旅立つキッカケ
この物語は「伝説の勇者の息子なんだけどちょっとヤバいヤツだった」の世界線の未来です。前作を読まなくても大丈夫ですが、この話から興味を持って頂けたら過去作も是非よろしくお願いします
冒険王ワイアットの時代から、20数年——。
かつて荒野を駆け、数々の国を渡り歩いた流浪の冒険者は、やがて仲間たちと共に国を築き上げた。
その名も――クレイン王国
深い蒼の海と広がる大地を背景に、国旗は潮風にはためき、城壁の上では兵士たちが柔らかな陽光を浴びて立つ。
混沌の時代を生き抜いた英雄、ワイアット・クレイン。
彼が築いた理想郷は、今や「自由」と「秩序」が調和する楽園として、多くの人々を惹きつけていた。
だが、この国の物語はまだ終わらない。
新たな世代が、自らの答えを探し歩き出そうとしていた——。
かつての放浪者の夢は、確かに次の世代へと受け継がれていた。
王城の玉座に座すのは、若き女王ディアドラ・クレイン。
二十歳にして王位を継ぎ、父譲りの胆力と母譲りの責任感で国政を取り仕切る姿は、臣下だけでなく民からも厚い信頼を得ていた。
その凛とした佇まいは、まさに「クレインの血」を証明していた。
蒼き海原では、提督アズール・クレインが艦隊を率いる。
自由奔放ながらも仁義を忘れぬ彼は、旗艦《マリアライト号》を中心に幾多の外敵を退け、商路を護り抜いてきた。
その指揮の下、王国の港は常に賑わい、交易都市はかつてない繁栄を迎えている。
さらに、王宮の奥深くではハーデス・クレインが魔導書を広げていた。
黒衣に身を包み、冷静な瞳で古き知を紐解く若き宮廷魔術師。
彼の術は時に戦場を支え、時に国の根幹を守る結界として働いていた。
——ワイアットが軌跡は、こうして大きく育ち、国を支えている。
クレインの血脈は王国を繁栄へ導いていた。
若き女王ディアドラ・クレインは、今日も玉座の間ではなく王都の門前に立っていた。
煌びやかな冠を戴きながらも、民と同じ石畳に足を置くその姿は、誰よりも誠実な統治者の証だった。
「民の皆よ、今日も健やかに――」
響く声音は厳かでありながらも、不思議と柔らかい温かさを帯びている。
それは剣を掲げる声ではなく、家族に語りかけるような響き。
人々は自然と背筋を伸ばし、女王の微笑みに応えるように頭を垂れた。
老いた商人は「この国に生きてよかった」と呟き、
子を抱く母は「我が子の未来は守られる」と涙ぐむ。
――かつての放浪の冒険者ワイアット・クレインが夢見た国は、確かに子供達の手で守られていた。
だが、この物語にまだ登場していない者がいる。
若き三人の兄姉に隠れるように、ひとりの少年が、今まさに自分の道を探そうとしていた。
陽だまりの庭を駆け抜ける、まだ幼い二人の影。
風に揺れる木々のざわめきも、彼らの笑い声に掻き消されていく。
「アクア、早く来てよ!」
振り返った少女の頬は陽光にきらめき、白い歯がこぼれる笑顔は、どんな宝石よりも眩しかった。
彼女の名は――シーナ。
「今行くってば!」
国王ワイアットの息子アクアは幼い足で必死に追いかける。
額に汗を浮かべながらも、その青い瞳は真っ直ぐにシーナを見つめていた。
「私は将来、クレイン王国の王妃になるんだから!」
胸を張って宣言するシーナ。
「だからアクアはね、絶対に王様になって!――シーナと結婚するんだ」
その言葉は、まるで子供の遊びのように軽やかで、しかしアクアの胸には確かに刻まれた。
まだ恋も未来も知らぬ幼き日の約束。
――その一瞬は、夢のように眩しい記憶となって、彼の心に永遠に残り続けることになる。
潮風の吹く海辺。
裸足で走り回るアクアとシーナ。二人の笑い声が波音に溶けて消える。
「アクア、こっち来て!大きな貝殻、見つけたんだ!」
シーナが駆け寄った、その刹那。
高波が一気に押し寄せ、彼女の体をさらっていった。
「きゃあっ!」
「シーナ!」
アクアは叫んだ
「来い!トライデント!!」
アクアの手に吸い込まれるように一本の槍が飛来する。それは彼の身に宿る“海神の力”
「……大丈夫。俺がいる」
その言葉と共に、槍先が海へと向けられる。
途端に潮が震え、渦巻くように流れが逆転。
荒れた波はまるで従順な獣のように形を変え、シーナの体を優しく押し戻していった。
「アクア……!」
彼の腕に抱きとめられたシーナは、涙に濡れながらも顔を見上げる。
アクアは小さく笑う。
「俺は知ってるんだ、この力は“守るため”にあるって。シーナ、俺が絶対に守る」
シーナは胸を押さえ、赤く染まる頬を隠そうとした。
「……アクア。やっぱり、王様になって。私が……お妃になってあげる」
幼い頃の約束だった
そして現代、崩れた幻想
それは、ありふれた王都の午後だった。
港から届く潮風は優しく、庭園では花が揺れていた。
アクア・クレインは、いつも通りだった。
――いや、そう“思っていた”。
「……シーナ」
淡く笑いながら、彼女に歩み寄った。
幼い頃から共に過ごした、初恋の少女。今日も美しくて、どこか他人行儀で。
「今日、少しだけ話せる?」
だが――
「……いい加減にしてよ、アクア」
その声音は、冷たい海よりも冷たかった。
「え……?」
「私ね、あなたと子供のまま遊んでる暇、もうないの。
“王族の末席”ってだけで夢見てるような男と、未来なんて描けるわけないでしょ?」
アクアの胸が、ギクリと強く締め付けられた。
「……何を言って……」
「気付いてたでしょ? あなたが“次代の王”になれないことくらい。
私は“王妃”になるために、あなたに近づいたの。子供の頃からずっと。」
「そんな……」
「ふふっ、今さらショックなの? ほんと可愛いね、アクア。
でも私、もう他の方と婚約してるの。正式に、ね。」
――心臓が、強く鳴った。
まるで三叉槍が、自分に刺さったかのようだった。
「じゃあ……あの約束も、全部……」
「“王子様と結婚する”って? そうよ。それが“あなただ”じゃなくなったってだけ。
ごめんなさいね、夢から醒めて?」
笑った。
彼女は、本当に笑った。
口元は綺麗な弧を描き、目はどこまでも冷たかった。
あの日、海辺で交わした約束のことなど、まるで――最初からなかったかのように。
「じゃあ、もう来ないでね。私に“女王の義妹”なんて似合わないから。」
踏みにじるようなその言葉を残して、シーナ・ユークリッドは振り返ることなく去っていった。
風が、止んでいた。
潮騒が、やけに遠くに感じた。
握りしめた拳に、何も残っていなかった。
アクアの心を深く裂く、“初恋の終わり”
(俺は……何を見てたんだ)
優しさを、絆を、未来を信じていたはずだった。
だがそれは、シーナの中には一欠片もなかった。
いや――
きっと、自分自身が“信じたいものだけを見ていた”のだ。
アクアは、ふらつく足でその場を去った。
10年以上信じ続けてきたもの。
未来を誓った言葉。
そのすべてが、昨日、崩れ去った。
心に空いた穴は、まだ痛む。
それでも彼は歩き出す。
何もかもから逃げたい。
夜明け前、まだ人々の眠る王都。
アクアはひとり、静かな城門の前に立っていた。
正式な許可もなく、誰にも告げることもなく。
ただ足を動かすようにここまで来てしまった。
その手に握るのは、生まれた時から共にある神器――三叉槍トライデント。
父のように勇ましく振るうこともできず、兄姉のように国を背負うこともできない。
「……姉さん……兄さん……ごめん」
ぽつりと零れる声は、夜気に溶けて消える。
「俺は……王族には、相応しくない」
自分の未熟さに落胆するアクア、そこに⋯
「王都を抜けるには、あの門は少し音がうるさいぞ」
「……!」
振り向けば、
黒と紺の装束をまとい、夜の気配の中に溶け込む男の姿があった。
「ハーデス兄さん……」
月光に照らされたその表情は、どこか微笑んでいるようで、しかし目の奥は鋭かった。
「驚かせてすまなかった。魔力の気配を消していたんだ。……弟がこそこそと何をしているのか、少しだけ気になってな」
アクアは言葉に詰まる。
怒られるかと思った。咎められるかと思った。
けれどハーデスは、ただゆっくりと歩み寄ってきて、アクアの肩に手を置いた。
「アクア。……つらかったな」
その一言が、胸に響いた。
アクアはこらえていたものが、喉までこみあげるのを感じた。
「それでも、お前は彼女を想ってた。優しすぎるほどにな。……だからこそ、傷も深い」
ハーデスは、アクアの目を真っ直ぐに見て言った。
「このまま王都に残っていたら、“誰かのために生きる人生”になるだろう。だが、お前には――お前自身の人生がある」
「……」
「探してこい。王族としてではなく、一人のアクア・クレインとして自分の道を。
何を信じ、何を守りたいのか……それを知るまで、お前は旅人だ」
残されたアクアは震える手でトライデントを握り直し、
ようやく迷いを押し殺すように、城門を踏み越えた。
クレイン王家の系譜は、一本の剣のようにまっすぐで、同時に海流のように多彩だ。
若き女王ディアドラは、国王ワイアットに忠誠を誓った女騎士を母に持つ長女。騎士の矜持と政の胆力を、その胸に宿す。
国防海軍提督アズールは、元海賊団船長を母に持つ長男。潮の機嫌を読む眼と、民を先に守る背中を持つ。
王宮最奥を護る魔術師ハーデスは、白魔道士を母に持つ次男。静謐な叡智と、家族のためにだけ感情を揺らす指先を持つ。
そして――今まさに自分の答えを探しに城門をくぐる少年、アクアは海と尾びれを捨て、人の姿を手に入れた人魚を母に持つ末弟。海神の力を知りながら、まだ心の舵を学ぶ途上にいる。
この四人だけがすべてではない。
ワイアットと4人の女王との子は他にも多く、王室に入ることを選ばず、騎士団に入った者、学者の道を選んだ者、あるいは庶民として静かな暮らしを望んだ弟妹もいた。
母はそれぞれ違えど、彼らのあいだに流れるものは同じだ。
そして今、城門の影では――兄ハーデスが末弟アクアの背に、たった一言を置いて送り出す。
「探してこい。お前自身の道を」
血が違うことは、決して隔たりではない。
背中を預けるときにだけ現れる一本の線――それが、クレインの“家族”だ。
この絆は、王国を支える柱であり、迷える末弟を前へ押し出す風でもあった。
前作主人公とは真逆のキャラを目指してます