騎士団長の威厳
「母さん」
ザラフがそっと声をかけると、母親はまぶたを震わせ、ゆっくりと目を開いた。
その瞳が、娘を捉えた瞬間、ふわりと微笑みが灯る。
「ザラフ……長く……眠ってたのね。あら、お客様?」
微かな声。だが、その響きに確かな温もりがあった。
「ええ。神様の声が聞こえた使徒の方が……それで、母さんの病気も……治してくれたの」
その言葉に、母親は目を見開き、静かに息を呑んだ。
「お前に、聞きたいことがある!」
ノクスは、地面に落ちていた皮片を拾い上げる。それを差し出すと、母親は一目見るなり顔を曇らせた。
「ああ、それは……」
言葉を濁し、まぶたを閉じる。
「まあいい、ゆっくり話そう。今はザラフと食料を取りに行こう」
俺はそう促したが、ザラフは首を振る。
「……罰されます。私が出れば……体罰を受けるだけです」
「俺がいる。大丈夫だ。今度は……公平に配らせるよ」
配給所には、怒号が渦巻いていた。
難民たちが列を崩し、長老たちは為す術もなく、群れの暴力に押されている。
「早くよこせ! 腹が減って死にそうなんだ!」
「がきは下がってろ! お前らの分なんてあるか!」
「順番だ! 数は足りてるはずだろう! 落ち着け……!」
だが叫ぶ者の声は掻き消され、食料のつまれた荷車に男たちが殺到し、小麦袋を持って走り去る。
ノクスは無言で背中の剣を抜き、くるりと回して地面に突き刺した。
どんっ。
空気が裂ける音と共に、大地が唸った。
爆風と共に、周囲の者全員が倒れ込む。
「聞け!」ノクスが怒鳴った。「勝手に持ち去った者は戻せ! 逃げた者は――斬る!」
怯んだ者が数歩退く中、それでも走り出す男達がいた。小麦袋をしっかり抱えて。
ノクスは一歩踏み出し、手を伸ばしかけた。が、その瞬間――
逃げた男たちが次々と白目を剥き、泡を吹いて地に崩れ落ちた。
ノクスは静かに肩をすくめ、背後の空気に問いかける。
「……やりすぎでは?」
「死んではおらん。眠らせただけだ。お前が怒るからな」魔女は、あくまで涼しげに言った。
配給所は、水を打ったように静まり返る。
「神は……お怒りだ。マゴメドがどうなったか、知らんとは言わせんぞ」
ノクスは、周囲を見回した。
「並べ。全員に配る。そこの者たち、長老を手伝え。これは命令だ」
少し誇らしげに、彼は鼻を鳴らす。
(脅してなんかいない。これが騎士団長の威厳だ。……たぶん)
ザラフはそっと立ち上がり、無事に小さな袋を手にした。
「ザラフ。あとで母さんのところを見に行く。先に帰っていろ」
そう言い残すと、ノクスは背を向け――すっとルミナの姿へと変わっていった。
「さて。リドリー、お前の番だ。刻印狩りに向かうぞ」
取り残された俺は、ため息を吐き、残る人々の元へ歩いた。
治癒の手を差し伸べるたびに感じる。病は、刻印の副作用でもある。そして、刻印のある者は、例外無く、南方からの難民だった。