姉弟
侯城を離れた監視塔の頂にて、老執政官ウラクは風に白髪をなびかせていた。
彼の視線の先には、大森林を縫うように進む兵の波――オルフィン軍が演習場へ向かっている。
「……これほどの規模で軍を動かすのは久しいな」
その呟きには、長年政を担ってきた者にしかない満足感が滲んでいた。
「他の執政官たちは、どこに?」
レオナールの問いに、ウラクは指を伸ばす。陽光を反射する甲冑をまとった二騎が、軍列の先頭に並んでいた。
「会議もせず、勝手に軍を動かすなど許されません!」
エンジの声は烈火のごとく鋭い。
「何を言う。これはスサノオ様の御命令だ」
掲げられた書状に、彼女は眉をひそめる。
「確かに真筆……。けれど内容は“国境警備の強化”。軍を動かせとはどこにも書かれていない」
「ならばこそ演習だ。戦も知らぬ烏合の衆を鍛えねば、国境など守れぬ」
やがて軍は森を抜け、草原の光に包まれた演習場へと到着した。
しかし、その光景は目を覆いたくなるほど惨憺たるものだった。
ウラクの指摘どおり、手際は悪く、軍としてのまとまりもない。方面軍ごとに練度も技能もばらばらである。
「これで戦えるものか。前の軍司令は一体何をしていたのだ」
ウラクの冷笑が空気を裂く。
オダニは悔しさに唇を噛み、エンジの頬は怒りで紅潮した。
「それはあなた方が演習に反対したから! 今さら嘲笑うなんて……」
「――やめろ」
レオナールの声が二人の間を断ち切り、重苦しい沈黙が広がった。
※
執務室へ戻ったとき、彼らを待っていたのは一通の報であった。
「父、危篤。至急帰れ」
文字を目にした瞬間、エンジの肩が震え、机に額を伏せる。
だが顔を上げたとき、その瞳は涙ではなく決意に光っていた。
「オダニ、一緒に来て」
「俺が……? だが、あの人に嫌われている」
「違うわ! 父さんが一番気にかけていたのは、あなたよ。ひとりでやれるかって、いつも心配していた」
弟はしばし黙し、やがて低く答えた。
「……わかった。俺も会いたい」
そのやりとりにレオナールは目を見張る。
「まさか、二人は……姉弟なのか?」
「はは。その通りよ!」
エンジが口を開いた。
「オダニは剣大会の勝利で新たに男爵家を興した。だが兄がすでに亡くなり、私が家を継いだのです」
真実を知り、レオナールは静かに頷いた。
「ならば迷う理由はない。行きなさい」
「けれど、領の南端までは一日がかりです」
オダニは、悩んでいた。
「構わぬ。今のところ怪しい影はない」
二人は去り、残されたレオナールは夜を迎える。
だが――翌日。
想像もしなかった事件に、彼は巻き込まれることとなった。
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