の瞬間だった
「──貫け、トライデント!!」
轟音を裂き、少年の声が港に響いた。
次の瞬間、閃光のように放たれた三叉槍が空を走る。
ドオオオオォォンッ!!
トライデントは迷いなく、荒れ狂う津波の中心を突き抜けた。
瞬間、波が悲鳴を上げるように震え、黒き魔の影を穿ち砕く。
バキィィィンッ!
砕け散る波の巨体。
轟きは空へと響き渡り、曇天をも引き裂いた。
雲が左右に割れる。
重く垂れ込めていた雨雲は裂け、真っ直ぐな青空が覗く。
陽光が差し込み、雨は止み、荒れ狂っていた港に静寂が訪れた。
槍を呼び戻すように、少年の掌に光が収束する。
そこに立つのは──フードを脱ぎ捨て、蒼き瞳を光らせる青年。
アクア・クレイン。
海を割り、光を呼び戻すその姿に――
紫苑の瞳が大きく揺れる。
「……っ」
刀を握る手が、震えた。
恐怖ではない。驚きでもない。
胸の奥底で、ずっと待ち続けていた“何か”が、応えるように脈を打つ。
(この人……この方こそ……)
潮風に翻るフード。
濡れた髪を払う仕草。
その全てが、彼女の胸に突き刺さる。
東洋の少女は、ただ立ち尽くしていた。
“まだ見ぬ主”を探して歩いてきたその旅が、いま終わりを告げ、始まりを告げたのだと――直感で理解した。
雨雲は裂け、空に黄金の光が差し込む。
濡れた街並みを照らし出し、その中央に――二人は向かい合っていた。
紫苑の口元が、震える。
「……貴方は……その槍は……」
アクアは警戒と戸惑いを隠せないまま、少女を見返す。
「君は……?」
風が、二人の間を吹き抜けた。
まるで天地そのものが、この瞬間を祝福しているかのように。
紫苑は姿勢を正し、深々と頭を垂れる。
「私は――紫苑・スメラギ。
神託に従い……ずっと、貴方を探しておりました」
その声音は、揺るぎない確信。
けれどアクアの胸には、ただ困惑が広がっていた。
ここに初めて、運命の交わりが生まれた。
この日の夕方
クレイン王国全土を揺るがす報せが、矢のように駆け抜けた。
《速報!》
《隣国ミズハファレンツァにて発生した“津波型魔物災害”──それを鎮めたのは、なんとクレイン王家第三王弟・アクア・クレイン殿下!!》
街角の掲示板に貼られた号外、酒場で読み上げられる報道。
どこもかしこも「アクア」の名で持ちきりだった。
「すげえ……!王弟殿下が、たった一人で災害を止めたってのか!」
「いや、前から海神に愛された子だって噂だったけど……本当だったんだな!」
「クレインの血はやっぱり本物だ! ノーザ様に、ワイアット様に続く英雄だ!」
商人たちの口からは畏敬の言葉が、子供たちの瞳には憧れの輝きが灯る。
そして人々の胸にはひとつの共通した感情があった。
現地の被害は軽微にとどまり、救出された民の数は200人を超える。
なによりも、国民の信頼を得たことは、政治的にも大きな意味を持っていた。
──「第三王弟は、落ちこぼれなんかじゃない」。
それは瞬く間に王都から国中へ、嵐のように広がっていった。
王都広場には、会見台に立つ若き女王――
ディアドラ・クレインの姿が映し出されていた。
女王会見
ディアドラは淡い水色の礼服に身を包み、冷静な表情でカメラを見据える。
「このたびの件につきましては、あらかじめ私の判断により、第三王弟・アクア・クレインを密かに現地へ向かわせておりました」
ざわめく記者陣。だが彼女は微笑みを浮かべ、続ける。
「“海神の力を受け継ぐ”彼こそが、あの魔物への最適解でした。
結果は……皆様がご覧の通りです」
一拍置いて、ディアドラは胸に手を置き――少しだけ、得意げに笑った。
「彼はまだ未熟な旅人ではありますが、私の誇り高き弟です。クレイン王家の名を背負うにふさわしい者として、今後とも見守っていただければ幸いです」
──その言葉に、拍手が巻き起こった。
まるで最初から“全てを見通していた”かのような言い回し。
まさしく、父譲りの「場の支配者」としての才覚が垣間見えた瞬間だった。
豪奢な部屋の窓辺。
シーナ・ユークリッドは報せを伝える使いの声を聞き、唇を噛みしめた。
「……何よ、それ……!」
絹のドレスを握りしめる指先が白くなる。
「逃げ出したと思ったら……ヒーロー気取り?
ふざけないで。そんなの……偶然よ……たまたまよ……!」
声が震える。
だがその震えを、怒りで押し殺すように吐き出した。
「どうせ長くは続かない……!
アクアは“落ちこぼれ”なの。私が見限ったのは間違いじゃない……!」
──だが、その瞳の奥には、かつて海辺で夢を語り合った頃の少年の面影がちらつき、消えないでいた。
隣でグラスを傾けていたレグナス・ガルマが、ゆるりと視線を向ける。
「……嫉妬か?」
低く、からかうような声音。
シーナはビクリと肩を震わせ、すぐに首を振った。
「ち、違うわ! 私は……現実を見てるだけ」
レグナスは鼻で笑う。
「ならいい。俺にとってはどうでもいい話だが……
“落ちこぼれ”が思いのほか人々に受け入れられているのは、王国にとって不都合かもしれんな」
彼の何気ない一言が、シーナの胸に重くのしかかる。
アクアが“称賛される存在”になっていくこと――それが自分の選択を否定することにつながるのだから。
――シーナ・ユークリッドの胸に広がっていたのは、悔しさと、抑えきれぬ欲深さだった。
かつて「落ちこぼれ」と見下した少年が、人々に讃えられ、称賛される姿。
それは、自分の選んだ“現実”を揺るがす光景だった。
(……いいえ。まだよ。
あんな男が、私より上に立てるはずがない。
必ず――手に入れてみせる。名誉も、栄光も、何もかも)
少女の笑顔はもうなく、残されたのは野心に塗り潰された眼差しだけだった。
一応設定上での兄弟の年齢
ディアドラ23歳、アズールとハーデス21歳、アクア17才




