6:狩人の決断
男の手が震えていた。
目の前には、妹を蘇らせるという羊皮紙。
契約をすれば、妹は帰ってくる――だが、自らの命が代償となる。
男の額から、じわりと冷や汗が滲む。
「……俺が死ねば、妹が生き返る?」
彼は絞り出すように言った。
ルシファーは微笑を浮かべたまま頷く。
「ええ。たったそれだけのことです」
まるで他愛ない話をするかのように、軽い口調だった。
「さあ、どうしますか?」
ルシファーはカウンターの向こう側から、万年筆をそっと置く。
カラン――
静寂が満ちる。
男の目は、まるで呪われたように羊皮紙に釘付けになっていた。
妹を失った苦しみは、何年経っても消えなかった。
もし、もう一度会えるなら。
もし、もう一度、妹の笑顔を見られるなら――
命なんて、惜しくない。
男は、震える手を伸ばした。
万年筆に指が触れる。
「……!」
その瞬間、背後から衝撃が走った。
「やめて!!」
女の叫び声とともに、男の身体が床に押し倒された。
視界が揺れる。
床に倒れた男の上に、少女がいた。
――居なくなった妹と、瓜二つの少女。
「お兄ちゃん、何やってるの……?」
震える声だった。
男は、呆然と少女を見つめた。
「……お前……は……?」
「せっかく助けたのに……」
少女の目には、涙が溜まっていた。
「そんなの……望んでないよ……!」
妹にそっくりな少女は、泣いていた。
その姿を見た瞬間、男の胸に鋭い痛みが走る。
妹が居なくなった日を思い出した。
病院で、苦しそうに泣き、助けを求めていた自分。
もう助からない……だが、奇跡的に命を取り留め元気になった。
(……妹は、あの時……)
気づいたときには遅かった。
そして今、同じことを繰り返そうとしていた。
「……俺は……」
万年筆を持つ指が、徐々に力を失っていく。
「……俺は……」
少女の手が、そっと男の手を包んだ。
「お兄ちゃん。私はもう、いいから……」
その言葉は、優しく響いた。
男の瞳から、一筋の涙がこぼれた。
カラン――
万年筆が、床に落ちた。
ルイスは、それをじっと見つめた。
「……なるほど、貴方の選択はそちらですか」
呟くと、彼は軽く指を鳴らした。
羊皮紙が、消え去る。
同時に、妹そっくりの少女の姿も、消えた。
男は泣きながら呆然と、手を見つめる。
そこには何もなかった。
「幻……だったのか?」
ルイスは肩をすくめた。
「さあ、どうでしょう?」
彼は微笑みながらカップを磨き始める。
男は、しばらく動けなかった。
ルシファーの目が、微かに輝く。
「決断したのは、あなた自身ですから」
だが、やがてゆっくりと立ち上がると、静かにカフェを後にした。
彼はカウンターの奥の棚を開けた。
そこには、無数の水晶が並んでいた。
ルイスは、悲しげに微笑む。
――Café Fallenには、また静寂が戻った。