執政官の試練
翌日、レオナールは財務局を訪れた。
同行するイズモは眠そうだが、どこか満足げだ。
「最高な時間だったな。お前も来ればよかったのに。奢ってやったのに」
勝負のつく甘い香の残り香が鼻をくすぐる。
「いえ、お気持ちだけで」
一度、先輩に連れられて行った店は――いつの間にか忽然と消えていた。
建物ごと、まるで最初から存在しなかったかのようだ。
「お前も、息抜きが必要だろうに」
「そうですね……」
土いじりも好きだ。下手だが論文を書くのも好きだ。
そして何より――仕事以外で一番の楽しみは、サクナヒメに手紙を書くこと。毎日欠かさず、ひと文字でも送る。
「ふうん。そんなことがね」
イズモは呆れとも感心ともつかぬ笑みを浮かべた。
「さて、ここだ」
ミナグロス城の広い一室。
早朝から職員たちが紙束を抱えて声を張り上げ、忙しそうに動き回る。受付には誰もいない。
レオナールは思い切って声を出した。
「農政局です。予算の申請に参りました」
瞬間、部屋の動きが止まり、一斉に彼を見た。
「……何かおかしなことを」
「すまん。俺が担当していた間、農政局から申請なんて一度も無かった。いや、前任の頃からかもしれん。それで驚いているんだ」
イズモが事情を補足する。
すると、同年代の若い職員が慌てて駆け寄る。
「お待たせしました。イズモ執政官殿。農政の予算申請ですか?」
「ああ、申請するのはこちらの方だ」
「新しく執政官になりました、レオナールです」
申請書を差し出す。
「……わかりました。受付は致します。ただし、難しいと思います」
若者は席を立とうとした。
「待ってくれ。農政局の予算も、きちんと割り振られているはずだろう?」
執政官の声に、若者はびくりと震える。
そこへ、年配の職員がゆっくり歩み寄った。
「農政局の予算、確認しましたか?」
「いや……」
「やはり。不勉強な新任の執政官殿に、ひとつ教えて差し上げましょう。このオルフィン侯爵領で――一番予算を食っているのは農政局なのですよ」
年配の職員は、若い執政官をやり込めた満足そうに微笑む。
レオナールも事前に資料を調べていたが、農政局の記録も職員の知見も、その根拠を示してはいなかった。
「そ、そうなのか……?」
「話になりませんね」
なおも食い下がり、レオナールは頭を下げる。
「すまない。詳しく教えてもらえないだろうか」
鼻で笑い、年配の男は無視して去ろうとした。
「……グランさん」
イズモの声が背中に冷たく届く。
「執政官にここまで頭を下げさせて無視ですか。それでは問題にも、噂にもなりますよ」
肩がぴくりと揺れた。
「くっ……それでは、別室でお話ししましょう」
案内された会議室。
静寂の中で語られたのは――レオナールたちの想定を根底から覆す、衝撃の内容だった。
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