塔の中に
俺たちは、塔の扉をくぐった。
「リドリー様、お待ちしておりました」
ナッシュと、生き残った使用人たち。それから、囲われていた女子供たちが、静かに列をなして出迎えてくれた。
その先頭に、マルクの腕に抱かれたアルがいた。白布をまとったその姿は、まるで再び降臨した聖女のようだった。
彼女はゆっくりと地に足をつけ、ひと息ついてから人々に向き直った。
「……皆。顔を見せてくれて、ありがとう。もう、大丈夫よ」
その声には、張り詰めた糸のような気高さがあった。
アルは一人ひとりの顔を確かめるように見渡し、ふっと微笑んで、浅く頭を下げた。
「おお……」
「アルマリカ様、ご無事で……」
人々の胸から、押し殺していた安堵の吐息が零れていく。
けれど――アルは、目を逸らすように、わずかに伏し目になった。
その視線が、列の隙間を探るように何度も動いていたのを、俺は見ていた。
いるはずの者たちの顔が、そこにはなかった。
それは、あまりにも残酷なほど明白だった。
アルは気づいていた。最初から。
だからこそ、あの微笑みにも、翳りが差していたのだ。
やがて、使用人たちがそっと案内を促す。
亡骸は塔の奥、ひんやりとした石の間に安置されていた。
そして、そこで彼女は、もう隠せなくなった。
「……やっぱり、逃げなかったのね」
呟くようにこぼれたその言葉は、怒りでも悲しみでもなかった。
ただ、無念を抱いた母親の声だった。
老いた執事――執事長と思しき男が、深く頭を下げて言った。
「彼らは、この地と貴女を守るために、最後まで戦い抜きました。立派な最期でございました。どうか、褒めてやってください」
アルは黙ったまま、亡骸の傍らに跪いた。
目を閉じて、ひとり、ひとり、頬に手を添えていく。
「……勝手な子たち」
その声は、かすかに震えていた。
「逃げなさいと、あれほど言ったのに……どうして、どうして聞いてくれなかったの……」
その手の下で、冷たい頬に涙が落ちていく。
言葉を探すように、あるいは祈るように、彼女は小さく何度も首を振った。
「私の……力が足りなかったせいね。許してちょうだい。ごめんなさい。ありがとう」
その瞬間だった。彼女の奥底に沈んでいた怒りと悔いが、恐るべき魔力となって、静かに形を持ち始めた。
塔の外を吹く風が、渦を巻き、荒れ始めている。
――ああ、これは彼女の叫びだ。
俺の耳にも届いていた。塔を包む暴風の音。
「……怪我人は俺が診よう。ナッシュの兄妹は、食事の支度を。……この神殿の補修は?」
俺は、気を引き締めて周囲を見回した。
「我々が責任を持って行おう。これは、砂の民としての罪へのけじめだ」
マルクが即座に答え、背後に控える者たちへ鋭い指示を飛ばした。
「……葬儀はどうなっている?」少しだけ息を整え、俺は尋ねた。
「亡骸は、バルバッドの教会へ。順に運び、葬儀をお願いしておりましたが……」
代わって答えたのは、執事長だった。まだ終わっていないのだ。
「では、私が……これでも司祭ですので」
ニコライが手を挙げる。淡々としていながら、決意のこもった声だった。
「いや、わしがやる。この地は元より、西方聖教会の信徒じゃ。仕方なく、他の教会で弔っていたのだろう」
ノクスが即座に噛みつき、ニコライを鋭く睨みつける。
「……こらこら。死者の前で、聖職者同士が喧嘩するなよ」
俺はため息をついて、ノクスの頭に拳骨を落とした。
鈍い音が、ひとつ。
そのあとに、場の空気がほんの少しだけ、緩んだ気がした。
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