春野菜のパスタ
「この店は?」
「ああ、あの子、エリーの店です。義娘でしてね」
「いえ、オーナーはカルマ様です。私はただの雇われ店長なんです」
女性は静かにキッチンへと消えた。その背中を見送りながら、レオナールは少し考え込む。店主とオーナー……その距離感が気になるが、今は聞くべきことがある。
「それで──聞きたいことというのは?」
「オルフィン領のことを伺いたいのです。カルマ殿が優れた方だと噂で……」
「買い被りですよ。ただ長く勤めているだけです」
レオナールは無意識に首を横に振った。
言葉では謙遜していても、その眼差しや所作には確かな自信が滲んでいた。ペンを手に取り、カルマの的確な指摘を静かに手帳に書き留める。店内にはペン先が走る微かな音だけが響いた。
やがてキッチンからエリーが現れ、色とりどりの皿をテーブルに並べる。サンドイッチには瑞々しいオルフィンの畑で採れた野菜がぎっしり詰まっていた。
「食べながら話しましょう。レオ殿、遠慮せず」
「ありがとうございます」
「エリー、コーヒーのおかわりを」
「はい……父さんに習ったから、ちゃんと淹れますね」
カルマは笑顔でカップを差し出す。その表情には、親子というよりも、穏やかな信頼と微かな甘さが漂っていた。
「ところで──カルマ殿はオルフィン領の執政官を希望されていたのですか?」
「ははは、本人を前にそれを聞きますか……私自身というより、アオイ伯爵でしょうな。恩人で、私を引き立ててくれた。その延長で、執政官会議の多数派を握りたいのでしょう」
エリーが小さく口を挟む。
「あいつは、父さんが邪魔なのよ! ミナグロスから追い出して、アオイの馬鹿息子を後釜にしたいだけ!」
「こら、エリー! そこらへんにしなさい」
カルマは肩に手を置き、そっとたしなめる。その仕草には、怒りというよりも深い愛情があった。
「はい、父さん。でも今日は一日手伝ってくれるのよね?」
店内には笑い声と温かい空気が漂う。外にはすでに人の列ができていた。人気店の活気が、静かな会話に柔らかな緊張を添えている。
「そろそろ話を切り上げましょう」
「最後にひとつだけ」
レオナールは身を乗り出す。
「今の農政の仕組みについて、教えていただけますか?」
「……最初はこの土地を開拓し、統治するのも大変だった。商人と協力して何とかしたんだが……気づけば既得権益の温床だ。歪みも目立ってきている」
「やはり……農政改革を進めるつもりです」
カルマは深く頷いた。
「それがいい。みんな、きっと望んでいる」
「ご馳走様でした」
「ああ……」
何か言いかけたカルマは唇を閉じる。言葉にならない思いを、微笑みに変えたのだろう。
レオナールは席を立ち、外へと出る。その背を見送るように、エリーが看板を裏返した。
「──今日のランチは、春野菜のパスタだよ!」
その声には、春の柔らかい陽光のような温かさがあった 。
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