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出会い、別れ

続きです。

今回は1話との立場逆転、シーナのどのツラ感を強調してます

まだ陽の昇りきらぬ早朝。

港の空は淡く白み、波間を抜ける風が冷ややかに頬を撫でる。

その静けさの中を、巨艦マリアライト号がゆるやかに入港していった。


白亜の家並みと青い屋根が丘を覆う──そこは「白の国・アステリア」。

陽光を受けて輝くその景観は、まるで宝石を散りばめたように眩しく、アクアは思わず目を細めた。


桟橋に渡されたタラップの前で、アクアは足を止める。

振り返れば、甲板に立つ兄の姿。海風になびく外套、そして変わらぬ笑み。


「兄さん、送ってくれてありがとう」


「気にするな」アズールは短く答えた。

「お前の旅路に祝福を。……それと、困ったことがあればいつでも俺を呼べ」


「うん」


互いの言葉はそれだけだったが、十分だった。

アクアは深く頷き、タラップを降りていく。


後ろでは紫苑が無言で付き従い、メグはあくび混じりに荷物を肩へ引っかけていた。

三人の旅は、こうして新たな国へと歩みを進める。


振り返った時には、もう兄の姿は朝靄に溶けて見えなくなっていた。


桟橋を離れ、白の国アステリアの街並みが視界に広がっていく。


眩しいほどに磨かれた白亜の石造りの建物が丘の斜面に連なり、窓辺には色とりどりの花が咲き、青い屋根が朝日に反射してきらめいていた。

入り組んだ小路を抜けるたびに、潮風とともにオリーブや果実の香りが漂ってくる。

海と空の青、街並みの白、その対比はまるで絵画のようで──アクアは思わず息を呑んだ。


「わぁ〜〜! すっごーい! ほんとに真っ白なんだね! 見て見てアクアきゅん、屋根まで青いよ! ねぇ、丘の上のお城まで真っ白だよ! わー、あっちの市場からいい匂いもする〜!」


メグは子供のように両手を広げて、きょろきょろと辺りを見回している。

街に一歩足を踏み入れた瞬間からそのテンションは爆上がりで、すれ違う人々さえ苦笑するほどだった。


紫苑はそんな彼女を横目で見て、小さくため息をつく。


「……一番の年長者が、あんなにはしゃいで……」


呆れた声に、アクアは苦笑を返すしかなかった。


──だが、この美しい白の国には、もうひとり。

アクアにとって決して忘れられない存在もまた、足を踏み入れていた。


シーナ・ユークリッド。

かつてアクアの幼馴染として誰よりも近くにいた少女。

だが今の彼女は、かつての輝きを完全に失っていた。


世間の目を逃れるように、冒険者ギルドの最下層──Fランクの身分証を掲げ、細々と依頼をこなす日々。

それも報酬は雀の涙で、まともな装備も維持できず、ただ放浪しているだけに等しかった。


街の人々にとって、彼女はもう“誰でもない”。

一度は将来を嘱望された才媛が、なぜここまで落ちぶれたのか──その真相を知る者はほとんどいない。


そして、シーナ自身もまた。

心のどこかで、いつか“彼”と再び相まみえることを恐れながら、この国を彷徨っていた。


白の国アステリアの片隅、薄暗い下宿屋の一室。

机の上には使い古された剣と、擦り切れたマントが無造作に置かれていた。


シーナはその脇で、新聞を広げていた。

活字に踊る見出し──


《クレイン王国の艦隊旗艦マリアライト号、今朝アステリアに入港》


その一文を目にした瞬間、シーナの胸が大きく脈打つ。


「……アクア……!」


かすれた声が、思わず唇から零れる。

失った日々、手放したもの。

もう二度と取り戻せないと思っていたすべてが、今、目の前に現れるかもしれない。


新聞を握る指先に、かすかな震え。

それでも彼女の瞳には、久しく失われていた光が戻りつつあった。


「来てくれたのね……」


その囁きは、誰にも届かない。

ただ薄暗い部屋の中に、彼女ひとりの希望のように響いて消えていった。


朝刊を畳むと、シーナは立ち上がった。

椅子の背に掛けてあったマントはほつれだらけ、旅装は色も褪せて泥にまみれ、もう見栄えなど取り繕えない。

それでも彼女は鏡の前に立ち、わざと口角を吊り上げて“笑み”を作った。


【第三王弟アクア・クレイン、再び偉業!】

砂漠に突如湧き出た巨大オアシス、

貴族令嬢を救出し、またしても英雄として名を馳せる!


新聞の写真に写るアクアの笑顔を指でなぞりながら

シーナは目が虚ろに潤んで、歪んだ微笑みを浮かべる


「ふへぇ♡ やっぱり、アクアはすごいねぇ♡ えらいなぁ♡ かっこいいなぁ♡」


歪んだ、どこか壊れたような笑み。

それは自分を鼓舞するための仮面であり、同時に周囲に投げかける挑発のようでもあった。


「さあ……会いに行こう♡」


誰もいない部屋に向かって甘く囁く。

まるで恋人に逢いに行く少女のように──いや、それ以上に狂おしい響きをもって。


「わたしが悪かったの……」

「でも、でも、でもね?」


彼女の瞳が揺れる。

苦悩とも期待ともつかない光を宿しながら、握りしめた拳は小刻みに震えていた。


「アクアなら……許してくれるよね……?」


もし第三者がその場にいたなら全力でツッコミを入れたに違いない。


けれど、今のシーナにとってそんな理屈はどうでもよかった。

ただ一縷の望みにすがるように、彼女はボロボロの姿のまま街へと歩き出すのだった。


シーナは街の大通りから裏路地まで、必死に駆け回っていた。

人混みをかき分け、擦れ違う商人に罵声を浴びせられても、もう気にしてはいられない。

ただ一人──アクアを探すために。


そして。


市場の喧噪の中、ついにその姿を見つけた。

少年の背は以前より逞しく、仲間を率いて歩くその歩調は、もう“かつての臆病な幼馴染”ではなかった。


シーナの胸が高鳴る。

「見つけた……!」

その瞬間、彼女の歪んだ笑みは歓喜にほころびかけ──


だが。


アクアのすぐ隣を歩いていたのは、あの時の見慣れぬ東洋人の少女だった。

銀糸のような髪を高く束ね、和の侍服に身を包み、凛とした気配を纏っている。


シーナの視界が揺れた。


(……誰……?)


心の中で、ぱきん、と音がした。

氷が割れるように。

張り詰めていた自尊心の膜が、鋭い棘で突き破られるように。


歓喜の笑みは一瞬で凍り付き、胸の奥に渦巻いたのは――嫉妬。


シーナの視線は、もうアクアの隣にいる“東洋の少女”から離れなかった。

彼女の笑み、仕草、立ち位置──どれもがシーナの神経を逆撫でする。


(あの女は誰? 何者なの? どうしてあんなに自然にアクアの隣に立ってるの?)


鼓動が速まる。

呼吸が荒くなる。


(……違う。あそこは私の場所。幼馴染の、私だけの場所だったはず。

 アクアは……私のこと、忘れてないよね? 忘れてるわけない。忘れてるはずがない!)


思考は渦を巻き、収拾を失う。

理性が止めようとしても、歪んだ感情が洪水のように溢れていく。


(ねえアクア。どうして? どうしてその女と一緒にいるの?

 私を探してくれてたんじゃないの?

 私を待っててくれたんじゃないの?

 私じゃなくてもいいの……?)


――ぐるぐる、ぐるぐる。

嫉妬と未練と執着が絡み合い、脳内で暴走を始める。


シーナの笑みは、喜びでも悲しみでもなく、ただ危うい熱を孕んだ歪みへと変わっていった。


そんな事はお構い無しに観光を楽しむ3人

白亜の街並みを抜ける潮風は爽やかで、道端には色鮮やかな花が咲き乱れ、石畳を歩くたびに眩しい光が跳ね返った。

遠くの丘に連なる青い屋根と白壁の家々は、まるで絵画の中の風景そのもの。


アクアは深く息を吸い込み、思わず口にしていた。

「……すごい綺麗だな。風も、潮の匂いも」


「ええ……まるで神々の庭園のようです」

紫苑が感嘆の吐息をもらし、ふと振り返って微笑む。

「殿、ここで一時、羽を休めてはいかがです?」


「いいねぇ〜♡」

大きな伸びをしたメグが、両手を空に投げ出す。

「太陽と海とスローライフ〜!いや〜引きこもり卒業して良かった〜!」


楽しげな笑い声が、白の国アステリアの街並みに溶けていく。

旅の仲間としての温かさ、穏やかで明るい空気──そこには影ひとつなかった。


だが。

その光景を、遠くの人混みの陰から凝視している視線があることを、彼らはまだ知らない。


石畳の角、建物の陰。

シーナは人目を避けるようにして、じっと三人の姿を見つめていた。


(ああ……アクア……)


白亜の街を背景に、アクアが笑っている。

潮風に髪を揺らし、仲間と並んで歩くその姿は、かつて自分の隣にいた少年とは別人のように逞しかった。


(こんなに綺麗な場所で……笑ってる……)


胸の奥に、どうしようもない感情が込み上げる。

懐かしさ。後悔。寂しさ。

そして──それ以上に燃え上がるのは、嫉妬。


紫苑がアクアの隣で穏やかな笑みを浮かべている。

凛とした佇まい、和の装い、そして目を引く肢体。


(……紫苑。あの女が……)


握りしめた拳が震えた。

(アクアの……なんなのよ……!?)


怒りと嫉妬の矛先は、今や完全に紫苑へと向けられていた。

アクアに笑いかける紫苑の横顔を見るたび、胸の奥で何かがぎりぎりと音を立てる。


歪んだ笑みはもう消え失せ、シーナの瞳に宿るのはただ、執着の炎だけだった。


市場の広場に差しかかったところで、メグが大きな声を上げた。


「わ〜〜! アイス屋さん発見〜♡ あたしはここで休憩してるから、二人で観光してきたら? ついでに宿も探しといて〜!」


アクアと紫苑が振り返る間もなく、メグは既に屋台へ突撃していた。

背中を見送るしかない二人。


「……仕方ないですね」

紫苑が小さく微笑む。

「こうして殿と二人きりで歩くのは……なんだか、くすぐったい気持ちです」


「え、あ、うん……」

アクアは思わず耳まで赤くなる。

「こっちこそ。紫苑とこうして一緒にいられるの、なんか嬉しい……っていうか、落ち着くかも」


白亜の街並みを抜ける潮風は涼やかで、遠くの鐘楼からは朗らかな鐘の音が響く。

人々の喧噪の中でも、不思議と二人だけの空間がそこにあった。


紫苑はそっとアクアの隣に歩を寄せる。

「……殿はいつも前だけを見て進もうとされるから。

 その背に寄り添えるのが、少し誇らしいのです」


「紫苑……」


互いの視線がふと交わる。

潮風が二人の間を吹き抜け、ほんの一瞬、時間が止まったように感じられた。


人混みの陰。


シーナは足を止めることなく、一定の距離を保ちながらアクアたちを追っていた。

笑顔など、とうに消えている。

だがその瞳だけは、獲物を逃すまいとする猛禽のように、アクアの背中にしがみついて離さない。


(……なにそれ……)


街角で交わる二人の視線。

紫苑に向けて浮かべられた、アクアの柔らかな笑み。


(なんなのよ……そんな顔、私だって見たことない……!)


胸の奥で何かがぐらりと揺れる。

嫉妬、憎悪、そしてどうしようもない執着。


(なんで……なんで私じゃなくて……その女に……!)


噛みしめた唇から血の味が滲んでも、目は逸らせなかった。

彼の隣を歩く紫苑の姿は、シーナにとって耐えがたいほど眩しく、憎らしかった。


シーナは石壁の影に身を潜め、じっと二人を追っていた。

その瞳に浮かぶのは、熱に浮かされたような執着。


(……そうよ。あの女さえいなければ……)


アクアが紫苑に向ける笑みが脳裏に焼き付くたび、胸の奥に黒い炎が渦を巻く。


(私の位置に立つのは私だけ……! アクアの隣で笑えるのは、幼馴染の私だけ……!)


彼女の中で、妄想が形を持ち始める。

紫苑が道端で足を取られ転ぶ光景。

紫苑が人混みに紛れてはぐれ、アクアの視界から消える光景。

そして──アクアが振り返り、自分に手を差し伸べてくる光景。


(ねぇアクア……やっぱり私のこと、忘れられなかったんでしょ?

 ほら、やっぱり私が一番……!)


歪んだ笑みが、また口元に浮かぶ。

現実の彼女はただ物陰から覗き見ているだけなのに、妄想の中ではすでにアクアの隣を取り戻していた。


白い石畳の坂道を抜けると、眼前に紺碧の海が広がった。

港を見下ろす小さなカフェのテラス席に腰を下ろしたアクアと紫苑。

潮風に混じる甘い香りと、波音のリズムが二人を優しく包む。


アクアはカップを手に取り、少し照れくさそうに口を開いた。


「……こうして紫苑と旅してると、なんか思うんだ。

 俺、紫苑に出会えて良かったって」


紫苑の瞳が大きく揺れる。

頬に淡い朱が差し、慌てて視線を逸らした。


「……っ。殿、そんな……改まって言われると……私も、どう返せばいいのか……」


アクアは少し笑って、真っ直ぐに彼女を見た。

「返事なんていらないよ。ただ……紫苑が隣にいてくれると、落ち着くんだ。

 今までの俺にはなかった気持ちだから」


紫苑は胸に手を当て、深く息をついた。

「……ならば私も、殿に寄り添うことを誇りに思いましょう。

 この命が続く限り、殿と共に在りたい……そう思っております」


潮風がふたりの髪を撫で、時間が緩やかに流れていく。

言葉よりも確かなものが、この小さなテラスに満ちていた。


アクアは紅潮した頬を隠すように、カップを両手で包み込む。


(あんなこと言われちゃった……紫苑が命の限り隣にいたいって……はぁ……結婚したいな……)


心臓が跳ねる。

頭の中に浮かぶのは、紫苑と笑い合う未来。

思わず自分で自分にツッコミを入れたくなるが、止められない。


一方で紫苑もまた、言葉を口にした直後から顔を伏せ、唇を噛んでいた。


(わ、私は何を……! “命の限り共に”なんて……まるで、めおとになりたいと……うっかり本心を漏らしてしまったような……///)


彼女の胸の鼓動は、まるで戦場の太鼓のように激しく響いている。


二人の沈黙はぎこちなく、けれど不思議と心地よい。

潮騒と笑い声が混じる街の音が、そんなふたりを優しく包んでいた。


──その後も、アクアと紫苑は並んでアステリアの街を歩いた。

海沿いの小路を散策し、露店で土産物を眺め、丘の上の小さな聖堂を訪ねる。

どこに行っても、二人の視線がふと合って、照れ笑いで逸らす。


時間はあっという間に過ぎ、空はオレンジ色に染まり始めた。

白い街並みが夕陽に照らされ、まるで黄金に輝く宮殿のように浮かび上がる。


アクアと紫苑は肩を並べ、夕暮れの中を歩いていた。


─夕暮れの街角。


人混みの陰に潜みながら、シーナは二人の姿を追い続けていた。

アクアが紫苑に向けて見せる柔らかな笑顔。

肩を並べて歩き、楽しげに言葉を交わす二人の光景。


胸の奥で、鋭い棘がひりつくように突き刺さる。


(どうして……? そんな女に……笑うの?)


拳を握りしめ、爪が食い込む。


(私だって……昔はあんな風に、アクアと笑ってたのに……!)


思い出すのは、幼き日の光景。

笑い合った時間。

すれ違い、裏切ったあの日。


(アクア……あの時のこと、まだ許してくれないの?)


胸がきしむ。

言葉にならない想いが喉にせり上がる。


(私を……見てよ……)


必死に堪えていたはずの感情が溢れ、

その瞳から、涙がぽつりと零れ落ちた。


白い街並みを抜けた丘の上。

そこはアステリア随一の絶景スポットと呼ばれる高台だった。

眼下には紺碧の海が広がり、黄金色に染まる夕日が水平線をゆっくりと沈んでいく。


アクアは思わず息を呑んだ。

「……夕日、すごいな……」


紫苑も隣で見惚れ、静かに微笑む。

「本当に……。まるで、殿と私の旅路を祝福してくれているようです」


彼女はそっと手を差し伸べ、アクアの手を握った。

驚いたアクアだったが、すぐに握り返し、紫苑の瞳を真っ直ぐに見つめる。


ふたりの距離が、ゆっくりと縮まっていく。

夕日に照らされた横顔。

重なりそうな視線。

そして──


──寸でのところで。


「ねぇ……」


空気を裂くような声が割り込んだ。


「その女、誰?」


突如として現れたのは、ボロボロの旅装に身を包んだ少女。

かつてアクアの幼馴染だったはずの、シーナ・ユークリッド。


その瞳には涙の跡と、燃えさかる嫉妬の炎が宿っていた。


「ねぇ……アクア? その女……誰なの?」


夕暮れの空気を裂くように、背後から声が飛ぶ。

次の瞬間には、連続する言葉が雨あられのように降ってきた。


「ねぇ……ねぇねぇねぇねぇねぇ……」


アクアは反射的に振り向いた。

そこに立っていたのは、擦り切れた旅装を纏い、乱れた髪を風に揺らす少女。


「……シーナ……?」


呼びかける声に応えるように、彼女は壊れた笑顔を浮かべた。


「ふふっ……やっぱりアクアだ♡ 久しぶりだね♡

 ねぇねぇ、私のこと覚えてるよね? 幼馴染の……シーナ・ユークリッド♡」


その笑みは甘く、しかしどこか狂気を孕んでいた。


シーナの視線が、隣にいる紫苑へと突き刺さる。

敵意を隠そうともせず、鋭い棘のような声を放った。


「で、あなたは誰? アクアとどういう関係なの?

 旅のお供? それとも……お世話係? ……なに、恋人なの?」


嘲るように笑い、けれどその瞳は燃え盛る炎のように揺れている。


「笑っちゃうよね、ふふっ♡」


紫苑の存在を許さぬかのように、シーナの狂気は夕陽の赤に染まって膨れ上がっていった。


夕陽に染まる高台で、アクアは静かに口を開いた。

その声音は、かつての彼なら決して出せなかった落ち着きに満ちていた。


「……ごめん、シーナ。今、話せることは何もないよ」


「え……」


シーナの顔から、笑みが剥がれ落ちる。

動揺を隠しきれず、言葉を探しても喉が震えるばかり。


アクアは視線を逸らさず、紫苑の手を引いた。

「行こう、紫苑」


「はい」

紫苑はシーナに一礼し、静かにアクアと共に歩き去っていく。


──残されたのは、シーナひとり。


風が吹き抜け、夕陽の輝きが街を黄金に染める中、彼女の影だけが取り残されていた。


「……ま、待って……待ってよ、アクア……」


伸ばした手は空を掴むだけ。

答えのない呼びかけが、虚しくこだまする。


「なんで……あたしじゃダメなの……?

 ねぇ……どうして……?」


夕焼けの空に滲むその声は、涙と共に震えながら消えていった。


涙を浮かべ、立ち尽くすシーナの背に、軽い声が降ってきた。


「よっ、さっきの見てたよ〜」


「……え……?」

振り返ったシーナの目の前に、見知らぬ女が立っていた。

黒いローブを羽織りながらも、手にはアイスを片手に持ち、にこにこと微笑んでいる。


「……誰……?」


「ん? あ、ごめん♡」

女は軽く手を振り、悪びれる様子もなく名乗った。


「私、アクアきゅんの旅のお供♡

 酒とチョコミントアイスと、あと年下のイケメンが大好きな大賢者でーす!」


「…………」


涙目で呆然とするシーナをよそに、メグはぺろりとアイスを舐めてニッコリ。

その顔には“全部見てました”と言わんばかりの悪戯っぽい輝きがあった。


メグはニコニコ笑顔のまま


「アクアきゅんには紫苑ちゃんがいるんだから、邪魔しちゃぁダメだよ?」


──ギリ。

シーナのこめかみで、目に見えぬ亀裂が走る音がした。


「ねぇ、シーナちゃんっていうんだっけ?」

わざとらしく首を傾げ、メグは楽しげに言葉を重ねる。

「アクアのこと好きなんでしょ? ……なんかね、すっごい“重さ”を感じるもん♡」


「…………」

シーナの唇がわなわなと震える。


メグはまるでそれを観察して楽しむかのように、さらに言葉を畳みかけた。


「でもさぁ〜、気になるんだよね。

 なんで“元カノ面”してるの?、アクアの隣にいないでしょ?」


「……うるさい」


「ねぇ、なんで?」


「やめてって言ってるのに!!」


叫び声が、夕暮れの空気を裂いた。

メグは涼しい顔で肩をすくめ、アイスをかじる。

その笑みはまるで、泣きじゃくる子供をからかう大人のように、どこまでも意地悪だった。



「アクアは、あたしの……たった一人の男だったのに!!

 なのに、あんな知らない東洋人と!! なんであたしじゃないのよ!!」


──出た。

メグは心の中で拍手を打ち鳴らした。


(はい来ました〜♡ 幼馴染ムーブの大崩壊! いや〜最高だわ、この修羅場。予想通りすぎてむしろ芸術点満点♡)


彼女はわざとらしく肩をすくめて口にする。

メグはこの状況を楽しんでいた


「重〜〜♡ でも、恋ってそういうもんか〜」


(うんうん、いいよいいよ、その顔! ほら、もっと歪んで、もっと涙見せて!)


メグは狩人が獲物を追い詰めるみたいに、じわじわと距離を詰める。

声のトーンは楽しげに、それでいて確実にシーナの心をえぐるように。


「……でもねぇ? アクアきゅんは“今”を旅してんの。だから──残念だったね♡」


その一言で、シーナの瞳がギラリと光る。

「……あんたたち、潰す……」


──はい出た。

メグの心は歓喜に震える。


(キターーー! “潰す”宣言! うわ〜、最高すぎる! これだから地雷女観察はやめられないんだよね♡)


思わず小さく飛び跳ねたくなる気持ちを抑えながら、メグはわざと大げさに手を振った。


「ひゃ〜♡ やば〜♡ 地雷女ってほんと最高! またね〜♡」


軽やかに立ち去る背中は、完全に勝者の余裕。

残されたシーナの荒い息遣いと震える肩を、メグは最後まで楽しげに見届けていた。


メグが去ったあと、残されたのはシーナひとり。

夕暮れの風が吹き抜ける中、彼女は肩を震わせ、涙を拭おうともしなかった。


「……あたし、負けない……絶対に……♡」


壊れた笑みを浮かべ、胸に手を押し当てる。


「もう、二度と……アクアから離れたりしないんだから……♡」


その言葉は誰にも届かず、夕闇に溶けて消えていく。

けれど彼女の目だけは、狂おしいまでにアクアを追い続けていた。


──アクアたちは進む。

仲間と共に、新しい景色を目指して。

成長し、歩みを止めぬ旅路へ。


──シーナは止まる。

壊れたまま、過去に縋りつき、ひとりその場に。


かつて共に夢を語った幼馴染。

その立場は、今や完全に逆転していた。


夕陽は沈み、夜の帳が白い街に降りていく。

進む者と、壊れた者──その対比だけを残して。


その夜。

アステリアの宿に落ち着いたアクアたちは、旅の疲れを癒すようにくつろいでいた。


メグはベッドに寝転がりながら、ひょいと足を揺らして口を開いた。


「いや〜、今日のあの子やばかったよ〜。完全に“地雷女”って感じ? ちょっと観察するだけでワクワクしたもん♡」


紫苑は眉をひそめ、そっと問い返す。

「……誰の話です?」


アクアはしばし沈黙したのち、静かに答えた。


「……シーナ・ユークリッドだよ」


メグはにやりと笑って身を起こす。

「あ、名前知ってた♡ やっぱ知り合い?」


「……ああ。知り合いも何も──」

アクアは目を伏せ、少しだけ苦い笑みを浮かべた。

「俺の、幼馴染だよ。……初恋の人だった」


その言葉に、紫苑の肩がわずかに震える。

「……え」


彼女の胸に、名もなきざわめきが広がっていく。


アクアはしばらく黙っていた。

紫苑とメグの視線を受けながらも、言葉を選ぶように、ゆっくりと口を開く。


「子供の頃は、よく一緒に遊んだ。……彼女は貴族の娘で、俺は王の末弟。

 身分なんて関係なくて、ただ笑って、一緒に駆け回って……楽しかったよ。

 優しくて、明るくて、でも……」


そこで言葉を切り、アクアは少し目を伏せた。

灯りに照らされた横顔に、苦さが滲む。


「俺には“王にはなれない”って、昔から分かってた。

 姉や兄が立派だからこそ、俺の出番なんて無いって思ってたんだ。

 だけど──シーナは、きっと“王妃になること”を夢見てたんだと思う」


アクアの声がかすかに震える。

笑顔の記憶と、今のシーナの姿が、胸の中で激しくぶつかり合っていた。


アクアは自嘲気味に笑って、両の拳を膝の上で握りしめた。


「……でも、もう大丈夫だよ。

 シーナは過ぎた過去の人だ。俺には紫苑がいる。メグもいてくれる」


その言葉に、紫苑の胸が熱く震えた。

視界が滲む。

「っ……殿ぉ〜!!」


堪えきれず、彼女はアクアの胸へ飛び込むように抱きついた。


「殿に何があっても! 私は殿に……お仕えします……!

 絶対、絶対に離れません……!!」


震える声と共に、熱い涙がアクアの肩を濡らす。

アクアは少し驚きながらも、彼女の背に手を回し、そっと抱き留めた。


「……ありがとう、紫苑」


そんな二人を見て、ベッドに寝転がっていたメグは目を細めた。

「泣けるねぇ〜。ほんっと泣けるわ」


涙を拭うような仕草をしながら、くしゃっと笑う。

「アタシもね、アクアと紫苑が大好きだよ。……ほんと」


泣き笑いの声が、温かな宿の部屋に響いていた。


夜。

宿の奥にある岩風呂の温泉。

湯けむりが静かに立ちのぼり、月光に照らされた水面が揺れている。


アクアは肩まで湯に浸かり、大きく息を吐いた。

「はぁ〜……やっとサッパリできた……。いろいろあったけど」


目を閉じ、湯の熱に身を委ねていると──


チャプ……と、波紋が広がる音。

静かに近づいてくる気配に、アクアの目がカッと開いた。


「……え?」


月光に濡れる銀髪。

真剣な瞳。

そこに立っていたのは──紫苑だった。


「失礼致します、殿。ご一緒してもよろしいでしょうか?」


「うわっ!? 紫苑!? い、いやいやここ混浴だけどさ!? さすがに──!」


アクアの慌てぶりをよそに、紫苑は真顔で湯に浸かり始める。


「主従の関係において、湯浴みの同行は当然のことでしょう。

 それに……以前も背中を流しております」


「そ、それは非常事態だったじゃん! 今回は──」


言葉を遮るように、紫苑はまっすぐアクアの目を見据えた。

湯けむりの向こう、その瞳は揺るがぬ忠誠心に燃えている。


「──殿がお望みなら、私はどこまでもお供します。

 それが、私の務めですから」


「……っ」


チャプ、チャプ、チャプ……

またもや水音が近づき、アクアの耳がぴくりと動いた。


「え、まさか……」


「よっこいしょ〜♡ お邪魔しまーす♡」


「め、メグ!?」


湯けむりの向こうから、頬を赤らめたメグが肩まで湯に浸かって現れた。

髪をゆるくまとめ、いつものだるそうな雰囲気のまま、気持ちよさそうに腕を広げる。


「いや〜温泉と聞いちゃ黙ってらんないでしょ〜♡ 旅の疲れはちゃんと取らないとね〜」


「お、おいおい……!」

アクアの顔は真っ赤だ。


紫苑はそんなアクアを横目で見つつ、真顔で言葉を継ぐ。

「殿。混浴である以上、同じ仲間が共に入るのは自然なこと。問題はありません」


「いやいやいや! 問題しかないから!!」


メグは両手で湯をぱしゃぱしゃ叩き、ケラケラと笑った。

「アクアきゅん、顔真っ赤♡ かわいい〜♡ あ〜最高、こういうの青春って感じだねぇ!」


湯けむりの夜、温泉はすっかり修羅場──いや、笑いの渦に包まれていた。


「てかさ〜紫苑!」

メグが湯に浸かりながら、にやっと悪戯っぽく笑う。

「お湯にタオル浸けるのはマナー違反だよ? ほらほら〜! タオル取れ取れ〜!」


「きゃっ!? メ、メグ殿!!」

紫苑は慌てて胸元を押さえ、顔を真っ赤にして後ずさる。

「な、なりません! これは殿に無礼を働かぬための──!」


「うそうそ〜♡ でもさ〜、紫苑ちゃんってホント真面目すぎ♡ もうちょい力抜かないとダメだよぉ〜」

メグはケラケラ笑いながら、わざとらしく湯をばしゃばしゃ。


アクアは両手で顔を覆い、湯船の中で崩れ落ちる。

「ちょっ……やめて……俺の……心のキャパが……限界近い……!!」


額にじわりと浮かぶ汗が、温泉の熱なのか、羞恥の熱なのか判別できなかった。


湯けむりの中で繰り広げられるドタバタ劇。

メグの笑い声、紫苑の慌てる声、そしてアクアの情けない悲鳴。

宿の温泉は、まるで旅路の一幕を象徴するかのように賑やかだった。


──だが、その光景を遠くから覗き見ている影があった。


岩陰。

月明かりに照らされるその顔には、涙の跡が光っている。

シーナ・ユークリッド。


彼女は声を押し殺しながら、必死にその場にしがみつくように、アクアの姿を見つめていた。


(……どうして……どうして、あの女たちと……)


拳を握りしめ、唇を噛み切らんばかりに震わせる。

こぼれ落ちる涙は止まらず、湯けむりに溶けて消えていった。


──誰も知らなかった。

この温泉の夜が、後に大きな嵐を呼び込む前触れであることを。


宿の縁側に腰を並べ、三人は湯上がりのジュースを手にしていた。

頬を撫でる夜風は涼しく、月明かりが白い街並みをやさしく照らしている。


アクアはカップを傾け、満足そうにため息をついた。

「……うん、今日は本当に癒されたなぁ。

 温泉に、観光に……なんか、幸せすぎて怖いくらいだよ」


紫苑は横顔に目を向け、真剣な声で答える。

「殿がそう仰るなら……我が身に代えてでも、この平穏を守りましょう」


「……紫苑……」

アクアの胸が、じんわりと温かさに包まれる。


そんな二人を横目に、メグはストローでジュースをくるくる回しながら、のほほんと笑った。

「ふふ〜♡ 夜風も気持ちいいねぇ〜。

 ……あー、明日も温泉入ろうかな〜」


三人の笑い声が、静かな夜に溶けていった。


──こうしてアステリアの夜は、穏やかに更けていく。




オマケ


その頃。

マリアライト号の任務を終え、母港へ帰る途中でアズールは短い寄り道をしていた。

そこは彼が生まれ育った実家。


「アズール〜!」


明るい声とともに、真っ赤な髪が風に揺れる。

腰に手を当て、相変わらず堂々とした立ち姿。

四十を越えてなお、街では未だ二十代に間違われる美貌を持つ赤髪の美女──母カレン。


「ちょっと見ない間に、立派になっちゃって〜♡」


アズールは片眉を上げ、溜息をもらす。

「……母さん、そのテンションは昔と変わらないな」


「当然でしょ? アタシはまだまだ現役♡」

カレンは得意げに胸を張り、変わらぬ若々しい笑顔を見せる。


思わずアズールも、口元に苦笑を浮かべていた。


実家の門をくぐると、真っ先に駆け出してきた小さな影がアズールに飛びついた。


「お兄ちゃーん!!」

「アズール兄ちゃんだー!!」


弟や妹たちが、次々と彼の周りに群がってくる。

王室に入らず、ここで育てられた子供たち。

無邪気な笑顔に囲まれ、アズールの口元にも自然と柔らかな笑みが浮かぶ。


「ふふっ、この子たちもワイアットらしくなってきたのよ〜♡」

得意げに胸を張り、にこやかに続ける。

「七人目でやっと落ち着いたかも?」


「……いや、母さん、もう十分すぎるから」

アズールは額に手を当て、呆れたようにため息をついた。


だがその表情の奥には、揺るがぬ温かさが宿っていた。

カレンが今もなお──変わらず、ワイアットを心から愛し続けていることを知っているからだ。


その夜の食卓。

豪快に並べられた料理の香りと、子供たちの笑い声で、実家の食堂はわいわいと賑わっていた。


「お兄ちゃん!アクアに彼女できたってホントー!?」

「ねーねー、どんな人? きれいな人? おっぱい大きい?」


弟や妹たちが口々に問いかける。

興味津々の瞳がアズールに向けられ、彼はグラスを手にしたままわずかに目を伏せた。


「……それは国家機密だ」


子供たち「え〜〜!!!」


不満の声が一斉に上がる中、母がにこやかに笑う。


「ふふっ、アクアは昔から天然の人タラシだったもんね〜♡

 ちょっと目を離すとすぐ女の子を虜にしちゃうんだから、ほんと困っちゃう♡」


「母さん……」

アズールは苦笑混じりにため息をつきながらも、その瞳には微かな安堵が宿っていた。


──母親は違えど、アクアのことを思う気持ちは同じ。

カレンは変わらず、あの奔放で自由すぎる男──ワイアットを愛しながら、その子らを等しく慈しんでいた。


賑やかな笑い声と、母の明るい声。

弟妹たちの無邪気な問いかけ。

温かな食卓に囲まれ、アズールは久しぶりに心から力を抜いていた。


彼にとって、それはほんの一時の休息。

久しぶりの家族との時間であり、賑やかな日常のひと幕だった。


そしてこの夜──

アズールは久々に、“提督”ではなく。

“兄”として、“息子”として、安らかな眠りへと落ちていった。


狂気を感じるキャラって好きなんですが、意図して狂気を描くのっても難しいんですね…


作中のシーナの様子を是非ご覧下さい


なろうで作品投稿しました | 福島ナガト #pixiv https://www.pixiv.net/artworks/135780775

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