祈り
最期の刻が来た。
「思っていたより、長く生きられたわ。……ありがとね、スサノオ」
「……」
「母さん、あの家に帰りたい。眠くなってきたの」
優しいあの子のことだ。――きっと、私の最後の我儘を、黙って聞いてくれるだろう。
※
レイラは、俺の腕の中にいた。
その身体は静かに呼吸していて、けれどどこか、今にも消えてしまいそうな儚さを帯びていた。
「リド……眠くなってきたわ」
「うん。安心して眠っていいよ。起こしてあげる。もちろん、朝食も作っておくから」
「ふふ……ありがとう」
彼女はゆっくりと、まぶたを閉じていく。だが、本心ではまだ目を閉じたくないらしく、名残惜しげに俺の顔を見つめた。
俺はその視線に応え、そっと唇を重ねた。
冷たい口づけだった。涙が頬を伝い、彼女の肌に落ちた。
……それが、彼女の頬に触れた最後の温もりだった。
※
俺は、大森林の石碑の前に立っていた。
傍にはスサノオ、ティア、そして“森の魔女”がいる。
他の仲間たちには、すでに別れを告げてきた。修行と巡礼を兼ねて、大陸中を旅していたのだ。
サクナはすでに亡くなり、ノクスフォード侯爵領、シュバルトの東方聖教会の墓地に、夫のレオナールと共に葬られている。
「西方聖教会にしておけばいいのに」
ノクスは不満げに呟いたが、こればかりは仕方がない。
あのふたりは、最期まで寄り添い合う夫婦だった。
「……娘を見送るのは、辛いものだな」
俺が呟くと、珍しくノクスは茶化さずに頷いた。
彼女もまた、ナッシュとナナ――大切な者たちを、見送ってきたのだ。
※
スサノオは王位を退き、今は大森林の北の塔で、“森の魔女”と穏やかに暮らしている。
幾度もの悪魔の侵攻を退け、もはや奴らが地上に姿を見せることはない。
「父さん、収納魔道具は持ったかい?」
「ああ、大丈夫だ」
「中身はここからでも補充できる。欲しいものがあったら、すぐに言ってくれ!」
ティアが、俺に付いていきたいとせがむ。
スサノオもノクスも、同じように俺を見つめていた。
――だが、すべて断った。
「これからも、見守っていてほしいんだ。……サクナの子孫を」
それに、これは俺自身の我儘だ。
※
そのとき、ティアが天を仰ぎ、大きく咆哮した。
轟くその声は、大森林全体に響き渡り――
たちまち木々が白く凍りつき、霧が銀白の氷雪へと変わっていく。
一瞬にして、森が静寂と凛とした冷気に包まれた。
この世のものとは思えない荘厳な光景に、俺はただ息を呑み、空を仰いだ。
そのとき――
耳の奥に、レイラの声が微かに響いた。
『貴方が生きてくれることが……いちばん大切なのよ』
『これで、この世界を永遠に平和にできる』
あの日、子どもだった俺が、わざと手を抜いてゲームに勝たせたとき――
それを見抜いて、膨れっ面をしていたレイラの顔が、瞼の裏に浮かぶ。
「お前のいない世界は……とても、寒いよ」
俺は石碑に手をかけ、それをゆっくりと引き抜いた。
現れる魔物を軽く斬り伏せ、そのまま静かに、地下迷宮の入り口へと足を踏み入れる。
「――じゃあ、行ってくるよ」
黄泉の国へ。
ありがとうございました。
サクナの子孫、サクナ・ノクスフォードのリベリオン新作投稿してます。




