忠子、とうとう攫われる
(なんで、なんで、なんでこの人がここにいるの?!)
忘れもしない、葵祭で遭遇した緊縛魔の変態だ。
ここも海賊のアジトなのか? 逃げた方がいいのか、それとも万が一向こうも迷子ならここを出るまでは協力できたりするのか?
いつもの忠子なら一目散に逃げ出していた。しかし今は多少のリスクは冒しても情報が欲しい。
忠子の逡巡を知ってか知らずか、花蛇は数メートルの距離を置いて立ち止まった。
呼吸が落ち着かない。小福を抱く腕に力を込めると、自分が震えているのも分かった。
男は薄っすらと笑みともつかないものを浮かべて忠子を見つめている。
(怖い怖い、なんで無言?! その微笑みはどういう感情?!)
よくよく観察していて気がついた。
何か言いかけては止めている感じがする。そして不気味な無表情ならぬ微妙な面差しはどんな顔をすればいいか分からないようにも見えた。
造りが整っている分、巧く感情を顔に出せないのは気の毒にも思えてくる。忠子の人のよさだ。
話しかけようと言葉を選ぶ。
「あ、あの……ここから、出たいのですが……」
花蛇は表情を変えないまま、首だけ傾げて見せた。
「大きな屋敷ではあるが、出口が分からなくなるほどか?」
「あ、歩いても歩いても、出られないと言いますか……」
再び沈黙が降りる。
「そも、お前のような女がどうしてこんな空き家にやって来る?」
「ね、猫ちゃんが、いなくなった猫を探して、ここで見たって……こ、この子なんですが、見つけたけど今度は出られず」
胸に抱いた小福へと視線を落とす。頭への衝撃だったので心配だったが、今はぷーぷーと呑気な寝息を立てていた。
花蛇は静かな足取りで近づいてきて、そっとハチワレの頭に手を置く。
親指の腹が額に触れた。
「あっ!」
「どうした」
「さっき、おでこを思いっ切りぶつけたんです。それで気絶しちゃって」
今度の沈黙は大分間が抜けた雰囲気だった。
「猫が、頭をぶつけて、目を回した……?」
信じられないものを見る目で小福と忠子の顔を見比べる。
「はい……」
「鈍臭い猫なのか」
「はあ、多分……」
まさかハニートラップに引っ掛けたとは言えない。
そっと額をさすってもらうと、気持ち良さそうにふにふにと口元が動いた。
「呑気な奴だ」
呆れたような声音は意外と優しかった。
「ついてこい」
男は背中を向けて歩き始めた。一瞬迷ったが後を追うことにする。
連れがいると言いかけてやめた。貴族の女が一人で出歩くなどあり得ない。いや廃屋にいる方がもっとあり得ないのだが。
さっきはあれだけ歩いても見つからなかった戸口がいとも簡単に見つかった。
「よ、良かった……」
入ってきた表口ではなく、裏口のようだ。
荒れ果てているのは表と同じで塀は崩れ、伸び放題の雑草や枝が視界を塞ぎ湿った土の匂いが強い。
低木の向こうに馬が一頭繋がれていた。
「……猫」
「はひ?!」
「しっかり抱いていろよ」
「え……っ?」
反射的に小福を抱え直した瞬間、視界が空で占められた。
馬に抱え上げられたのだと認識したのは、男が鞍に跨り手綱をしっかり握ってからだった。
「送っていく」
「ま、待ってください、連れがまだ中に、多分!」
「向こうは自力で帰れる」
「なんで……!」
咄嗟に飛び降りようとしたのだが、下を見て息を飲んでしまった。
(う、馬ってこんな高いの?!)
メリーゴーランド程度だと思っていたらはるか遠くに地面があった。しかも小福を抱っこしているから両手が塞がっている。
無事に飛び降りられる自信はビタイチなかった。
「大人しくしていろよ」
手綱を握る両腕の間に忠子を挟むようにして男は馬の腹を蹴り、馬は歩き始めてしまった。
(痛い! お尻が痛い!)
加えて思っていた以上に揺れる。クッションも何もない地面から直接伝わってくる上下動の衝撃は相当厳しかった。
乗馬で尻の皮が剥けると聞いたときはふーんとしか思わなかったが、これは痛い。
絶対に落ちたくないので心から不本意だが男の袖をしっかり掴む。
煙のような匂いが鼻をついた。
ふ、と頭の上から薄ら笑いのような呼気が降ってくる。
「馬は初めてか? 落としなどしない、安心しろ」
目だけを上げて顔を窺えば注がれている眼差しは愛しげと言えなくもないものだったが、忠子はそれどころではない。
(いや、お尻も痛いけど! 送るったって行先聞かなかったよね、私、私……)
考えたくはないが最悪の展開が頭にはっきり浮かび上がった。
(攫われたーーー!!!!!)
お約束のヒロイン誘拐イベント、起きてしまったとです。
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