反乱軍
「ボリス殿……そこは、侯爵の座です」
レオナールは一歩踏み出し、低く諫めるように声を放った。
目の前の男は、まるで己こそが当然の支配者であるかのように玉座に腰を落ち着けている。
「ああ、わかっているさ。ただ、座り心地を確かめているだけだ」
ボリスは足を組み、肘掛けに腕を投げ出したまま立ち上がろうともしなかった。
玉座に吸い込まれるようなその姿に、背筋を冷たいものが走る。
「これは罠です。我らは――反乱軍に仕立て上げられてしまいました!」
焦燥が先走り、言葉が口を突いて出た。
「そうか。しかし予想はしていたさ」
ボリスの瞳が細く光る。「我々を、今の侯爵は嫌っていたからな」広間の空気が凍る。
カンベ率いる亡命軍が圧倒的勝利を収めた理由――それは単なる兵力差ではなく、事前の準備と、戦に臨む意識の差にあった。不意をつけると考えた警備隊は油断し、彼らは決死だった。
「では、なぜここに来たのですか?」
レオナールは問い質す。
「簡単なことだ。演習の要請を拒めば、それを口実に我らの里を取り上げるつもりだったのだろう。重税にも耐えかね、限界はすでに来ていた」
「そんな横暴は、我々が許しません!」
レオナールは声を張った。だがそれは広間に虚しく響くだけだった。
ようやくボリスは立ち上がる。薄い笑みを浮かべ、振り返りざまに問うた。
「この椅子は……私に似合っていたか? カンベ」
「いいえ。ボリス様には、重すぎます」
毅然とした答えに、ボリスの口元が歪む。
その手が燭台をつかみ、勢いよく投げ放った。
金属が風を切り、まっすぐカンベの頭部へ――。
しかし将軍は一歩も退かず、頭でそれを受け止めた。
額が裂け、血が流れ落ちる。赤が鎧を染める中、彼は一歩も崩れなかった。
ボリスは憤慨したが、同時に深い悲しみを滲ませた顔をしていた。
「そうか……はっきり言ってくれるな。帝国の王を望んだことのある、この私に」
その声音には諦念が混じっていた。
彼は大きく息を吐き、視線をレオナールへ向けた。
「よかろう。この騒動は、すべて私一人の采配だ」
それは突発の弁明ではない。あらかじめ胸の奥にしまい、告げる覚悟を決めていた言葉だった。
「ですが――私にとって貴方は主であり、王であることに変わりはございません」
カンベは玉座の前に膝を折り、臣下の礼をとった。血が滴り落ちる床に、彼の影が深く広がった。
その姿に兵士たちも次々と倣う。甲冑のきしむ音が一斉に響き、広間は沈黙と忠誠で満ちていった。
「……お前には名主として残ってほしいのだがな。せっかく色々覚えたのに」ボリスは寂しげに呟く。
「所詮、真似事にすぎません。レオナール殿に後をお願いしたい。そして、最後までお供させてください」
「そうか。ならば――去るとするか。侯爵軍が演習から戻ってくるのだろうしな」
彼らは略奪も暴行もせず、整然と城を後にした。ただ、監獄に囚われている数人を除いて。
「レオナール殿。なんの役にも立たないだろうが……私は書面を残していく」
「どこへ行くのです?」
「さあな。許される場所が、どこかにあるだろう」
半日も経たぬうちに、嵐のような軍勢は去っていった。
その背中を見送りながら、レオナールの胸には言葉にならぬ不安が渦巻いていた。
農政局の若者が近寄り、怯えたように問いかける。
「警備隊を、どうされますか?」
「もちろん解放する。だが早すぎれば、また戦いが起こるかもしれない……」
気になるのは――なぜ数人だけ囚人を連れて行ったのか。
「何か知っているか?」
「さあ……看守たちに聞けばわかるのでは」
「そうだな。だが……教えてくれるかどうか」
「私が確かめます」
しかし看守たちでさえ、何も知らなかった。
「おかしい……身分証が、まるで跡形もない」
レオナールが書類を調べている最中、報せが届いた。
――オルフィン侯爵軍の先発隊が、演習から帰還した。
そして間もなく、彼は再び捕らえられることとなった。
お忙しい中、拙著をお読み頂きありがとうございます。もしよろしければ、ご評価をいただけると幸いです。又、ご感想をお待ちしております。




