三度の牢獄
シュベルト侯城、謁見の間
「レオナール執政官、よくぞ無事で戻ったな――だが、一つ問おう。なぜ釈放された?」
低く響く声とともに、アオイ伯爵は玉座の背に身を預けた。その目は氷のように鋭く、謁見の間に緊張が走った。
「この男も、侯爵の椅子をまるで自分のもののように……」
そう思いながらも、深く一礼してレオナールは答える。
「一つは、停戦の使者として。もう一つは、侯爵領が在庫している農薬を譲り渡すためです」
「ふん……停戦だと? 戦を仕掛けておいて今度は停戦を乞うとは、帝国らしい虫の良さよ」
アオイは唇の端を吊り上げ、冷笑を浮かべた。
「誤解なきよう。帝国は、オルフィン侯爵領が重税を課し、さらに交渉使節を抑留したことことが今回の発端ですよ」
「知らんな。侯爵とウラクが勝手に仕組んだのだろう。困った連中だ……手先は財務官僚グランか。タリアン!」
父の鋭い声に、若き嫡子タリアンが身を正す。
「はっ」
「ミナグロスにいるグランを捕らえよ。口を割らせねばなるまい」
本来ならば執政官エンジの職掌である任務だが、彼は帰省中で不在だった。アオイの苛立ちに押され、タリアンはしぶしぶ数名の近習兵を連れて部屋を後にする。
アオイが知らぬはずがない。罪を被らせるのだろう。
静寂が戻ると、アオイは再びレオナールへと視線を向けた。
「さて――農薬とやらだが、それほど帝国にとって必要なのか? たかが農薬ごとき……」
「いいえ、伯爵。害虫の被害は一刻を争います。我らが開発した薬は特別なもので、帝国には存在せず、通常の交易では得られません」
「ほう……ならば高く買い取ってもらおう」
「申し訳ありません――すでに、無償で提供すると約束して参りました」
「なに?」アオイの目が鋭く光った。「勝手なことを……だがよい。我が王国の血税である以上、他の条件はつけさせてもらおう」
言葉を切り、彼は冷酷な笑みを深める。
「だが――お前の帝国スパイの嫌疑は晴れておらぬ」
アオイが片手を挙げると、警備兵たちが一斉にレオナールを取り囲んだ。鉄鎖の響きが謁見の間にこだました。
こうして彼は、三度、牢獄の闇へと引きずり込まれることとなった
※
数日後、シュベルト城の牢獄
冷えた石壁、湿り気を帯びた空気。錆びた鉄格子越しに差し込む光は薄く、時間の感覚さえ奪っていく。
その静寂を破り、足音が近づいてきた。
「留守にしてすみません。ご体調は……大丈夫ですか?」
現れたのはタリアンだった。まだ若さの残る顔に疲労の色が濃い。
「ああ、大丈夫だ。それよりも、状況を聞かせてくれ」
「……実は」タリアンは声を落とす。「グランは輸送の途中で自害しました」
「自害? ――口封じ、か」
「その可能性は高いと思います」
だが、誰の仕業かを問うと、タリアンは唇をかみ、言葉を飲み込んだ。
しばし沈黙が流れた後、レオナールは前から気になっていたことを切り出す。
「カラドゥム山脈の魔物のスタンピード――あれはどうなった?」
「過去最大級の襲来だったようです。しかし幸い、西方方面軍に援軍が加わりまして。オダニ様とエンジ様の軍です。おかげで被害は最小限に抑えられました」
「そうか……」
安堵の吐息が牢にこだました。その瞬間――
重い鉄靴の音が廊下に響いた。複数の兵士が近づいてくる。
「来ましたね」タリアンが立ち上がる。「峠道で合流できたんです」
やがて鉄格子の前に、戦場の匂いをまとった二人の姿が現れた。
「ただいま戻りました。ご迷惑をおかけしました」
牢の前に立ったのは、剣気を纏うオダニと、冷静な眼差しのエンジだった。
再会の瞬間、暗い牢獄に差し込む光は、かすかに温かみを帯びた。
お忙しい中、拙著をお読み頂きありがとうございます。もしよろしければ、ご評価をいただけると幸いです。又、ご感想をお待ちしております。




