三度、侯都へ
レオナールは、侯都シュベルトを目指して馬車を走らせていた。街道には同じく侯都へ向かう商団が何組も連なり、荷台の軋む音が絶え間なく続く。
「食料、火薬、酒……」
御者台で隣に腰かけるエンジが、通りすがりの荷馬車を一瞥しては、その積み荷を推測し、紙片にさらさらと書き込んでいく。横顔はなぜか真剣だった。
やがて、執政官の馬車が列を追い抜くと、先頭には見覚えのある紋章が揺れていた。金色の魚を象った旗――ゴールドフィン商会。
「おや、レオナール殿が乗っているのか?」
声をかけてきたのは、豪放磊落そのものの大豪商だった。
「はい。ゴールドフィン殿も、行き先はシュベルトでしょうか?」
この先、大都市と呼べるのは侯都しかない。問いは儀礼のようなものだったが、返事は意外だった。
「ははは、もちろん……と言いたいところだが、二、三日滞在したら帝国へ向かうつもりでな」
国境を越えることなど、彼らにとっては市場を一つ移すくらいの気軽さなのだろう。
ただ、気になることがあった。ツーソンで農政局の依頼品を降ろしたはずなのに、荷馬車の数が減っていない。レオナールが怪訝に目を細めると、ゴールドフィンはすぐに気づき、にやりと口角を上げた。
「帝都まで行くからな。あちこちから頼まれごとが舞い込むのさ」
「なるほど……。できれば私もご一緒したいものです。帝国や他の地の農政や農業を、自分の目で見てみたい」
「おいおい、真面目ぶるなよ。若いのが旅に出たら、まず女だろう? 各地の美女を味見したいんじゃないのか?」
にやりとした挑発に、レオナールは慌てて手を振った。
「そ、そんな気は微塵もありません!」
「ふん、堅物ってやつか? それとも女が怖いのか?」
「……自分は堅物ではないつもりです。それに、サクナのことを怖いと思ったこともありません」
真剣そのものの答えに、豪商は腹を抱えて笑い出す。周囲の護衛たちまで吹き出した。
その護衛の顔ぶれを見て、レオナールは小さく息を呑む。東方旅団のカーチス、ナクサ……そして、変装を施したカシスの姿まであるではないか。
「あれほど駄目だと言ったのに……」
思わず漏らした声は、ため息混じりだった。だが、彼女たちが大人しく従うはずがないことなど、誰より自分が分かっていた。
※
やがて一行は、侯都シュベルトの城へと入り、司法局に到着する。エンジの執務室に通されるや否や、彼女は当然のように椅子へ腰を下ろし、メイドたちへ矢継ぎ早に命を下した。
「お茶をもらうわ。それと、侯爵たちの居場所を至急調べて!」
「御意」
恭しく頭を下げると、メイドたちは音も立てずに散っていく。密偵に命が渡されたのだろう。エンジの一言が、この部屋を完全に支配していた。
しかしレオナールの胸には、どうしても消えない疑問があった。なぜ彼女が執政官の座に就いているのか。確かに才知に優れ、明朗で判断も早い。だが、この国で権力を握るには、それだけでは足りないはずだ。
「どうしたの、レオナール? 顔に全部出ているわよ」
「いえ……」
口を濁す彼の代わりに、オダニが肩をすくめて笑う。
「こいつ、エンジ殿がなんで執政官を務められるのか、知りたがってるんだよ!」
「ふふっ、なんだ、そんなこと。早く聞けばいいのに!」
エンジは楽しそうに笑みを浮かべ、わざとらしく胸を張った。
「私はね、オルフィンの一族なの。でも――本当の理由は、あなたたちが想像するより、もっとずっと面白いわよ」
お忙しい中、拙著をお読み頂きありがとうございます。もしよろしければ、ご評価をいただけると幸いです。又、ご感想をお待ちしております。




