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1: その店に入ると、人は悩みを話したくなる

 この街には、誰も語ろうとしない場所がある。



「Café Fallen」



 古びた路地を抜けた先、小さな店が静かに佇んでいる。街の中心部から少し外れた場所にあり、目立つ看板も出していない。それなのに、人々はまるで導かれるようにその扉を開く。



 普段から、あまり客が入らない。通り過ぎる者たちは、そこにカフェがあることにすら気づかないように歩いていく。

 だが、悩みのあるものが近づくと、不思議なことに、何かに誘われるようにやって来るのだ。



 ここに足を踏み入れた瞬間、ふんわりとしたコーヒーと紅茶の香りが鼻腔をくすぐる。

 心地よいジャズが静かに流れ、暖かな照明が店内を包んでいる。壁には色褪せた本が並び、アンティーク調の時計がゆっくりと時を刻む。



 客席は決して多くない。カウンター席が数席、窓際に小さなテーブルがいくつか。大きなテーブルはなく、どの席に座っても、まるでそこだけが世界から切り離されたような静寂が広がっている。



 しかし、ここはただのカフェではない。



 この店には、奇妙な特徴がある。



「誰もが、自分の悩みを話したくなる」



 訪れた客たちは、自らの秘密を語り出す。心に押し込めていたはずの想いが、知らぬ間に言葉となって零れ落ちるのだ。



「なぜだろう。こんなこと、誰にも話したことがなかったのに……」



 そう呟きながら、客たちは戸惑う。しかし、話し始めた者は止まらない。まるで、この店そのものが、心の奥底に優しく手を伸ばしているかのように。



 そして、その秘密を聞く者がいる。





 店の奥、カウンターの向こう側。そこで穏やかに微笑むのは、店主のルイス・ファーレン。



 年齢不詳の男だった。


 黒髪の長身、整った顔立ち、切れ長の瞳がどこか人を寄せ付けない冷たさを持っている。

 それでいて、その微笑みには不思議な温かみがあり、つい心を許してしまう魅力があった。


 服装は常にシックな黒を基調としており、白いシャツの上に黒のベストを羽織り、優雅に振る舞う姿は執事のようでもあった。



 客たちは、彼に悩みを打ち明ける。



 彼は決して急かさない。ただ、相手が話し終えるまで、静かに耳を傾ける。そして、ふとした瞬間に、迷いを解くような言葉をかける。



「それは、あなたにとって本当に必要な選択ですか?」



「迷うのは、まだ何かが残っている証拠ですよ」



 彼の声は柔らかく、どこか安心感を与える。客たちは、気づけば涙を流し、カップの中身を見つめながら、自分自身と向き合うのだった。



 しかし、それだけではない。



 ルイスには、もうひとつの顔がある。



「ルシファー」



 堕天した天使。かつて、神に背いた存在。



「地獄の王」



 今、彼は、このカフェで人間を見つめている。



 彼はなぜ、こんな店を開いたのか。なぜ、人間の悩みに耳を傾けるのか。



 その答えを知る者は、いない。





 カラン、と扉が鳴った。



 ルイスはカウンターの奥で手を止め、ゆっくりと顔を上げる。



 入ってきたのは、一人の女性だった。



 長い黒髪、冷たい光を宿した瞳。整った顔立ちをしているが、その表情には深い影が落ちていた。



 ルイスは穏やかに微笑んだ。



「いらっしゃいませ。お好きな席へどうぞ」



 女性は少しだけ躊躇いながらも、カウンター席に腰を下ろした。



「……おすすめは?」



 低く、掠れた声。その声の奥には、抑えきれない感情が隠れていた。



 ルイスは彼女をじっと見つめる。



「今の気分に合うものをお淹れしましょう」



 そう言って、彼は茶葉の入った缶を取り出した。



 香りの強いアッサムに、少しだけスパイスを加える。甘くも刺激的な香りが、ゆっくりと店内に広がっていく。



 カップに注がれる琥珀色の液体。その上を漂う湯気が、淡く揺らめく。



「アッサムのミルクティーに、シナモンを少し加えました。心を落ち着かせる香りですよ」



 女性は無言でカップを手に取り、一口飲んだ。



「……少しだけ、落ち着いた気がする」



 ルイスは微笑む。



「それは良かった。紅茶には、心を癒す力がありますから」



 しかし、その言葉に、女性はかすかに苦笑した。



「……私には、もう癒されるものなんてないのかもしれない」



 ルイスの微笑みが、ほんのわずかに揺れる。



「それは……どういう意味でしょう?」



 その瞬間、彼女の表情が変わった。



 目の奥に、強い光が宿る。押し込めていた感情が、一気に溢れ出したかのように。



「私……復讐をしたいの」



 静寂が落ちる。



 ジャズの音も、カップが触れ合う音も、遠くなる。



 ルイスは、カップを手に取ったまま、静かに微笑んだ。



「復讐、ですか」



 その声は、どこか楽しげだった。



 そして、ほんのわずかに。



 その微笑みの奥に、「悪魔の気配」 が滲んでいた。



(後半へ続く)

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