終わらぬ手
「……ここは?」
レオナールが目を開けると、天井の模様がぼやけて見えた。
重いまぶたの隙間から差し込む光。その下で、彼は誰かの腕に抱かれていることに気づく。
「ごめんね、遅くなって」
声の主はサクナだった。
彼女の魔力のぬくもりが、まだ皮膚の奥に残っている。見慣れた天井──ここは彼の屋敷だ。
「いや、それより……どうなった?」
レオナールはゆっくりと身を起こした。痛みはない。サクナの治癒魔術で、傷は完全に消えている。
「アオイ伯爵は取り押さえたわ」
「……そうか。タリアンは?」
「カシスが看病してる。たぶん今ごろ、甘えてるわよ」
サクナが微笑む。
レオナールは小さく息をつき、窓の外を見た。そこにはマクラーレン家の屋敷が見える。
「あいつには助けられた」
「そうね」
短く応じる声には、棘のような硬さが混ざっていた。
──だが、彼の父は許せない。いや敵だ。だから片付けないといけない。
その頃、アオイ伯爵は侯都シュベルト郊外の小屋に幽閉されていた。
親衛隊は全員捕らえられ、城の地下牢に送られている。
取調べ官を務めるのは、エンジ。
彼女の冷徹な声が、石の壁に反響した。
「お前がグランを殺したのは分かっているんだぞ」
「どこに証拠が……?」
「証拠なら伯爵が言ってたわ。“あいつが勝手に毒を使った”ってね。タリアンも見たと言ってた」
もちろん、エンジの嘘だ。
副団長は混乱し、焦りから言葉を失った。
その一瞬の隙を、エンジは逃さない。
「……やったのは、俺だ」
嘆息と共に漏れた自白。その瞬間、彼女の瞳が鋭く光る。
そしてもう一つの事件、レオナールの冤罪にも調査の手が伸びる。
「塔からウラクを突き落としたところを見たんだな?」
「……見た……いや……落ちたのかもしれない……」
「もう一度、ゆっくり話してもらおうか。嘘発見魔具は作動してる」
数日にわたる取り調べの末、エンジは報告書を仕上げていた。
そこへ、イズモが地図を抱えて入ってくる。
「頼まれてた倉庫、調べてきた。──当たりだよ。まるで要塞みたいな警備だった」
「やっぱりね。家宅捜索に入るわ。監視は?」
「すでに数名配置済み。けど……動きが早い方がいい」
エンジは立ち上がり、伸びをした。
動きが、鈍っていたところだ──そう呟いて、コートを肩に掛ける。
「行ってくる。悪い予感がする」
そのころ。
幽閉されていたアオイ伯爵の体に、異変が起きていた。
「くそっ……計画は全部失敗だな。だが……まだ使えるものがある」
その体から、どろりと光を帯びた腕が伸びた。
伯爵は笑った。
薄い唇から、粘液と共に、かすれた呟きが漏れる。
「……逃げる。いや、“戻る”のさ」
闇が揺れた。
スライムの腕が伯爵の体を包み込み、屋敷の壁を突き破る。
音もなく、彼の姿は闇に消えた。
だが、それは言うまでもなく、サクナの策だった。
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