ナーシルの秘宝
特別編。
少女は、恋をした。
相手は、マルク。無骨な男だ。だがその手は驚くほど温かく、触れられるたび心が溶けていくようだった。
彼は、少女に優しく接して、彼女の傷ついた心を癒した。
長い孤独の年月の中で、初めて差し伸べられた本物の救いだった。
少女は、長い年を生きた魔女であり吸血鬼であった。
砂の魔女アルと呼ばれ、カスル・アッ=ダムと呼ばれた、滅んだ都に住んでいた。
誰も寄りつかぬ廃墟が、彼女にとって唯一の居場所だった。
「一緒に暮らそう」
その都の近く、帝国のラシェド州の都バルバッドがナーシル砂海連邦に割譲され、彼がそこの領主になったからだ。
マルクは、誰より真っ直ぐな瞳でそう言った。
「でもこの地を……」
「この地も大切に保護するよ」
「わかりました」
少女は、彼が訪れるのを心待ちにしていた。
しかし、この地に留まることで会える時間も回数も少ないことを不満に思っていた。
砂漠の夜風に乗って、マルクの気配を探してしまうほどに。
それはマルクも同じだったのだろう。
彼は、バルバッドに少女の為に立派な邸宅を建てて、少女の信徒と共に暮らせるようにした。
古き亡都は、禁足地から巡教の地として大陸中より人が訪れる場所となった。
古き遺跡ではなくなったことに、少女は歓喜した。
二人は頻繁に会えるようになった。
それでも、夜になり、彼が政務する館に帰ってしまうと、耐えられない寂しさが襲った。
ただ、ほんの少し手を伸ばせば触れられる距離にいてくれたらと。
『魔女の欲望は、果てしないな』
少女はマルクを見送りながら、苦笑いした。
「マルク様が、大怪我を負いました」
知らせをよこしたのは、彼に同行していた兵だ。
彼自身も服は汚れ、怪我をしていた。
状況の凄惨さを、その身体が物語っている。
彼は、ナーシル砂海連邦の都からの帰りに、魔物に襲われたらしい。
普段は魔物一匹いない、安全な道で。
あまりにも理不尽だった。
「呼び出されたけど、すぐに帰ってくるから」
少女は、旅に同行しなかったことを悔やんだ。
マルクは強い。だが、こういうことも起きる……。
彼がそろそろ帰ってくるだろうと準備していた料理の鍋が、手から落ちた。
がっしゃんと、大きな音がした。
心が先に崩れた音だった。
「マルクはどこ?」
「東のオアシスの近くです」
「その人を看護してあげて、出かけるわ」
アルは風の魔法で、空をかけてあっという間に彼の元に駆けつけた。
風は焦りの熱を帯び、彼女の背を押す。
「お前たち、ふざけるな!」
戦場となっている砂漠を見下ろすと、サンドワームとマルクの兵は戦闘中だった。
傍に彼が倒れているのがわかった。
その姿だけで視界が揺れた。
砂蟲は、地下から地上に飛び出しては獲物を狙っては、地下に潜る。
鋭い顎が兵士の悲鳴を貪ろうとしていた。
大嵐が吹き、彼らの全身が砂上に出る。
砂は、鉄のように硬く固まった。
地下に逃げることも出来ない。
次の瞬間、鋼砂の槍に全身貫かれて、地上高く死骸を晒した。
「助かったよ!」
「生きててよかった」
「ああ、アルに会えずに死ぬのかと思った」
その言葉が、少女の永遠を揺さぶる。
この事件は、二人がお互いに大切な人だと思い知らされた事件だった。
一緒に生きたい。一緒に――。
「これは、死ぬまで肌身から離さないでね」
それは、のちにナーシルの秘宝と呼ばれる、魔女の防衛魔法の詰まった器のペンダントのネックレス。
彼の命を、この手で守るための証。
「ありがとう。結婚してくれないか?」
マルクの嬉しい言葉に、迷いなどなかった。
そして、アルは歳をとることを決めた。
「あなたのいない世界を生きても仕方ないもの」
「永遠の命があるのに……」
「いいえ、永遠の孤独よ。共に生きたい」
二人は結婚し、子供が生まれた。
幸せに年月が過ぎた。
それは、少女が求め続けた、温かな日々。
マルクは、やがて歳をとり死んだ。
そして、アルも又、後を追うようにして亡くなった。
彼が待つ場所へ、ただまっすぐに。
だが。
「魔女は、その欲望を満たしたら消える。だけど、私は欲深い。彼が輪廻の中で、再びこの世界に現れたら、私も生まれる」
終わりではない。
これが、ナーシル砂海連邦に伝わる吸血鬼で魔女の伝承である。
お読み頂きありがとうございます。ご評価をいただけると幸いです。ノクスフォードのリベリオンの中に出てくる物についてです。




