家を買う日
「お美しくなられましたな」
マクラーレン男爵は柔らかく微笑みながら、サクナに視線を注いだ。
「お上手ですね。マクラーレン卿もお変わりなく」
サクナは軽やかに応じる。
「いや、すっかり老いましたよ」
男爵は肩をすくめ、苦労の刻まれた顔を自ら指し示した。
「それじゃあ、まずお借りする契約ですが……」
レオナールが本題を切り出す。
「ああ、もちろんタダでお貸ししますとも」
男爵は即答した。
その一言に、カシスも兄も、そしてレオナールまでもが困惑の表情を浮かべる。
「そ、それは困ります。私が兄に怒られてしまいます。臣下のものをただで借りるなと……」
レオナールは思わず声を上げた。大王スサノオの名が出た以上、無償では済まされない。
「それでは、こちらで」
カシスは、あらかじめ用意していた契約書を机に置き、裏返してレオナールの前に差し出した。本当は後でそれとなく渡すつもりだったのだが。
サクナがすっと契約書を取り上げ、確認する。
「安いわね。王都で新築を借りようとしたら、この何倍もするわ」
「いや、安すぎだよ。一軒家なんだし」
レオナールも眉をひそめた。
「へへへ……でも、レオナール様夫妻がお借りした家ですから。後で借主が現れますよ」
カシスは照れ笑いを浮かべる。
「駄目よ、カシス。価値のあるものにはきちんとお金を払うべきだわ。将来どこに住むかはわからないけど、別荘にしましょう。だから賃貸じゃなくて、買うわ。安いと私の名前に傷がつくからね」
サクナはきっぱりと言い切った。
「そんなぁ……! 気に入らない部分は改築しますし、メンテナンスも全部お任せください!」
カシスは感激のあまり、涙を浮かべる。
「そうか? カシスは建築家になりたかったのか?」
オダニがからかうように言った。
「今更ですよ、オダニ様……」
カシスは顔を赤らめる。
「すまんすまん。じゃあ詫びとして、俺も護衛のため借りる予定だったが、買わせてもらおう」
「はぁ? 独り身で?」
カシスが呆れ顔を向ける。
「実はエンジから、一緒に住める家を探せって言われててな」
オダニは苦笑した。だが、エンジは今シュベルトにいる。あの彼女のことだ、司法局ごとツーソンへ移転させてしまうに違いない。
サクナの異常なまでに早い決断によって、家の売買はその場で即座に決まった。
「お金はゴールドフィン様に持って来させるわ」
サクナは涼しい顔で言い放ち、そしてふと男爵に視線を戻す。
「ところで、どうしてマクラーレン卿は資金にお困りなのでしょうか? 王国のせいでしょうか?」
わざと挑発めいた響きを含ませる。
そうでもしなければ、「苦労していない」と言い張られるだけだろう。
「何をおっしゃいますやら。これは我がマクラーレン家で起きた家畜の病気のせいです」
「病気はなんでしたか? 原因は?」
レオナールの目がぎらりと光った。
「カシス」
サクナが静かに声をかける。
「これから先のことはレオに任せましょう。私は買い出しに行きたいの。付き合ってくれる?」
「それならば、馬車が必要ですね。私も同行いたします」
レオナールはカシスの兄とともに牧場へ歩き出した。
サクナはオダニの御者を務める馬車に、カシスを伴って乗り込む。
「ああなると、レオは止まらないわ」
サクナは窓越しに彼の背中を見つめながら、微笑んだ。
「カシス、心配しなくても大丈夫。問題は必ず解決するわ」
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