森の奥の村
翌朝、レオナールは市場へ出かけた。山で採れた茸や木の実、干し肉、蜂蜜の壺が並び、朝霧に湿った土の匂いと混ざり合う。
ゴールドフィンのキャラバンは、品定めをする民衆に囲まれながら、荷造りに忙しそうだった。
その雑踏の中で、ナクサがそっと近づき、レオナールの耳元で囁く。
「帝国のアレクセイ王が行方不明になったらしいの。急いで帝国に調べに行くことになったわ」
「それで、サクナはどうするんだ?」
「兄さんからゴールドフィンに同行してほしいって言われたの。自分で解決する人が頼みごとなんて珍しいわ。ここだけの話、兄さんは帝国にはいないの。今はどこかのダンジョンに潜ってる」
レオナールは眉をひそめたが、彼女の瞳をまっすぐ見つめる。
「わかった……気をつけて行け」
二人は人目を盗み、ぎこちなくも心いっぱいの愛情を込めて口づけを交わした。唇が離れると、ナクサは名残惜しそうに微笑む。
「それじゃ、行くわ」
「ああ? カシスはどうするんだ?」
「もちろん連れていくわ。あの子にとって建築の勉強にもなるし」
タリアンの話していた不吉な予感は、今のところ影を見せてはいなかった。
ゴールドフィンのキャラバンを見送る民衆が広場に集まっていた。その中にウラクの姿もある。
レオナールは声をかけ雑談しようと歩み寄ったが、老人は数人の男と話し込んでいた。男たちの発音には、かすかに帝国語のなまりが混じっている。
ウラクは、レオナールが見ていることに気づくと、にやりと笑い近づいた。
「はっはっは、まずいところを見られてしまいましたな」
「奴らは何者です?」
「オルフィン侯爵の密偵ですな。帝国の情報収集は我々にとって重要な任務の一つでしてな……。そうだ、挨拶させましょうか」
大通りで密偵と面会する大胆さ。無頓着さ。周囲の民衆の目がちらりとこちらを向く。
「今夜、監視塔に来るといい。面白いものが見えますぞ」
それだけ告げると、ウラクは人波の中に消えていった。
その後レオナールは農政の仕事として、侯爵領直轄地域の視察に出た。
平地は少なく、段々の棚田が山肌に広がる直轄領。谷間には朝靄が漂い、木々の間から鳥の声が響く。林業や狩猟で糧を得る者も多い。城の農政局分所から若い職員が案内役として同行した。
「執政官殿、このあたりの村を回るのは、登山そのものですな」
体格のしっかりした職員が息を弾ませ、楽しげに笑う。途中からは馬車も入れず、岩だらけの山道を徒歩で登るしかなかった。
「こんなところにも村があるのか?」
「ええ。この村は昔、帝国から亡命してきた人々が築いた集落です。アレクセイ王の義兄が村長を務めています」
木立を抜けると、山腹に広がる村が姿を現した。想像以上の家屋が並び、木柵と石垣に囲まれている。貧しい山村というより、小さな砦と呼ぶにふさわしい光景だった。
「誰だ?」
門の前には剣士が立っていた。日焼けした肌、鋭い眼光。片手はすでに剣の柄にかかっている。冷ややかな声に、レオナールの背筋がぞくりとした。職員が前に出て答える。
この村が単なる亡命者の隠れ里ではないことを、レオナールは直感した。
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