思考をやめるという怠惰について
もう十数年近く経っただろうか
更新毎に、はてぶランキング上位に着けていたブログがあった
ブログ主はフランチャイズコンビニの店長
たぶん青いところだ
彼はとても言葉遣いが平易で巧みで、読んでいてわたしは何度も笑ったものだった
毎日ランキングを覗きに行って、そのリンクを踏んだ
ブクマなんてしなくても、いつだってそのブログはそこに居たから
ある日、上げられたブログをいつも通りに読みに行った
わたしはその記事を、その後何度も読み返すことになる
まさかあのブログがなくなるなんて思わなかったから
なんの記録も取っていなかった
なので、これはわたしの覚え書き
店長さんは、自分は強い人間だとおっしゃっていた
それは奥様がかなり症状の重いアトピーであることによって、日々実感させられていたようだ
弱い人の気持ちはわからない
だから、弱い人が「つらい」と口にしたとき、それをちゃんと受け留めようと思っていること
そして、それをまさに実践し、自分へとその考え方を教えてくれた
自分よりも『強い』友人について語っていた
その友人は、本当に強靭な人だったようだ
エピソードとして記されていたのは、農薬を頭から直接かぶってしまったこと
考えただけで恐ろしいことなのに、その友人は「なんか頭痛がする」程度で済んだらしい
そして、その友人が常々述べていた言葉として「俺は弱い人の気持ちがわからない」が登場する
それはそう
人間は、基本的に他人のことなんて理解できない
まして、自分とまるで違う立場だったり、境遇だったり、状況の人については
想像だって斜め方向に行ってしまう
朴訥なその友人さんは、そんなことを考えていたのかはわからない
でも彼の結論は
「だから、俺より弱い人がつらいと言ったとき、それを全部信じる」
だった
信じて、そして助けとなる行動を取る
わたしは、そのブログを読んで泣いた
なにを書いても言い訳がましくなってしまう
わたしは当時、つらいことを誰にも信じてもらえなかった
仕事中は必死で笑顔を作り
家に帰ったら玄関で気を失い、翌朝目が覚めてあわててそのまま出勤する
そんな日が続いていた時期だった
「若いから」という言葉と「若いのに」という言葉は、わたしへの刃だった
ブログ主の店長さんは、その記事を書いたとき、もしかしたら「弱い人」への刃を見たのかもしれない
わたしは綴られたその義憤の言葉に慰められ、励まされ、たとえわたしの周りに「全部信じる」人がいなくても、その記事から力を得ていた
少なくとも、この世に二人はいるのだ
「全部信じる」と思っている人が、二人も
それはかけがえのないことだった
ある日、いつも通りその記事を読みに行った
はてぶランキングに、そのブログの名前がなかった
めずらしいこともあるものだ、と思った
なので、記事のタイトルを検索した
出てこなかった
どうしたのだろう、としばらくランキングをながめていたら、下の方に店長さんのブログに言及する記事があった
わたしのように、そのブログを探してたどり着いた人のコメントで溢れており、その内容は『ブログは突然削除された』というものだった
曰く、コンビニ上層部からのお叱りと圧力を受けたのだろう
曰く、過去の記事で危ない情報に触れたのだろう
わたしは、呆然とした
ああ、そうか
インターネットは、不朽ではないのだ
そう気づいた
今でもその記事のアーカイブを探している
タイトルはおぼろげにしか思い出せない
『〇〇という怠惰について』
わたしは考えるのに疲れてしまって
こうしてエッセイを書いている
どなたか、ご存じないですか
どなたか、バックアップをお持ちではないですか
あの記事をもう一度読みたいのです
そして、もう見てはもらえないかもしれないけれど、
「あのときわたしは、あなたの言葉に救われていました」と、
ひとことインターネットの海に投げたいのです
という、酒にまかせた昔語り
【2024/3/31/8:15追記】
すごくない? 特定された
インターネッツすごい
24時間残念営業
2013-06-01
「疑わない」という怠惰について(キャッシュ)
https://megalodon.jp/ref/2013-0602-0734-27/lkhjkljkljdkljl.hatenablog.com/entry/2013/06/01/232610