「記憶の鎖」(Chain of Memories):妙×恵×清
#記念日にショートショートをNo.20『記憶の上書き』(Overwritten Memories)
2019/8/13(火)盆入り 公開
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【関連作品】
「記憶の鎖」シリーズ
「アスピリン早く、急いで!」
病院の廊下をストレッチャーが全速力で運ばれる音。白衣を翻して、焦り,緊張,強張りを顔に張り付けたお医者さんたちが走る音。
「嫌だよ、恵兄…!」
触れそうなくらい遠くで、妙の泣き声が聞こえる。
もうあいつを泣かせないって、悲しませないって、決めたのに。やっぱり、だめだったのかな。清くんと約束したのに、僕は妙を守りきれないのかな。
ああ、もし僕が死んだら、あいつはどうなるんだろう。生きなきゃ、生きなきゃいけないのに、体が動かない。目が開かない。声が出ない。
消えてゆく。音が、光が、言葉が、感情が、消えてゆく。
僕も 消えてゆく。
ミーン、ミーン。ジー、ジー。
窓越しに蝉が鳴いている。
カラン、コリン。
涼しげな風鈴がクーラーの風に揺れる音がする。
「恵兄、何してるの?」
机の上に広げたノートに影が差した。幼馴染の妙は、僕と同い年だけど、4月生まれと3月生まれのせいなのか、僕のことをいつも「恵兄」と呼ぶ。妙は年の割に童顔で小柄で甘えん坊だし、自分で言うのもなんだけど、僕は年の割にしっかりしているってよく言われるから、傍から見たら違和感なんて無いのかもしれないけど。
「勉強」
顔を上げずぶっきらぼうに答える。
「何の?」
「数学」
「ふーん。えっと、…座標平面の原点をOとし、O,A,B,Cを辺の長さが1の正方形の頂点とする、と。ふんふん……何これ?」
問題文を読み上げた妙は、何か異物でも見たかのように眉毛をへの字にさせている。
その表情に「妙の兄」としての優越感と「妹の妙」に対する愛おしさを感じ、思わずふっ、と、笑みが漏れる。僕に馬鹿にされたと思ったのか、妙がムスッとして口を尖らせる。
「恵兄、頭良いんだもん。どうせ私にはわからないよ。」
そう言って拗ねる妙がかわいくて、悪い悪い、と謝る。
「妙は文系だし、仕方ないよ。それにこれは大学の入試問題だからな。」
僕は清くんのなりたかった医者を目指していて、休日は特に数学や理科の問題を念入りにやっているのだ。もちろん、それは僕自身の目標でもある。
「もう大学の?どこ大?」
「…東大」
答えるのに少しためらいが混ざる。妙が尊敬の眼差しで僕を見てくるから、照れくさくて、ノートに顔を戻す。顔の赤い意味がばれないように、この気持ちが「幼馴染」としてのものといつまでも受け取られるように、これ以上、近づかれたらばれてしまうから、
「いいからお前も勉強しろよ」
そう言って妙の腕を少し押す。
「はーい」
と少し悲しみの色を含ませた声で返事をして妙は引き下がった。
15分経った。
東大の問題を解くのははじめてだったので、まずは難易度を掴むために文系学部の問題を解いたというのもあるが、大問1はさほど悩まずに解くことができた。もともと理数系の問題が得意とはいえ、とりあえず第1志望校の大学の問題を解くことが出来て安心する。本命は医学部…理三の問題だが、本番まで時間は3年もあるから、理三の問題はまだ解かなくていいだろう、そう考えていた。
大問2、と気持ちを入れ直し、赤本のページをめくる。クーラーの風にめくられないように、赤本を腕で押さえながら問題文に目を通す。
「うぐっ…!」
胸が突然、締め付けられるような感じだった。何かに押さえつけられているような、潰されているような、そんな感じがした。
発作だ…と思った。ここ何年も無かったのに、なんで突然…。
階下の母に知らせなきゃと思うものの、息苦しさで声が出ない。
「ごぉぇっ…!」
濁流が込み上げてきて、吐く。吐瀉物が赤本に、ノートにかかる。吐き気が止まらない。目眩もはじまった。耐えられなくなって床に体を落とす。吐瀉物が垂れて、机を落ちる。もう一度吐く。胸を掴む。痛みが、苦しさが、襲う。あまりの痛みに、床をのたうち回る。母さん…助けて…。吐瀉物の海で、嘔吐を繰り返しながら、妙の顔がちらついた。あいつがいるのに…僕は……。
「ふぐっ……ごぉぇっ……!!」
体の中を激しい痛みと濁流が貫いた。
バタン、とドアが開く。
「恵兄!?」
妙の叫びとほぼ同時に、ガッシャーンと食器が割れる音がした。
「しっかりして、恵兄!!おばさん!!救急車!早く!!恵兄が!!」
妙の大声を聞くのは、はじめてだった。
「うぐっ…!」
痛みがまた強くなった。濁流が何個も押し寄せる。
「ごぉぇっ…!!」
妙の手に吐瀉物がかかる。
「…妙……ごめん…うぐっ…!」
「喋んなくていいから!」
「ごぉぇっ…!!…うっ…うぉっぇっ!!」
体が限界だった。意識が薄れてゆく。
「恵兄!だめ!しっかりして!」
妙の呼ぶ言葉が、遠ざかる。また泣かせちゃったな…僕…。妙の声が…。
「恵兄!!」
「妙ちゃん、恵にもケーキを持って行ってあげて。」
1階でケーキを食べていると、おばさんが私に言った。
「はい、わかりました。」
そう返事をして、おばさんがケーキとお茶を置いたお盆を持つ。
お盆を持って階段を上る。恵兄、がんばってるから、少しは休憩を取ってほしいな、そう思いながら廊下を進む。
「ふぐっ……ごぉぇっ……!!」
音が聞こえたのは、その時だった。体がビクン、と震える。
恵兄……!?
お茶をこぼしながら恵兄の部屋に走る。体当たりするようにドアを開ける。
「恵兄!?」
恵兄が床で丸まるように倒れていた。思わずお盆を落とす。恵兄に駆け寄り、背中に手を当てる。
「しっかりして、恵兄!!おばさん!!救急車!早く!!恵兄が!!」
目の前で苦しみながら吐き続ける恵兄に、7年前の記憶が重なる。最悪の可能性が頭をよぎる。あの時、清兄も、勉強の途中で突然発作を起こして……。
嫌だ…嫌だよ……
涙が滲む。必死に恵兄の名前を呼ぶ。吐瀉物が手にかかろうが気にならなかった。
早く…早く!!
恵兄の体が震えている。目が閉じていく。
「恵兄!だめ!しっかりして!」
恵兄の体が動かなくなった。
「恵兄!!」
嫌だ…嫌だよ!!涙が溢れる。恵兄がいなくなったら私は……!
【登場人物】
○妙(たえ/Tae)
●恵(けい/Kei)
【バックグラウンドイメージ】
【補足】
【原案誕生時期】
公開時