ナクサの正体
「許可は得ました。レオナール、同行させてもらうよ」
カーチスが馬車の扉に手をかけ、足を踏み入れようとした瞬間――
「カーチスに来てもらうのは、絶対にダメ! 残って東方旅団の仕事をしてください!」
窓から響いたナクサの声は鋭く、揺るがなかった。まるで見えない壁がカーチスの前に立ちはだかったかのようだ。
「ですが、団長からもナクサさんの警備を頼まれておりますので……」
カーチスは言葉を探す。だが、ナクサの瞳は決意に満ち、頑なに動かない。
「私がついております。ご安心ください!」
オダニが馬車の前で鎮座し、威厳ある声を投げかける。カーチスはぐっと足を止め、視線を落とすしかなかった。
「……わかりました」
小さく息を吐き、カーチスは一歩引いた。馬車の扉を閉め、静かに黙り込む。
ナクサは微笑んだが、その目の奥には揺るがぬ意思が光っていた。
「それじゃ、団長には、レオナール様の家を見に行ったと伝えてくださいね!」
馬車はゆっくりと動き出す。御者のオダニが手綱を握り、先導するのはカシス。
丘の上に広がる牧場、数軒の家、そして重厚な牧場主の屋敷――その景色が二人を迎える。
「出来たばかりの家です。どうですか?」
「いや、新築でなくても……」
レオナールは遠慮がちに目を細めた。だが、ナクサは彼の手を取り、顔を輝かせる。
「とりあえず見てみようよ!」
その手の温もりに、レオナールは思わず胸が熱くなる。
オダニとカシスは、二人の仲睦まじい様子に驚きを隠せなかった。
「まずはきちんと挨拶しよう。それが礼儀だ」
レオナールの声が、場の空気を引き締める。
「そうね……レオナールの婚約者、サクナです。よろしく」
瞬く間に、幻影魔術が消え、薫風のように自由で優雅なよく知られるサクナヒメが現れた。それすら実はかりそめの姿だ。
「サクナヒメ様、お会いできて光栄です。レオナール執政官様の警備をしております、オダニです」
オダニは深く騎士の礼を取る。気高さと強さが混じるその姿に、自然と背筋が伸びる。
「は? 本当は美人って言ったから……合格じゃない?」
カシスは思わず口を滑らせ、顔を赤らめる。
「馬鹿野郎、挨拶をしろ!」
オダニの鋭い声に、カシスは慌てて名乗る。
「カシスです。農政局の職員をしております……」
「せっかくだもの。カシス、案内してね! レオと私の家よ」
ナクサの目は輝き、家に向かって歩き出す。
「いや、サクナは王都に帰るんじゃ……」
「変な虫がつかないように、見張るのは植物も人も一緒よ! お兄様には、許可をもらってるから」
レオナールはため息混じりに肩をすくめる。これで残業はできないな、と心の中で呟いた。
「ところで、あの大きな屋敷の主人は?」
ナクサの瞳が好奇心で輝く。
「……」
カシスは言葉を濁し、視線を落とす。
「もしかして、あの家、お前の家か?」
「その通りです」
オダニの声に、カシスは小さく頷いた。
「大家さん。あとで、貴女のご両親にも挨拶しないとね。さ、先に案内して!」
ナクサの声が丘の上に響き、穏やかな風に乗って広がった。
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