撤退路を求めて
「どうする?」
タリアンは深く眉をひそめた。侯都シュベルトの防衛を優先するか、それとも仲間の救出に向かうか。
秤の片方には都市の安全、もう片方には人の命。決断を誤れば、すべてを失いかねない。
「もちろん、救出に向かうしかないでしょう。一刻も早く」
レオナールの声が迷いを断ち切る。
タリアンは短く息を吐いた。迷いを残す余地はない。
「……出陣だ」
「同行させてもらえませんか?」
その言葉に、副官も戸惑った。反乱容疑者を戦場に連れて行くなど前代未聞。
タリアンは躊躇したが、やがてうなずいた。
「わかった。だが、監視の目は甘くならんぞ」副官は、吐き捨てるように言った。
レオナールは頷き、真剣な眼差しをタリアンに向ける。
「アオイ伯爵の防具を借りられませんか?」
「なんですって?」
タリアンの声が鋭くなる。
「狙撃の的になりますよ!」
「承知の上です。戦場に出る以上、それは誰もが背負うこと。私は簡単には死にませんよ」
その瞳に宿る覚悟に、タリアンは言葉を失った。
決死の変装。アオイ伯爵を装ったレオナールの周囲を、黒犬の群れが守るように併走する。
騎馬隊は機動力を重視し、騎手の後ろに魔術師を乗せて疾走する編成だった。
「撤退路を作るしかない」
斥候の導きで、離れた丘に登った二人は戦場を見下ろした。
北方方面軍は、堅牢な陣地を築いて必死に耐えていた。彼らは防衛を得意とするが、多勢に無勢。じりじりと陣地は狭められ、敗色が濃くなる。
「どこから突撃すればいい?」
タリアンが問う。
レオナールは戦況を見据え、目を細める。
「……難しいですね。隙がない」
彼の脳裏に、過去の歴史がよぎった。
帝国は王国の属国である。
かつて大飢饉と疫病に苦しんだ時、王国が救いの手を差し伸べた。資金を提供したのは、大商人ゴールドフィンをはじめとするレイラの信奉者たちであった。
改革を進めていた王国は、経済も軍事も圧倒的であり、帝国は抗うことなく属国の地位を受け入れるしかなかった。
サクナの母、賢女レイラは惜しみなく周辺諸国に情報を開示し、互いに手を取り合う未来を信じていた。
悪魔との戦いが終結し、帝国はやがて国力を回復する。皇帝アレクセイが病に倒れるまでは、帝国もその属国としての立場を喜んで受け入れていた。
しかし今や、広大な領土と多種族の連合を背景に、帝国は王国を凌駕しようとしている。
「帝国内部は統制が乱れている。アレクセイが退位間近だという噂もある。だが――」
レオナールは息を呑む。眼下に布陣するのは、西部貴族の連合軍。その旗印の数、規模。もはや単なる小競り合いではない。
「帝国西部の貴族とオルフィン侯爵の関係は、良好なはずじゃなかったのか!」
思わず叫ぶと、背後から低い声が響いた。
「裏切り者のアオイかと思ったが……お前か、レオナール殿」
現れたのは、帝国歴戦の元将軍カンベだった。
「どうしてここに?」
「実はな。監獄から釈放したのは帝国貴族の子息二人でな。送り届けに行ったんだ。その時、戦の話を聞いてな」
レオナールの背筋に冷たいものが走る。人質の存在が、戦火を招いたのか。いや、それだけではない。帝国内の亀裂が、火種を求めていたのだ。
「停戦はできませんか?」
「いきなりは難しいだろう。人質を無視して攻め込んできている。他に事情があるに違いない」
カンベの声は苦々しくも、真実味を帯びていた。
「せめて、撤退路だけでも確保したいのです」
「わかった。人質をこちらに渡して、交渉を試みよう。ただ——うまくいく保証はない。それと、ボリス軍は中立の立場だ」
「感謝します」
レオナールは深々と頭を下げた。
戦場の風が、血の匂いを運んできた。
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