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眼鏡装着! 幼馴染みの性癖が白日の下に!

訳の分からない陶酔感に浸っているうちに車は自宅へとたどり着いた。

しかし何やら大騒ぎになっている。


「うちの者も総動員して探させます!」

理知たかちか様、そんな大袈裟な」

徳子さとこ様のお車で送っていただいているのですから」

「だからですよ!」


時刻としては夕方から夜になったばかりの宵の口だが、忠子のような嫁入り前の娘が出歩くには非常識なほど遅い時間なのだ。

心配していないわけではなさそうだが、全体的には危機感のない両親に噛みついているのは理知だ。


「いいですか? 上物の女車が一台でこんな下町を歩いていたら秒で襲われても不思議はありません。内裏近くにも夜盗が出てるほど治安は悪化してるんですよ? それに宮中は徳子様の入内の話でもちきりで、忠子の名前もちらほら出ます。おじさんたちだって恩恵を受けているでしょうに」


「そうなんだよ! 疎遠になっていた遠い親戚が訪ねて来たりしたんだ。お互い老けててなあ」

「連絡が取れなくなってどうしているか心配していた何人かが元気にしていると知って、うちの人ったらとても喜んでいるのですの」

「ああもうっ、忠子のご両親ですね!」


貴族社会はコネクション。宝くじに当たったら遠い親戚や古い友人がわらわら湧いてくるのにも似て、絶大な権勢を誇る右大臣家の援助を受けるようになった伴家は急に訪問者が引きも切らなくなった。

忠子の出世のおこぼれに与ろうという目的であったとしても、人の好い両親は旧知との再会を喜んだ。


「そういう面もあるだろう。逆の立場だったら私だってそうする。だって少しでも家族にいい生活をさせたいからね。目的がお金や出世だとしても、文の出し先も分からなくなっていた友達が元気でいると知れるのはとても嬉しいことだよ」


そう言って現金な友たちを快く迎え入れる父を、妻子たちはお人好しと呆れながらも尊敬し、忠子はこの人の娘で良かったと実感したものである。

実家にも支度金として米や酒が届けられていたので持て成しには不自由せず、荒れていた庭や壊れていた塀も手入れできた。


「理知様、馬をお引きしました。……あの、本当に御自らお探しに……?」

「行くよ!」


出るタイミングを逸してしまっていたが、今にも馬に飛び乗ろうとするのは流石に阻止したかった。


「あっ! ……あの……ただい、ま……」

「忠子!」


理知と両親、三人の声が木霊する。

「遅くなってごめんなさい」

「いいのよ。次からは日が暮れる前に帰っていらっしゃいね」

「理知様も大層心配してくれたんだ。まずはごめんなさいしなさい」

「はい。その、理知……さ、ま……?」


さっきまで立て板に水の勢いで両親にまくし立てていた理知が、馬の手綱を持ったまま忠子を見つめて無表情で黙り込んでいる。

長年の付き合いでこれはヤバいと察した。


本気で怒っている。


「おじさん、おばさん、忠子お借りします」

「あっ!?」


言うが早いか手を取られ、自分の部屋まで連れて来られてしまった。


とりあえず向かい合って腰を落ち着けるが理知は顎に手を当ててジト目で黙り込んだままだ。これが理知の怒り方。頭に血が上れば上るほど一見冷静になっていく。


「この際だから言っておくけど、君、今の自分の立場分かってるの?」

「……取るに足らない身分の娘が、単に物語を気に入られたなんて理由で右大臣の姫に引き立てられ、宮中にまで上がろうとしています……。成り上がりとか相応しくないとか、神聖な内裏を汚す行いだとまで言う人もいます……」


「まあ及第点。じゃあ、僕が怒ってる理由は分かる?」

「いいもの持ってそうと思われてる女が、あんまり治安の良くないところで日が暮れてから出歩くなんて、襲ってくださいって言ってるようなものだから……。お付きの人も酷い目に遭って下手したら殺されちゃうし、徳子様にも迷惑がかかるよね」

「そういうこと」


理知が扇で掌を打つ鋭い音が響き、忠子は頬を叩かれたように身を竦めた。


「君を誘拐して、入内にケチをつけることだってできるんだよ。徳子様やその周囲の上流貴族には直接手を出せなくても、下流貴族への狼藉だったらいくらでももみ消せる」


流石に誘拐と暈したが、女房として仕えるのが決まっている娘が殺されでもすれば先々までこの入内は初めから不吉な影を帯びていたという悪評が付きまとうことになる。


内裏では日夜恐ろしい権力闘争が繰り広げられていると知っているつもりだったが、心のどこかで自分などには関わりのないことだと思っていた。

しかし今やいつ火の粉が降りかかるかも分からない場所に来てしまっているのに今更ながら気がついて、さすがにのんびり屋の忠子も顔色をなくした。


その動揺を見逃す理知ではない。


「ねえ忠子、宮中は恐ろしいところなんだ。優しい家族に囲まれて、悪意を知らず育ってきた君には想像もできない世界なんだよ。今からでも遅くない、女房勤めはおやめ。僕が右大臣に上手く申し上げて徳子様には話を通していただくし、文や物語は届けてあげる。そうしなよ」


ここぞとばかりに畳みかけてくる理知の言い方はあくまでも上からだったが、小さい頃からの付き合いだからこそ心から心配してくれているのが分かって辛かった。


理知の中の忠子は絵巻物で見る内裏の煌びやかさに目を輝かせて憧れる無垢な少女のままなのだ。


(理知は自分だけ大人になったつもりでいる)


そう思ったら急に口惜しさが込み上げてきて、忠子はキッと目を上げて理知を睨み返した。


「ごめん理知。私は徳子様について、宮中に上がるよ」

「どうして! 家のことなら僕に任せて。右大臣家ほどの高級品は用意できなくても、僕にだって君の一家を裕福に暮らさせるだけの財力はあるんだよ!?」



「ばあや、あれって君の面倒は僕が見る、つまり結婚しようって言ってるわよね?」(こそこそ)

「ええ、忠子様はまったく気づいてないようですけど」(ひそひそ)

姉と言うなればメイド長のばあやがこっそり見守っていることなど、二人は知る由もない。



「私だけだって……私だけだって言ってくださったの」

「何? 徳子様が?」

「徳子様が鷹臣様のことをお慕いしてたのは知ってるよね?」

「そりゃあ、一時期宮中はその話で持ち切りだったからね。美男美女、稀代の悲恋だって」

「本気だったんだよ」

「は? まさか」


嘲笑いかけた笑みが途中で凍り付く。忠子からは一笑に付させない気迫が発せられていた。


「……有り得ない。徳子様は聡明な方だ。好きになっていい相手とそうでない者の区別がつかないはずが」

「分かってる! 嫌ってほど分かってるの! それでも気持ちを止められないのが恋なんだよ!」

「馬鹿げてる。ただちょっと悲恋気分に浸ってみたいだけの遊びデショ」

「皆そう言うんだよ。よりによって姫の中の姫である徳子様がそのぐらいの分別をお持ちでないはずがないって! それがこの時代の普通の感覚なんだ」

「忠子……?」


あまりの剣幕に、口が達者な理知もまったく反論の糸口を掴めずにいる。


「誰も徳子様が本当にお辛い想いをしてるなんて想像もしなかったんだよ!? でも私には分かる! だから……一人だけでも、自分の気持ちを本当に理解しててくれる人が側にいるのが心強いって、知ってるから……私、たいして可愛くもないし、ちょっと文章は書けても宮中ランキングに入るような才女の中に混じったら全然レベル低いけど……お側にいて差し上げたいの」


喋っているうちに興奮してきたのか着物を踏みしだいて立ち上がった忠子を、理知は呆然と見つめるしかできなかった。


この娘は、こんなにも美しかったか。


瞳は浮かんできた涙で潤み、ソバカスの浮かぶ頬は内側からほんのりと光を放つように火照っている。その全身に宿った輝くような気迫から目が離せなかった。


「……君も、本気なんだね」


折れたのは理知の方だった。


「分かったよ。僕もちょくちょくそっちに顔を出す。でも君が騙されたり嵌められたりしたら徳子様やおじさんたちにも迷惑がかかるんだから、言動には注意すること! 分かったね?」

「理知……いいの?」

「いいも悪いも、思い出したんだよ。君、昔から一見僕の言いなりみたいで一度言い出すと聞かなかったデショ。でもそうと決まれば……」


理知も立ち上がり、忠子にさらに近づいた。小柄な忠子に長身の理知が顔を近づけると覆いかぶさるようになる。


近い近い!


眼鏡をかけっぱなしだったのを心底後悔した。矯正視力で見るイケメンのアップ心臓に悪い。見慣れてはいるがクラクラして腰が抜けそうだ。

顔がさらに近づいて、首のあたりに添えられる。すんすんと鼻を鳴らす音がやけに生々しく響いた。


(ひえええええええ……)


「香、何使ってるの?」


「何って……お姉様のをちょっと分けて貰ってて、白檀……だったかな? よく分かんない」

「はあ? 宮中では自分オリジナルの香がないとかあり得ないから。明日から君の香を調合するよ! それから衣装、化粧、どっちも流行り外してる、センスが時代遅れ、ダサい!」

「ひいいいっ、突然の駄目出しの雨あられ!?」

「家で暮らす分には構わないから放っといたんだよ。あっ! この本駄目だよ!」


理知のチェックは文机の横に積んであった書物にも及んだ。


「この作者、ちょっと前に少将に目を付けられたから話題にすると空気凍るよ。こっちは版が古いから新しいのも読んで。こっちは有名だけど通の間で人気があるのは派生の方だから、これだけ知ってても素人扱い必至だよ!」

「ひいい、私の方が詳しいと思ってた文学まで理知の方が先を行ってる?」


「それだけじゃないよ、所作も言葉遣いもなってない。徳子様の入内までに覚えなきゃいけない暗黙の了解は山ほどあるよ。明日からみっちり扱くから覚悟して!」

「おひいいい!」

「悲鳴が雅じゃない! 嘆くときは扇で顔を隠す!」

「は、は、えーと、あなや……? よろしくお願いします」


教育は死ぬほどスパルタそうだが、そつがないと評判の理知に教えてもらえるならそこそこ洗練された振る舞いができるはずだ。



「それから」

「な、なに?」


咳払いをして改まった理知に、忠子も思わず姿勢を正す。


「そ、その……あのさ、それ……」


言葉を探してこめかみのあたりに人差し指を当てる仕草で、眼鏡のことを指していると分かった。


「眼鏡? 徳子様からのお支度品の中にあったの。ものが良く見えるんだよ」


「……そう、良かったね。…………似合ってるし、凄く。えーと、その、悪くないんじゃない? いいよ、それ。かっ……、……可愛い」

「えええええっ?! どうしたの? か、か、か、可愛いとか、初めて言われた?!」


「ばっ、大袈裟に騒がないでよ! ちょっといいなってぐらいだからね!

 お前賢いのに丸顔で子どもっぽいから間抜け面に見えるけど、それがあれば頭の程度ぐらいには知的に見えるし!

 不思議と顔立ちが引き立つしそのそばかすも欠点だけど眼鏡とセットなら見られないこともないし!

 玻璃ガラス越しだと目がキラキラして見えるしそのずり落ちたのを直す仕草が妙に色っぽいよね、綺麗な指を見せる小道具なの? 狙ってるわけ? とにかく意味分かんないぐらいイイんだよ。……何その生温かい目」


傍から聞いたら絶賛の口説き文句を言い募る理知には悪いが、つい冷静になってしまった。


確信した。理知は眼鏡フェチだ。


「ううん。ありがとう、理知」

「そうやって素直に喜んどけばいいじゃん」


知りたくなかった、幼馴染みのそんな性癖。


(でも……いいかな)


この時代で眼鏡なんて見たことない。かけているのが唯一自分だけと思うと、少しだけ自信を持てた。

読んでくれてありがとうございました!


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