止まらぬ剣
必死に剣を振る男がいる。目に見えぬ何かと戦い続けるように。
訓練所には、彼一人だけだった。
オダニ男爵は剣と語り合うかのように全身の汗を吹き出し、道着はびっしょりと濡れている。
その動きを察したのか、彼はふと剣を止めて、こちらを振り返った。
「オダニー、はいっ」
エンジが満面の笑みでタオルと水を手に駆け寄る。
男の険しかった表情は、ぱっと優しさに変わった。
「ありがとう。そちらは?」
「レオナールです。新しく執政官として着任しました」
「そうか、頼むぞ」
一言そう言うと、オダニは差し出された水を飲み、汗を拭った。
「色々聞きたいことがあるのですが……」
「話すことはない。もう執政官じゃないしな」
そう言い捨てると、彼は再び剣を振り始めた。話す気はなさそうだった。
「今度、改めて時間を作るわ」
エンジが小声でつぶやき、抜いた剣をオダニに向けて構えた。
「オダニー、訓練をつけてくれ」
「ああ」
二人は真剣に剣を交え始める。
レオナールも幼い頃から剣を習っていたが、才能には恵まれなかった。
だが、彼らの繰り出す技は、肌で感じる間違いなく高いレベルの模擬戦だった。
「見事なものだろう?」
隣で眺めていたイズモが言う。
「オダニ殿は軍の指揮も優れていましたよ」
「他の軍人たちはどこにいるんですか? 見当たりませんが?」
「さあな。オダニ殿は軍務から外されているから、別行動をしているのだろう」
何か裏があるのか。魔物の出現は聞いていないが。
「ここでは自分から動かないと仕事にならない。さあ、貴方の所管の農政局を案内しよう」
「ありがとうございます」
レオナールはオダニとエンジの剣戟の心地よい響きを耳にしながら、イズモの後を追った。
侯都シュベルトを降り、馬車はのどかな田畑の広がる大街道を南へ進む。
遠くには万年雪を頂くカラドゥム山脈がそびえ、その麓から流れる川と肥沃な大地が穀物を育んでいた。
長閑な田畑の間を進む馬車の中、レオナールはふと剣戟の音を思い出し、目を閉じた。
振り返れば、オダニとエンジが織りなす剣戟はまるで息を合わせて踊る舞のようだった。
彼らの間に流れる温かな信頼。
それを見つめるうちに、レオナールの胸に、王都にいる婚約者サクナヒメの姿がふと浮かんだ。
彼女はこの春、庭で鍬を振っているだろうか――。
だが、軍務から外された男が、なぜ今も剣を振り続けているのか。
その答えは、まだ誰も知らなかった。
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