二つの心音
まるで、五感のすべてが彼女の存在を認識できず、まるで“この世界にいない”かのようだった。人や魔物にあるはずの魔力のかけらすら、どこにも感じられない。
それでも、彼女は確かにそこにいる。
ルミナは焦点の定まらない目で俺を見つめていた。
そして、次の瞬間――
「……人の言葉というのは、話しにくいな」
ルミナの口が動いた。しかし、響いてきたのはまったく別の存在の声だった。
「お前、我を“あやつ”のところに連れて行ってくれ!」
「“あやつ”って誰のことだ?」
「マリスフィア侯爵とか名乗っておる者だ、頼んだぞ!」
その言葉を最後に、ルミナの体ががくりと崩れ落ちた。
「ルミナ!」
俺はとっさに彼女を抱きとめる。その瞬間――違和感があった。
(人のものとは思えないほど、大きな心臓の鼓動が聞こえる)
ルミナの胸にそっと耳を当てる。一つは確かに彼女自身のもの。しかし、その奥にもう一つ、重なるように大きく脈動する何かがある。
「……なんだ、これ……?」
次の瞬間、頬に鋭い衝撃が走った。
「何やってるの?」
レイラが怒りに満ちた目で俺を睨んでいた。
「いや、ルミナの中に、二つの心臓の鼓動がある気がして……」
「それなら、私がやるわ」
レイラは俺の腕の中からルミナを慎重に抱え、耳を当てる。そして、しばらくの沈黙の後、表情が険しくなった。
「……確かに、二つある」
「やっぱりな……」
俺はルミナの顔を見つめる。彼女の中にいる「何者か」は、俺にマリスフィア侯爵のもとへ行くよう頼んできた。
俺は、ティアにルミナを乗せ、教会へ向かおうと考えたが、レイラも同行すると言って聞かなかった。
「きっと、マリスフィア侯爵は連合王国の黒魔術師によって乗っ取られている。だから危険だ!」
「そうね、それだけならリドに任せるつもりだけど、この子は危険な気がするの。だから一緒に行くわ。リドが変態行為もするし」
「してないから! だが、こちらの戦いは大丈夫なのか?」
「ええ、計算通りよ。むしろ、魔物の方が問題だわ」
「じゃあ行こうか!」
俺たちは、ルミナを抱きかかえ、マリスフィア侯爵のいる教会へと向かった。
※
セーヴァス城を取り囲む軍勢は、はからずも城を完全に包囲していた。いや、モルガンやレジーナが挑発を繰り返し、いつの間にか城の周囲まで引き寄せられていたのだ。
マリスフィア侯爵軍の中には、城に掲げられている王国旗を見て戦意をなくしたり、日和見を決め込んで、退却する貴族達が現れた。それ以外にも、マルコやハーゲン子爵に内通の使者を送ってくる者もいる。
圧倒的な大軍で侵攻してきたセーヴァス軍は、少しずつ戦う兵の数を減らしていた。
さらに、セーヴァス湾にクレオン提督の海軍が姿を現す。
暗闇が訪れ、その日の戦局が終わろうとしていた。月が昇り始めていた。
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