陰に笑う者
「何が起きているんですか!」
「見ての通りだ……ほら、始まるぞ!」
ウラクが塔の上で薄笑いを浮かべ、指を突きつけた。
狭道を進むオルフィン侯爵軍。その中央には侯爵とアオイ伯爵が堂々と馬を並べる。護衛兵に守られた威風堂々の姿――だが、次の瞬間――
シュツ、シュツ――。
弓の音が闇を裂く。矢は正確に二人の胸を貫いた。
「なっ……! 侯爵とアオイ伯爵が――!」
レオナールの叫びは、雨と風にかき消される。二人は馬上から崩れ落ち、泥まみれと化した。死んだのか?
兵たちが駆け寄る間もなく、狭道は混乱の渦に飲まれる。
大雨と烈風が声を奪い、指揮の声は届かない。隊列は崩れ、秩序は瓦解した。
頭上――崖の上に朱色の帝国旗が翻った。
血のように赤く輝く旗を合図に、帝国軍が一斉に攻撃を開始する。
岩、倒木――轟音と共に落下し、兵士たちは押し潰される。悲鳴が泥と雨に溶けて消えていく。
血に濡れたぬかるみは、次々と兵を転倒させる。倒れた者は立ち上がる間もなく、後ろから押し寄せた戦友に踏まれた。
シュベルトへの道は、帝国軍によって守備陣形がつくられていた。
魔術と矢の雨が容赦なく降る。指揮官が狙われ、兵は次々に戦線から消える。
「ははっ……哀れだな。これが大陸最強と謳われた王国軍か?」
ウラクの笑い声が塔から響き渡る。
レオナールは歯を食いしばる。昨夜の魔物のスタンピードで、魔術師はほとんど魔力を使い果たしている。今はただ、矢と魔術に蹂躙されるのみ――一方的な死が迫っていた。
「ここは……撤退しかない!」
思わず口にした。顔は青ざめて震えていた。
その光景を愉快そうに見下ろすウラク――
だが、北部方面軍がキタノを先頭に盾を構え、帝国軍と対抗するように布陣。東部方面軍はトウノの指揮で壁をよじ登る。
「ここまでか……面白かったぞ」
「……あなたは帝国と結んで裏切るつもりですか!」
レオナールの怒りの声が響く。
「馬鹿を言うな。あれが本物の帝国軍に見えるか?」
「じゃあ、誰が――」
言葉を遮るように、ウラクの表情が歪む。
瞳の奥に黒い光が瞬き、声は低く濁り、二重に響く。背後の闇が人の形を取ろうと蠢いた。
「フフ……いつまでも平和でいられると思うのか?」
声が耳の奥で二重に反響し、頭を貫く。思わず後ずさる。これはウラクではない。人の声ではない。
「……お前、まさか……」
「安心しろ。この混乱は――お前たちの仕業として歴史に刻まれるのだからな!」
狂気の笑みとともに、ウラクは絶叫した。
「助けてくれ! レオナールに殺される!」
階段を駆け上がる警備兵の足音。レオナールが腕を伸ばすも、振り払われる。
――そして。
ウラクの身体は塔から落下。鈍い衝撃音と共に血が飛び散る。
だが。
「……あれは……?」
レオナールは息を呑んだ。
ウラクの体から――黒い液体が滲み出し、這い出していた。
泥でも血でもない。影のように揺らめき、生き物のように森へと消えていく。
一瞬の出来事。誰もが死体を見つめる中、異様な黒はレオナールだけの視界に映った。
「な、何だ今のは……?」
背筋に氷が這い上がる。脳裏で先ほどの声が反響する――いつまでも平和でいられると思うのか?
「レオナール様、これはどういうことですか!」
駆けつけた警備兵の声。
「ウラク殿が……飛び降り自殺を……」
「そうは見えませんでした。押し倒したように見えましたが?」
「ち、違う! 私は――」
弁明は届かない。
誰も黒い液体を見ていない。証拠もない。
「詳しく話を聞きます。来てもらいましょう」
両腕を押さえられ、レオナールは尋問室へ。
背後には、死んだウラクの肉体と、どこかで嗤う悪魔の気配――ただそれだけだった。
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