セーヴァス城にはためく旗
「如何しますか? わが屋敷まで退去しますか?」
ハーゲン子爵が判断を仰いだ。
「私のことよりも――レイラ宰相、申し訳ありません。内戦になってしまいました。安全な場所へ退避ください」
「いいえ、ドラム、手筈通りに」
レイラの言葉と同時に、ドラムが奉公人たちへ指示を出す。――いや、奉公人ではない。彼らは密偵だったのだ。
密偵たちは一斉に動いた。下に着込んでいた戦闘服をあらわにし、足音が一気に重みを増す。彼らが手際よく運び込んでいた箱を開けると、その中から取り出されたのは――戦場を染める旗。
「……何をするんだ?」
マリスフィア侯爵領の兵がざわめく。疑念が言葉となり、混乱が広がる。
マルコとハーゲン子爵も、目を見開いたまま動けなくなっていた。
「黙って見ていなさい!」
レイラの一喝が響き渡る。
密偵たちは一気に動いた。強風の中でもためらうことなく、大きな旗を次々に掲げていく。
白百合に両剣のレイラの紋章旗は海風を受けて猛々しくはためき、黒地に金十字のヴァルターク王国国王旗は鋭く波打つ。
「馬鹿な……こんなもの、いつの間に……!」
ハーゲン子爵が息を呑む。
マルコも、旗が掲げられるたびに険しい顔になっていった。宰相レイラの策謀――最初から、こうなることを見越して準備していたのだと知る。
旗台に掲げられるたび、周囲の空気が張りつめ、戦の予感が一層強くなる。
俺とレイラは、城門塔へと駆け上がった。状況を確認するために。マルコとハーゲン子爵も後に続く。その足音が鉄のように重く響く。
「これで、内戦ではなくなりました。この城に攻撃を仕掛けた場合――ヴァルターク王国への反乱とみなします」
レイラが冷徹に宣言する。その声に風が一層強まり、周囲の空気が震えた。
城の広場には、見上げる兵たちの姿がある。彼らはレイラの言葉を噛み締めるように、固唾を飲んでいた。
「ですが、それでも攻撃を仕掛けてくる輩もおります」
「そうね、はっきりするわね。私がいれば、連合王国の犬どもが喜んで仕掛けてくるでしょう。籠城するわ」
レイラの言葉に、ふわりと恐怖が背筋を這い上がる。
「しかし、長くは持たないでしょう。レイラ様の書状があれば、日和見の諸侯も動くかと」
「必要ないわ。我が王国への忠誠を試しましょう」
レイラは静かに言い放ったが、その声には確かな力が宿っていた。
彼女は知っている。今この瞬間、誰が真に王国へ忠誠を誓っているのか――それを、見極める機会なのだと。
マルコとハーゲン子爵は、不安げに顔を見合わせる。
マリスフィア侯爵領は、元々独立機運の高い場所だ。彼らは、その不安を口にするべきか迷っているようだった。
「領関所の通行許可は貰ったからね。ウエストグランにいた王国騎士団が、こちらへ移動しているわ」
「いつの間に……」
「セオは、うずうずしているでしょうね。どれくらいで着くのかしら」
俺はレイラの横顔を見ながら、思わず口を開いた。
「俺の方がうずうずしているぞ」
レイラは、ふっと笑った。だが、その瞳は鋭いままだ。
「リド、その前に――答え合わせの時間だわ」
静寂が落ちる。
次の瞬間、影が空を覆った。
人々を畏怖させる、信仰の象徴――ドラゴンが、ゆっくりと姿を現した。
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