黒犬の去る時
レオナールが独房から連れ出される直前、独房の前にたむろしていた黒犬たちが一斉に吠えた。その声と同時に犬たちは嬉しそうに駆け出し、暗い廊下の奥へと消えていった。
「……ついに、犬にも見捨てられたのか」
近寄ることすらできなかった看守たちは、緊張の糸がほどけたかのように安堵の笑みを浮かべた。
「アオイ伯爵がお呼びです」
その声を聞いたタリアンは瞬時に体を動かし、レオナールが連れ去られる姿を追いかけて部屋へ飛び込んだ。会議はすでに解散しており、将たちは帝国への侵攻準備に入っていたが、タリアンにはそれどころではなかった。
会議室には、両腕を後ろ手に縛られたレオナールが看守に伴われ立っていた。室内にはアオイ伯爵と親衛隊だけが残り、空気は緊張で張りつめていた。
「お前、農薬を奪って帝国に渡したな。これは明らかに王国に対する反逆だ!」
アオイ伯爵の怒声が石壁に反響する。
「いえ、属国への支援です。それに、渡すことには合意いただきました!」
レオナールは毅然として答え、視線を逸らさない。
「条件はつけさせてもらうと言ったはずだ。やはり帝国のスパイなのは間違いないな」
親衛隊が一歩ずつ間合いを詰め、レオナールを取り囲む。空気が震え、床の大理石までも緊張で揺れているようだった。
「非常事態だ。死んでもらう!」
「お待ちください、父上! レオナール殿は逃げも隠れもしていません!」
タリアンの声は鋭く響き、胸の奥では焦燥が渦巻いていた。
「庇うとお前も同罪だ、タリアン。構わぬ、一緒に殺せ!」
アオイの血相が変わり、唾が飛ぶ。狂気の咆哮に、タリアンの胸は押しつぶされそうになった。
一人息子のわがままに寛容だった父の姿は、すでに消えていた。
「どうしたのですか、父上。レオナール様は王国のことを考えて……!」
タリアンの言葉は空気に吸い込まれる。伯爵の命令は、他人を従わせる力を帯びていた。側近たちは一斉に剣を抜き、その場を支配する。
「タリアン、お前は関わるな!」
レオナールの叫びも届かない。腕は縛られ、剣も持てない。
親衛隊が斬りかかる。刃が空気を切り裂く音が響く。「死ねっ!」
しかしレオナールの体は光を帯び、襲いかかる剣を弾き折る。折れた刃が宙を舞い、床に散った。
「くそっ、全員で一斉にかかれ!」
親衛隊は手を止めず、レオナールを包む光は弱まる。無慈悲な暴力が加速する。
「止めろ! 止めるんだ!」
タリアンは必死に兵の腕を掴もうとするが、蹴られ押され、体は床に倒れた。親衛隊の中には警備隊、ウラクの部下、タリアンの軍の副団長も混じっていた。
「ははは、もう少しだ。焦ることはない、ゆっくりと味わって殺すがいい」
アオイの愉悦の声が部屋を揺らす。
レオナールの体から血が噴き出す。タリアンは這いずりながら扉に向かい、手を伸ばし、踏まれ、振り切る。扉に手をかけるが鍵はかかり、びくともしない。
「邪魔が入ると困るからな。この扉は開かんよ!」
アオイが冷たく笑う。タリアンは全身の力を失い、膝をつきながら必死に呼吸を整え、目の前の現実をかみしめた。
――黒犬たちが走り去ったあの瞬間から、すべては決まっていたのかもしれない。
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