魔女の塔
転移された先は、暗雲に包まれた細長い塔の上だった。
「ここは……?」
リドリーが険しい表情で周囲を見渡す。
高い塔の上に設けられた狭いベランダのような場所で、周囲を覆うカラドゥム山脈が黒々と聳え立ち、眼下には暗く鬱蒼とした魔物の森が広がっていた。
「この森は私の領域だ、そしてこの塔から見張っている」
背後から響く低く沈んだ声に、リドリーは反射的に身を翻した。
そこにいたのは、青黒の衣を纏った女。根を張る古木のように静かに立っているが、どこか森の奥底から盗み見る何者かのようだ。
「お前は何者だ?」
女が静かに尋ねる。その声には、湿った森の土の重みがあった。
「リドリー。王国の騎士団長だ。お前は?」
「何に見える?」
「魔女だろう」
その答えに、彼女はひび割れた樹の枝のような短い髪の下から笑みを浮かべた。眩しさを避けるように首を傾げながら、リドリーを見つめる。
「ああ、そうだ。お前からも漂うよ……あいつの忌まわしい匂いが。アイスドラゴンを従えているから、氷雪の魔女の眷属か?」
リドリーは眉をひそめ、即座に否定した。
「いや、ただの契約者だ。お前の名は?」
「森の魔女だ。覚えておくといい」
彼女は名前を名乗ると同時に、湿った笑みを浮かべた。
やがて、彼女は険しい声で問うた。
「なぜ、あの石碑を抜こうとした?」
「……すまない。知らずとはいえ、軽率だった。あれは守るべきものだったのか?」
リドリーは眉間にしわを寄せ、慎重に答える。
彼女はその言葉に冷笑を浮かべ、肩をすくめた。
「あれは守るべきもの……そう言えなくもないが、守られているのはむしろお前たちだ。今のお前たちで手の負えるものではない」
リドリーは悔しさを押し殺しながら反論した。
「だが、あの魔物は倒せたぞ!」
その言葉に、彼女は鼻で笑い飛ばした。
「馬鹿か。あれはただの兆しに過ぎん。お前が立っていた場所は、地獄の入り口のほんの手前だ。本当の地獄は、その下に眠っている。その前触れに過ぎぬ魔物を倒した程度で、己の強さを語るな」
リドリーは息を呑む。すると彼女はふと視線を遠くに向け、かすかなため息をついた。
「……あの石碑はな、前の勇者がここに建てたものだ。地獄の門を封じるためにな。血を流しながら」
森の魔女の声はどこか遠いものを見ているようだった。
「私は、あいつと約束をした。門を開かせないと」
そう呟き、彼女の顔には微かな憂いが浮かんでいた。
しばしの沈黙が流れる。やがて彼女はリドリーをじっと見据えた後、ふっと鼻で笑った。
「お前、勇者に似てるな」
「……どういう意味だ?」
「馬鹿なところが、そっくりだよ」
冷笑を浮かべながらも、その瞳の奥にはわずかな懐かしさが漂っていた。
「まあ、あいつも最期には役に立ったがな。前に進むことしか知らん奴だった……お前はどうだ?」
その言葉に、リドリーは一瞬口を閉ざしたが、意を決したように問い返した。
「わからんが、だがやれることはやる。ところで、この森からスタンピードは起きるのか?」
「この前、起きたばかりだ。当分は起きん。……次に起きるのは、ここから近くの海だ。それもまもなくだ」
森の魔女の言葉に含まれる不穏な響きが、リドリーの背筋を凍らせる。
「さて……迷惑料と質問に答えた駄賃をもらうとしようか」
彼女が薄く笑みを浮かべながら手を伸ばす。
突如として空気がざわめき、彼女の手のひらから見えない力が広がる。
それがリドリーの体に触れた瞬間、無数の根が皮膚を割って染み込むような感覚が走った。
「貴様……何を!」
「ははは」
森の魔女のざわめくような笑いが耳を撫でた。
最後に見えたのは、深い森の闇を宿した彼女の瞳——。
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