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競売屋

作者: 小深純平

 僕の仕事は不動産の競売物件を裁判所から落札購入し、リフォームをして売却することである。ビジネスの舞台は関東一円である。

 今回の舞台は北関東のQ市郊外にある小さな平屋である。

 さて、今日は開札日。

 運よく落札できていた。早速物件にご挨拶だ、鬼が出るか蛇が出るか、緊張の一瞬でもある。紺のスーツの襟とネクタイを正し大きく深呼吸をした。

 物件は西側に雑草の生い茂った小川があり東は小高い丘の斜面が迫っている。小川は蛍の名所らしく、蛍川とも呼ばれている。自然豊かなロケーションでもある。僕が入札した理由の1つでもある。

 低いブロック塀に囲まれた小さな家は雨戸や窓がやれている。庭はごみが散乱し植木は伸び放題で住人の荒み具合が垣間見える。

 大抵、競売で家を失う人はここに至るまで大変なプロセスを経ているので疲れ切っている。

僕はさび付いている門扉を押し開いた。ゆっくりと玄関にむかった。誰かに見られているようだ。玄関わきに埃だらけの車がある。リクライニングシートに誰かが寝そべっているようだ。確かここの住人は2人のはずだ、70歳の夫、斉木則夫と72歳の妻、道子だ。入札前の資料から調査ずみである。たいていの場合は落札されても占有者は元所有者である。行くところがないから居座っているのが常である。

 僕は玄関の呼び鈴を押した。遠くでなっているようだ。何度か押したが反応がない「ごめんください」少し大きな声を出してみた。やはり反応がない。僕は踵を返し出直そうと門の方へ向かった。その時、車の中に一瞬動きを感じたがなぜか不気味さを感じ、(今日はもういい)と足を進めた。

 僕は車に乗るとアクセルに力がはいった。加速をつけ早く遠ざかりたい気分にになっていた。この案件の明け渡しは個別対応では難しいかもしれない。裁判所による法的な処理が必要だ。先々の困難さを僕は直感した。翌日、僕は裁判所で物件の明け渡しを要求する引き渡し命令書という法的な手続きをした。引き渡し命令書は1週間以内に占有者に届く。普通の占有者なら裁判所の命令にはそれなりの反応を示し交渉のテーブルに着く。

1週間後、僕は再び物件を訪ねて引き渡し命令書の反応を確かめることにした。

 やはり玄関の呼び鈴には反応がなく、僕は何度も大きな声で呼びかけた。ようやくうす暗い奥から道子らしい女が現れた。彼女は髪の毛をうしろにまとめた小ぶりな顔で僕をにらんだ。。年齢の割には細身の体ですっとたっていた。「なんだい金貸しかい。まだ用があるのかい。」「いや僕は裁判所の競売で」僕は彼女の不気味な目つきに一瞬声をつまらせた。彼女はさらに続けた、「金貸しめ、人の家に勝手に土足で上がり込んで、無理やりハンコを押させやがって、そしたら競売だって、そんなの知らねえよ」「いや、僕は落札した不動産業者で」控えめの僕の語気に全く取り合う様子を見せず「帰ってくれ」の一点張りだった。

その後何度か足を運んだが道子はとりあってくれなかった。僕はなんとか糸口を見出そうと隣近所を訪ねたり、地域の民生委員を訪ねたりした。

 そんななかで道子の凄まじい過去や現状を知ることになった。やはり一筋ではいかないとおもった。

 道子は北海道の釧路の生まれで25歳くらいまで札幌のすすきので働いていたらしい。女の子を産んだが父親は誰だかわからず、乳飲み子のまま札幌の養護施設に預けた。

 その後東京に出て都内の水商売を転々としていた。

たまたま歌舞伎町のお店で知り合ったQ市出身の本田という男に彼女は気に入られ、Q市にやってくることになった。ホンダの家は古い造り酒屋で地縁血縁で

かためられていた。とうぜん道子にとっては居心地がいいわけではなく1年もしないうちに家を出てしまった。

 道子はしばらくは土地勘ができたQ市のスナックで働くことにした。

 女の子が3人の小さな店だったが道子の器量も手伝って繁盛していた。

Q市は上場企業が数社あり比較的景気のいい街だったので店は連日満員だった。道子を目当てに毎日やってくる客も多く、現在の夫もその1人だった。

 則夫は上場企業に勤める40歳だったが女には縁がなくまじめに働き家を建て1人で住んでいた。彼はカウンターに座ると黙ってビールを飲むだけでいつも所在なくしていた。そんな奥手に見える則夫に道子は興味を持ったらしく積極的に話しかけた。

 いつしか則夫も道子に気を許すようになり、道子は安定していた則夫のライフスタイルに関心をもつようになった。2人の行動を阻むものは誰もおらず、いつしか道子は則夫の家に住むようになっていた。

 近所では結婚したらしく見えた則夫に好意的になり近所づきあいもよくなってきた。

 器量がよく華やかな道子は近所でも評判になった。そんな道子を則夫は少し自慢に思ったのか度々食事に誘った。そんな夫のやさしさにこたえるように道子は毎日かいがいしく夫を会社に送り出し自分は一生懸命。主婦業に専念した。長年抱いていた夢のような生活であると思った、ある時道子はふっと思った(札幌においてきた娘もいっしょに住めたらなと)

 平凡で安定した暮らしはしばらく続いたが。則夫はある日の残業で倒れてしまった。

 会社から救急車で病院へ運ばれたということでみちこはすぐにかけつけた。

 則夫は意識不明の重体であった。脳溢血ということであり、今夜が山ということであり、夜が明けても則夫の意識は戻らなかった。それから2週間が過ぎた。

 秋も深まり庭は枯葉で埋まっていた。道子は夫が手入れしている庭を少しでもきれいにしておこうと朝早くから枯葉を集めていた。家の中から電話が鳴った、病院からだ、則夫の様態がおかしいということだ、道子は急いで病院へ向かった。

 則夫は長い間反応も示さずに寝ていたが、今日は頭を振りながら口をもごもごさせていた。。道子は則夫の耳元で大きな声を出した。則夫はそれに反応したらしく必死に瞼をぴくぴくさせた。しばらくするとうっすらと目を開いた。道子は驚きと感動で何度も則夫の名前を呼んだ。則夫は大きく目を開いて周りを見回した。道子にきずいたらしくかすかな声で名前を呼んだ。道子は涙ぐみながら大きな声で答えた。そばに立っていた看護師も則夫に応えて安堵のため息をついた。看護師が今日はこのくらいにしてと室外に促した。

 道子は家に帰ると則夫の退院が見えたような気がして部屋の掃除を一生懸命した。それから毎日病院へいった。則夫の様態はすこしずつ良くなっていった。

 医者は奇跡的回復だがいくつかの障害が残るだろうといっていた。それでも道子は意識を回復した喜びで満足していた。1か月もすると則夫の体調もすっかり良くなり退院日も決まった。則夫は医者が言ったように左半身の不随とと一部の記憶喪失は残ったが。

 則夫はまもなく退院した。杖を突いてかろうじて歩けるが曖昧な記憶は道子との会話を困難にしていた。

則夫は当然、会社を退職することになり2人で24時間を過ごす日常になった。道子は最初の頃は健気に世話をしていたがまともなコミュニケーションができない苛立ちからか、だんだん則夫への接し方がぞんざいになってきた。

 則夫はそんな道子から避けるように車の中で過ごすことが多くなった。道子も則夫から遠ざかるように度々外出するようになった。気分転換のつもりで入ったパチンコ屋にも毎日入り浸るようになった。最初は所持金の範囲だったがやがて借金を繰り返すようになり家の差し押さえ、競売という流れになってしまった。

  僕は退去への最後通告をしようと再度訪ねた。

 道子はあいかわらず帰れの一点張りで話にならなかった。(強制執行しかないな)

 翌日僕は執行官室へいつた。

 執行官は2人が社会的弱者ということで、時間的猶予が欲しいといった。

 しかし僕は一刻も早い執行を望んだ。なぜならもうすぐ冬になる、

 彼らはいったん、外にほうりだされるはずだからだ。

 12月にはいってからの執行ということになった。僕は少し一抹の不安を感じながらも了承した。

 今年は12月に入ってから少し早い雪が降った。思ったよりも大雪で3日間降り続いた。

 僕は彼らが気になったのでもう一度たずねてみた。

 道子が涙顔で出てきた。「死んじまったよ」僕はなにを言っているのかわからなかった。

 則夫が雪の日に車の中で凍死してしまったというのだ。道子の顔は益々狂気じみてきた。(おまえのせいだ)と言わんばかりに手足をばたつかせて僕を追い払おうとした。僕は成すすべもなく車に戻った。

強制執行の日は12月20日午前9時に決まった。時期の厳しさも相まって僕は道子の行く末を心配した。民生委員は老人ホームへの緊急避難を手配してくれた。当日、民生委員も立ち会うことになった。

 9時前には執行官とその補助員2名、立ち合いの警察官3名が揃った。執行官が道子に執行の旨を伝えると直ちに退去を命じた。補助員2名の男は黙って作業にとりかかった。窓やドアに板を打ち付け始めた。勝手な出入りを禁じるためだ。

 執行官は再び道子に外へ出るように促した。道子は突然奇声を発すると抵抗するそぶり見せたが民生員のめくばせで、ため息をつきながら肩を落とした  執行官が道子に当面必要な衣類等をもつようにいった。道子は観念したらしく民生委員の誘導でとぼとぼと歩き出した。補助員がドアを打ち付け、執行官が立ち入り禁止の文書を張り付けると執行は終了した。

 翌日僕は物件を確認しにきた。門は閉ざされドアは板で打ち付けられ家はひっそりとしていた。

 僕は一段落した安堵感でゆっくりと車に戻ろうとした。その時放置された車の中に人影が、、道子が寝そべっていたのだ、僕は一瞬ぞっとした。

 僕は早速、車の片づけを手配した。とにかくこの家に道子の居場所があってはだめだ。また僕は裏にある物置小屋にも一抹の不安をおぼえた。

 数日後、確認に行ってみる、案の定、毛布が運ばれていた。道子は家に対して相当の執念と執着をもっているようだ。僕は苛立ちと不気味さが交差する不安な気持ちになっていた。

 それから僕は一大決心をした。

 解体だ、建物、外構、庭木、すべてを撤去した。土地だけになった。 

 諦めるだろう、しかし道子は度々現れた、最早、僕は成すすべがなく諦めに近い境地になっていた。(しばらく物件から離れよう。)

 数か月がたった。突然民生委員から電話があった。道子が亡くなったというのだ。西側の蛍川の河川敷に倒れていたそうだ。季節はたまたま蛍の季節になっていたせいか容易に発見された。

 道子は亡くなる数か月前民生委員をたずねた、北海道にいる娘が亡くなったので北海道に行きたいと相談に来たそうだ。

 僕は知らせを聞いて複雑な安堵感のなかで引かれるように物件に向かった。

 到着するとあたりはうす暗くなっていた、エンジンを切ると暗さが余計に感じられた。フロントウインドウから何気なく物件の土地を眺めていた、するとゆらゆらと3匹の蛍がこちらに向かってきて、やがて蛍川のほうへ去っていった。

 














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