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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

愛しの貴女に贈る愛

作者: 南雲 皋

 黒く、艶のある長い髪。切長の瞳にすらりと通った鼻筋。その下にバランスよく配置された赤い唇が私の名前を呼ぶ度に、この心は悦びに震えた。

 父から仲良くするようにと紹介された時には同格だったはずの立ち位置は、当然のように彼女が上にいて、私はそれを自らも望んだ。

 初めて逢った時から、美しい人だった。同年代の友人がいなかった私にとって、初めての友人になるはずだった人。挨拶をして、握手をして、目を合わせた瞬間に心を鷲掴みにされた、私の最愛。

 カルミラ・ハーマイルは、私の全てだった。


 私、エリーナ・コルナスは産まれるはずのない子どもだった。

 

 キャンペール商会という、世界に名だたる貿易会社の社長令嬢だった母は、気に入った男がいるとすぐに手を出す女で。しかし何度過ちを犯しても子はできず、医者からも子は成せぬ身体なのでしょうと言われていた。

 取引先の社員であった男を気に入ったのは、医者からの診断を受けてすぐのこと。既婚者だった男を陥落させるため、診断書まで持ち出して。

 だからきっと、安心して事に及んだのだろう。避妊もせず、快楽に身を任せたに違いない。

 命を宿さぬはずの子宮に私がいると分かった時、母はどんな顔をしたのだろうか。

 祖父と、父、周囲の人間の誰に堕胎を迫られても頑として頭を縦に振らなかった母。親子の縁を切ると言われても、それでもいいと私を産んだ、母。


 ほとんど勘当同然の扱いをしながらも、しかし母を愛していたのだろう。祖父は父に責任を取らせた。取引を続ける代わりに、母と結婚させたのだ。

 既に婚姻関係にあった女は第二夫人となり、母が正妻の座に収まった。


 祖父も、母も、父の会社も、事を公にはしなかった。しかし噂は広まるもので、クビにならなかったことが却って父を苦しめたのではと思うくらいに、社内での父の立場は弱くなっていった。


 父の稼ぎが当てにならぬと早々に見切りを付けた母は、自らが広告塔となってブランドを立ち上げ、家計を支えた。

 私を何不自由なく育てるために。私に愛を注ぐために。

 お金持ちのお嬢様であった母が、実家の援助を受けずに一人で立つのは難しかったに違いない。けれど母は、そんな苦労を私に微塵も感じさせなかった。

 私は母に甘え、育った。

 

 母が事故で突然死んだのは、私が十四の時だった。

 母の死を嘆き悲しむうちに、母の会社は第二夫人のものとのなっていた。私に渡されるはずの何もかもが、第二夫人の手の中にあった。

 気付いた時には全てが彼女のものになっていたし、早くに気付いていたとしても未成年の私は何も出来なかっただろう。

 今となって思えば、母の死だって彼女の企みかもしれなかった。

 

 母が死んだことで再び唯一の妻となれた彼女は、義理の娘となった私を屋敷から追い出すことに積極的だった。父の出世の道を閉ざした母と私を憎んでいたのだろう。真に憎むべき相手を見ないようにして。

 

 愛する女の面影を強く残す私に、父は逃げ場所としてハーマイル家を選んだ。

 自分の家と同格で、母の実家とも繋がりがあり、同い歳の娘のいるハーマイル家を。

 義母は私を行き場のない子どもだと思っていたようだが、祖父が母を勘当していない事実は大きく、ハーマイル家は私の名を聞くと二つ返事で私を受け入れた。


 そうして私はハーマイル家にお世話になることになった。自分の家のように過ごしていいと言われたけれど、カルミラのために動けることが何よりの幸せだった。

 育ちのいい子女としての友人をカルミラが求めたのもあり、メイドのように仕えることはなかったけれど、カルミラの一挙手一投足を気にして、彼女の求めるものが、彼女の求めるタイミングで用意されるように神経を尖らせた。


 そんな私を気味悪がるでもなく、カルミラはいつだって涼しく笑っていた。

 寝室は別だったけれど、私たちはよくお互いの部屋で夜を過ごした。好きな本や、好きな映画、好きなお芝居の話をしていると時間はあっという間に過ぎて、知らぬ間に眠っていた私たちは二人、部屋に射し込む朝日に起こされるのだ。


 学校にも二人並んで通い、常にトップの成績を収めるカルミラに並び立つように、勉学にも励んだ。廊下に張り出される成績優秀者の一覧にはカルミラの名前と私の名前が続けて書かれ、それを確認する度に胸を撫で下ろす。

 体育大会でも何でも、表彰台に立つ機会があるものは全て、一位にカルミラ、二位に私がいた。


 そんな幸福な生活がずっと続くと思っていた。

 父から手紙が届くまでは。


 存外諦めの悪かったらしい父は、母の死によって更に関係の悪くなったキャンペール商会との縁を繋ぎにかかったようだった。祖父の大のお気に入りである製薬会社の社長ゴードンに、私を嫁がせると。

 

 ゴードンはそもそも私の母を気に入っていて、母に似ているという部分を強調して売り込んだらしい父からの手紙には、若かりし頃の母の写真が同封されていた。可能な限り、写真の中の母に近付けろとの指示も込みで。

 

 母は、美しかった。

 私は、父に似ていた。

 

 父と同じ焦茶色の髪、父と同じ黒い瞳、父と同じ薄い唇で。金髪碧眼の母とは似ても似つかない。唯一似ていたのは男好きのする体型くらいだった。

 髪を染めて、目の色を変える?二十以上も歳の離れた、好色家と噂の太った男に気に入られるために?

 嫌だと思っていても、父の、そして祖父の命は絶対だった。ここで抵抗すればカルミラにも迷惑がかかる。数日かけて覚悟を決めた私に、カルミラはとんでもないことを言い出した。


 ゴードンの妻にはカルミラがなると。


「どうして?! どうして貴女があんな男の元へ行かなければならないの……! アイツが求めたのは私のはずです!」

「貴女も解っているでしょう? 女の武器を使うのよ。貴女より私の方が、強いの」


 そう言ってニヤリと笑うカルミラは、今までに見たどんなカルミラよりも美しかった。

 自慢の黒髪を染めたにも拘わらず、生来の色かと思うくらいに似合う金の髪を輝かせ、深い海の底のような蒼い瞳を煌めかせて、真紅のルージュで飾った厚い唇が弧を描く。


「私だって……できます、だからお願い……行かないで……!」

「いい女は顔をぐしゃぐしゃにして泣かないの。いいこと? 私はどこでだって輝くわ。何物にも屈したりしない。でも、貴女の隣が一番好きよ。それだけは忘れないで」

「カルミラ様……」


 嗚咽を漏らす私の背中を撫で、きつく抱きしめて、カルミラは私にお別れをした。

 下卑た笑みを浮かべる祖父も、父も、ゴードンも、誰も自分を汚せないと分からせるように、身体のラインが分かるドレスの、唯一長くひらめくスカートの裾をも自己演出に使って。

 去り際、私に投げた視線の意味を、私だけが理解した、


・∽・∽・


 悪趣味な調度品に囲まれた屋敷の最奥。赤い絨毯の終着点。彼女の囚われた部屋を目指し、私は歩く。

 カルミラを迎えるにふさわしい、金糸の刺繍が入った青いイブニングドレスを優雅に着こなし、背筋を伸ばして前だけを見て。

 邪魔する全ての人間を、私を囲う六人のボディガードが一蹴していく。もう何もかも終わっているというのに、どこまでも諦めの悪い男だ。


 扉の前に立つ男たちが、最後の抵抗をする。彼らの手が私に届く前に、その意識は刈り取られた。床に沈む巨躯を無視して、扉を開けるよう指示する。

 音を立ててゆっくりと開いた豪奢な扉の向こうで、玉座にも似た黄金の椅子に腰掛けるカルミラは、記憶の中の彼女より、頭に描いていた彼女より、誰より美しかった。

 ゴードンを言いくるめたのだろう、彼女の髪は艷めく黒に戻っていて、出逢った頃を思わせる姿にまた私の心は捕らわれる。


「お待たせして申し訳ありません。迎えにまいりましたわ」

「あら、随分といい女になったのね」


 扇で口元を隠していても分かった。私の頭から爪先までじっくりと値踏みしたカルミラは、満面の笑みを浮かべていた。


「貴女の隣に立つためですもの。さぁ、お手を」

「時間がかかったからには、満足させてくれるんでしょうね?」

「満足していただけるかは分かりませんが、キャンペール商会もゴードンの製薬会社も私のものですし、それに貴女も。既に私の所有物(もの)ですの」

「あはは! いいわ、首輪を付けられてあげる」


 私が差し出した手のひらの上に、白く、細いカルミラの手が乗せられる。今まで、どれほどの屈辱を飲み込んできただろう。もう二度と、彼女に我慢などさせない。待たせたりしない。


「とびきり上等な首輪をプレゼントしますから、ずうっと隣にいてくださいね」

「いい顔するようになったわね。愛してるわ、エリーナ」

「その言葉が聞きたくて、私、とっても頑張りましたわ」


 耐えきれずに吐き出した言葉を、カルミラは笑って飲み込み、私の頭を優しく撫でた。

 私の最愛。私の全て。

 貴女のためなら私、なんだって出来る気がするの。


 だからずっと私のそばで、私の名前を呼んで、愛を、囁いて。

 私の全ては貴女のために。

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