黒いスライム
やがて黒いスライムは全て、男の体を離れ、俺を覆い尽くすと、俺の体に侵入を始めた。男の骸は、甲板に干からびて真っ二つになり、転がった。
俺の目や、鼻、口から侵入してくる。すると、ちりちりと頭が痛くなる。意識を乗っ取ろうとしているのだろう。
「リドリー、大丈夫?」彼女の叫びが耳に届く。
『あの女を捕まえろ! 殺さなければ構わない!』
スライムが俺に命令を下す。その声には強烈な欲望と冷徹さが滲み出ていた。俺の頭の中で、二つの意識が激しく争う。
レイラが、近づいてくる。黒いスライムに薄い膜のように覆われた俺に。
「来るな!」
『今だ、捕まえろ! お前のものにしろ! お前の好きにしろ!』
なるほど、そういうことか……。何という陳腐な誘惑だ。甘美な言葉で、囁くように。
馬鹿なやつだ。その言葉で、俺は一瞬で意識が覚醒し、体の自由を完全に取り戻した。
「レイラは誰のものでもない。レイラを守るのが俺の使命だ。お前は何者だ?」
スライムの意思を確認した俺は、全身に魔力を循環させる。
『なぜだ? やめろ!』
俺は構わずに、魔力を上げる。スライムは俺から離れて逃げ出そうとするが、俺の体の中に囚われた一部のせいで、その動きは鈍る。
「もう一度聞く、お前は何者だ?」
さらに魔力を高めると、俺の体を覆っていたスライムの一部が焼けていく。黒煙が立ちのぼり、異臭が広がる。
『やめろ! やめてくれ!』
スライムの声は、恐怖に満ちていた。苦しみと絶望がその言葉の中ににじみ出ている。
『連合王国の黒魔術師、ダークウェルに、俺は変えられて、この形になっただけだ。ただ、生きたかっただけだ! お願いだ、やめてくれ!』
その必死の声が、本心だろう。
「生きたかっただけだと?」冷徹に告げる。
「お前は、レイラを傷つけた。裁きを受けてもらう」
俺はもう一度、魔力を上げた。
まるで死にゆく者の呻きのような音が頭の中に響く。
『ま、待ってくれ! 傷つけたのはリマスだ。あいつが勝手にやっただけだ。嫌だ、消えたくない! 消えたくない、お願い――』
それでも、俺は容赦しない。
スライムの最期の叫びが空気を裂く。黒い塊は、俺の体から灰となって浮き出てきた。それは、風に吹かれて消え去る。その後、静寂が訪れる。
俺は、無表情で立ち尽くす。
「リドリー!」
レイラの声がして、振り向くと、彼女が駆け寄ってくる。その瞳には安堵と、僅かな涙が浮かんでいた。
俺は、無言で彼女に頷く。
「大丈夫だ。この方法しか思いつかなかっただけだ」
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