黒犬の盾
北方方面軍に救援の合図を送った。
信じるかどうかは賭けだったが、追い詰められていたキタノは即座に応じて動いた。
気づいた帝国軍が慌てて追撃を開始する。
「逃すな――! 鼠一匹も生かすな!」
「退路を閉じろ、背を討て!」
指揮が早い。よほどの手練れが陣頭に立っているのだろう。
「早く、シュベルトまで走れ!」
「体一つで構わない、休んでる暇はない!」
キタノを先頭に北方方面軍が逃げ去るのを見届けると、タリアン混合軍は矢面に残って防衛線を張った。
「これまでです。先に逃げてください!」
「それでは、ご武運を!」
レオナールは無言で柵を閉じた。背後に残るのは、傷を負い動けぬ兵、志願した決死隊、そして黒犬数匹。
罠めいた防御は瞬く間に破られた。轟音と共に木片が飛び散り、最初に飛び込んできたのは帝国軍の猛将たちだった。
アオイの鎧を纏い、道の中央に仁王立ちするレオナールを見て、男たちは嗤った。
「ほう、伯爵。まだ生きていたのか」
狙うはアオイ。敵軍幹部を討ち取れば大功だ。だが近づこうとすれば、黒犬が牙を剥いて立ち塞がる。目は赤く燃え、毛は逆立ち、低い唸り声が地を這う。
「魔犬だ……気を抜くな!」
剣閃が走る。だが刃は空を切り、犬はするりと抜け、逆に猛将を地に伏せさせた。
誇るべき自慢の防具がぱかりと切れ落ちる。
「ば、化け物め……!」
「アオイは魔物使いだ!」
「だから不死なのだ!」
誤解だ。黒犬はサクナが遣わせた守護者。戦場では、真実より恐怖の方が速く広がる。
包囲の輪はじわじわと後退し、猛将たちは互いに顔を見合わせる。
黒犬は――決して殺さない。ただじっと睨み据え、『手を出すな』と無言で告げていた。
その静寂を破ったのは鋭い号令。
「ならば距離を取れ! 魔矢と術で蜂の巣にしろ!」
待ち構えていた魔術師と弓兵が一斉に放つ。天地を裂く轟音。
レオナールの鎧が凹み、数十本の矢と魔術が突き刺さったかに――見えた、その刹那。
眩い光が鎧を包み、術は弾かれ、矢は砕け散った。サクナの指輪の力だ。
「な、何だと!?」
「防御魔法を展開しただと……!」
兜が割れ落ち、現れたのはアオイではなく――レオナール。
「違います。私は執政官レオナール。我らは降参します」
帝国の将が髭を撫で、唇を吊り上げる。
「降伏か……。黒犬が暴れれば、こちらが何人死ぬか分からん。受け入れよう」
いや、全滅だったろう。黒烏の群れが、今にも襲うところだったのだから。
レオナールは背後を一度だけ振り返った。そこには負傷兵と黒犬たち。命を繋ぐための選択だった。
――こうして彼は、再び監獄へと送られることとなった。
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