スサノオの旅立ち
王都、春。
レイラに子どもが生まれた。女の子だ。
名前は──「サクナヒメ」。
もちろん、スサノオが黙っているはずがなかった。
しかし、彼にはもうすぐ、大森林の魔女のもとへ修行に行くという約束があった。
「あの子は、ちゃんと従ってくれるだろうか……」
俺は胸の奥で、こみ上げる不安を隠せなかった。
「わかってる」
スサノオは短く答えると、クシナダヒメに跨がり、遠くへ飛び立っていった。
夜が更けても、戻ってくる気配はなかった。
「……レイラに相談したら、きっと笑い飛ばされるだろうな」
そう呟く俺の視線は、窓の外の暗闇を見据えていた。
スサノオは、俺が子どもだった頃とは比べものにならないほど強くなった。
ドラゴンを従え、魔女の権能をも操る少年だ。
──とん、と扉を叩く音が鳴った。
俺が振り返り、扉を開けると、ナッシュ兄妹の伝聞鳥が手紙をくくりつけていた。
「スサノオは預かった。バルバッドにいる。ルクス」
誘拐か──? そんなことはありえない。おそらく信者への勧誘だろう。
「まあいい」
俺には急ぐ仕事がある。そう自分に言い聞かせ、仕事場へ向かった。
気づけば数日が過ぎていたらしい。
仕事場の扉が勢いよく開き、愛する妻レイラの声が飛び込んできた。
「リドリー、何やってるの? 連絡したのに、全然出ないし!」
胸にサクナヒメを抱き、心配そうに詰め寄ってくる。
「何があった?」
慌てて俺は立ち上がる。だが、その後ろに立つ少年の姿を見て、胸をなでおろした。
「あれ? 無事じゃん」
「当たり前でしょ? どうせ飯も食ってないんでしょ? さあ、食事にしましょう!」
レイラはすべてを理解しているようで、スサノオの頭を優しく撫でてそっと抱きしめた。
仕事場を出ると──目に飛び込んできたのは、異様な光景だった。
氷雪島の我が家の前は、いつの間にかパーティ会場に変わっていた。
知人たちが集まり、俺の知るすべての魔女たちが顔を揃えている。島の魔女ナイアも、大森林の魔女も。
「……これは、いったい何なんだ?」
「あなたの指示で集合したってことで、みんな来てるわよ」
「はぁ?」
どうやら、これはスサノオの仕業らしい。
彼を探すと、大森林の魔女と真剣に話し込んでいた。
「ばぁば、森にはなかったから取ってきたよ──人魚の涙」
「ほぉ、そうかい」
「ネックレスにしてあげるね」
あの大森林の魔女が、目を細めてスサノオの言葉に聞き入っている。
「リドリーか。今日はスサノオの送別会に呼んでくれてありがとう。歓迎会もやらねばな」
──え? 大森林の魔女が俺に礼を言った。
スサノオがこちらに小さく合図を送る。
まさか、全部こいつが仕組んだのか。
俺は意味不明な「スサノオ送別会」の進行役を務めることになった。
しどろもどろの俺を見て、レイラが楽しそうに笑っていた。
夜が更け、ティアとクシナダヒメが客たちを送り出すと、氷雪島はようやく静けさを取り戻した。
ほんの数日だけ、家族水入らずの時間を過ごした。
大人数で騒ぐのもいいが、こういう穏やかな時間が一番だ──まあ、家事は全部俺の仕事だけど。
そして、ついに旅立ちの朝が来た。
空には、数えきれないほどのドラゴンが整列し、悠然と飛んでいる。
その先頭には、イグニアが大森林の魔女を背に乗せていた。
「父さん、母さん、サクナ──お世話になりました。行ってきます」
その言葉を告げ、スサノオが俺たちのもとから背を向けた瞬間──
「待て、スサノオ」
俺は静かに呼び止めた。息子が振り返る。
その手に、黙って差し出したのは──
ひと振りの剣だった。
炭を吹き、鋼を打ち、炎を見つめて、ただ一人で鍛え続けたもの。かつて、父がしたように。
何も言わなくても、彼はすべてを理解していた。
「……ありがとうございます」
そう一言だけ告げて、スサノオは剣を腰に差した。
そして、もう二度と振り返ることなく、歩いていった。
未来だけを見て真っ直ぐに
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