地下牢の報告
「レオナール殿。……何が起きたのですか?」
低い声が石壁に反響した。タリアンが姿を現す。ここは地下牢の取調室。くすんだ空気と石の匂いが鼻を刺し、油が尽きかけた灯火がかすかに揺れている。
彼も狙撃を受けたが、鎧に助けられたらしい。右腕には厚い包帯が巻かれていた。
「……なるほど、そういうことでしたか」
事情を聞き終えたタリアンは、苦い表情を浮かべた。
「ですが、釈放は難しいでしょう。警備隊の兵たちは皆、強い敵意を抱いています。今のままでは……危険です」
「だろうな」
レオナールは乾いた声で応じた。扉の外から突き刺さるような視線が伝わってくる。
同僚を殺された兵たちは、水すら渡そうとしない。唯一、農政局の青年だけが食事を差し入れてくれていた。
「ところで……今の戦況を聞かせてもらえないか?」
タリアンは一拍置き、報告を始める。
「侯都に戻ったのは、偵察隊より一日遅れでした。……残念ながら侯爵は戦死されました」
声がわずかに震える。
「父も重傷を負い、治療中で会えていません」
その瞳の奥に、悔恨がにじんでいた。
「さらに……東方のカラドゥム山脈で、魔物の大量発生が確認されています」
「またスタンピードか……!」
レオナールの眉間に深い皺が刻まれる。冷や汗が背を伝った。
「それで、どう動いた?」
「トウノ殿が東方方面軍を率いて出立しました。放置はできないと」
淡々と語ろうとするが、タリアンの肩は落ち、拳は爪が食い込むほど握り締められていた。
戦況は泥沼だった。西方方面軍は侯爵と共に壊滅。北方方面軍は帝国軍の追撃に追われ、手が離せない。余力など、どこにも残されていない。
「嫌な予感がする……」
レオナールは低く呟いた。
「敵の戦いぶりは尋常じゃない。……黒いスライムの正体もわからぬままだ」
あの時、死んだウラクの身体から這い出した黒い影が脳裏をよぎる。あの存在が味方に潜んでいる可能性は高い。
「北方方面軍は強いです」
タリアンが口を開く。
「私の南方方面軍も……彼らに学ぶことが多い」
かつての尊大な態度は消えていた。多くの部下を失い、初めて戦場の現実を知った青年がそこにいた。
「シュベルトは王国の盾だ。ここを通せば、全土が蹂躙される」
レオナールは真剣な眼差しで告げる。
「タリアン……しっかり守ってくれ」
「はい。南方方面軍と、残った兵、それに警備隊を集め、侯都守備隊を再編します」
声にはまだ若さが残っていたが、その奥には確かな決意が宿っていた。
「……オダニたちが戻って、指揮を執れれば良いのだが。だが、彼らも告発の対象か」
思案しながら、レオナールはふと顔を上げた。
「ところで、農政局の青年を呼んで欲しい」
タリアンは眉を寄せ、少しして戻ってきた。
「若く、体格の立派な青年のことですね。……彼は東方方面軍に随行したそうです」
「そうか……」
短く答える。胸の奥に、得体の知れぬ感覚が残った。森に溶け込み、剣も杖も持たず、それでいて不可思議な力を漂わせる青年。一見すれば平凡だが、異能者。なぜか心強さを覚える存在――。
「本当は、オダニたちへの連絡役を頼むつもりだったのだが」
「……すみません。私が受け取るわけには……」
タリアンは視線を伏せた。だが、ためらうように言葉を探し、口を開く。
「ところで……カシスに、みっともない姿を見せてしまったのですが……彼女は」
その様子に、レオナールは小さく笑みを浮かべた。
「心配していたよ。今は安全な場所にいる」
それ以上は言わなかった。サクナのことまで口にする訳にはいかない。毎日欠かさず書いてきた手紙も、今は途絶えたまま。彼女なら異変に気づくだろう。それでも煩わせることを承知で――最良の策だと感じていた。
その時、南方方面軍の副官が駆け込んできた。叩き上げで知られる有能な将校だ。レオナールも一度目にしている。
「タリアン様、防衛体制の構築について打ち合わせを」
「分かった。すぐに行こう」
タリアンはレオナールに一礼した。
「それでは、必ず守ります」
「ああ……無事を祈る」
扉が閉まり、静寂が戻る。
「……さて。考える時間ができたな」
レオナールは闇に向かって小さく呟いた。
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