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理知の恋文※私宛じゃない

「あの、もし、文車太夫ふぐるまたゆう様」


図書寮ずしょりょうから飛香舎ひぎょうしゃへ戻る途中、目立たないところで控えめな声に呼び止められた。

振り向いて見るとまだ幼さが抜けきらない女孺にょじゅだ。態度がぎこちないのは新人なのだろうかと、なるべく緊張しないよう優しく応じる。


「はい、何でしょう?」

「こちらをどうぞ」


少女は辺りをうかがいながら、手にしていた文をそっと差し出した。


殿司とのもりのつかさの近くで偶然拾いました。どなたのものかと確認のためにチラリと中を拝見したところ、中務省なかつかさしょう藤原ふじわら理知たかちか様のお筆跡のようでしたので、文車太夫様宛かと思って」

「……あ、はい。その、ありがとうございます」


何となくはにかんだ雰囲気につられて忠子まで照れくさくなってしまう。後ろめたそうなのは中を見てしまったからだろうか。

これは公文書ではなくてどう見ても私的な文だ。それを初々しい女官が理知が書いたものなら自分宛だろうと考えたと思うと少しだけ誇らしい。


「本当に、字を確かめたぐらいですから」

「ええ、ありがとうございます」



 * * *



飛香舎に帰って事後処理を片付け、一息つくと後の楽しみに取っておいた例の手紙を取り出してみる。


(いかにもって感じじゃないけど、かなりお金かかってる……理知らしいな)


さらさらとした手触りから質のいい紙だと知れる。弘法筆を選ばずとは言うが、理知は筆や墨にもきっちり気を使う。紙も然りだ。


あの子は見ていないと言っていたが、さわりぐらいは目を通して自分宛と判断したはずだ。それで、あの態度。


高鳴る心音を抑えながら開けば小川の流れるような爽やかさに満ちた達筆が溢れている。


普段は冷淡な態度を取ってしまうことへの詫びと後悔、顔を合わせていない間の想像の中ではいくらでも楽しい話や優しい言い回しを考えられるのに、いざ向き合うと冷たい言葉を平気で放ってしまう複雑な感情が吐露されていた。


(もう、理知が捻くれてるのなんて分かってるよ。でもわざわざ書いてくれて嬉しいな)


思わず顔が緩んでしまう。思いやり深い性質とは決して言えないが、自己中心的な人でなしではないのだ。


何度も手紙を書いたが、困ったことに自分は和歌が下手で思いつかなかった。

文だけでもとは思ったけれど、歌も添えずに送りつけるなど非常識にもほどがあると幻滅されてしまったらと考えれば躊躇してしまい、出せなかったものが山とあると書いてある。


(そんなことで嫌うはずないよ。変なところ気にするんだから。でも自分の気持ちよりそういうところで踏みとどまっちゃうのが理知らしいな)


何事にも淡白でいられるのが自分の長所だったはずなのに、あなたと出会って今まで生きてきた世界がひっくり返ってしまった。この年齢になるまで心を揺さぶられるような人物にめぐり合っていなかったのだと知ったと続いていた。


ここまで読んで、忠子は音を立てて文を伏せた。


「これ、私宛てじゃ、ない……よね?」


(和歌なんて誰も彼もが詠むもんじゃないよ。ある種の感性がある人間じゃなきゃ使いこなせるものでもないんだから。できない奴は人にあらずなんて下らない風潮、誰が作ったんだろうね)


そうやって鼻で笑っていた理知が、嫌われたくないという一心で必死に歌を考えていた。

誰かが理知を変えたのだ。


(知らなかった……理知、いたんだ……好きな人が……)


不思議なことは何もない。

理知はモテる。秋波を送ってくるのは可愛い子ばかりなのも知っている。

そのうちの誰かに興味を持っても不思議はないのだ。


ふとこの前の夜のことが思い出された。

抱きしめられた幸せな記憶が、急に色を失っていく。

あのしなやかな腕で、広い胸で、自分じゃない女の子を抱いて――


(それ以上のことも)


ざあっと音を立てて血の気が引いていったのが分かった。はっきり聞いたわけではないが、理知が女性の家に泊ってきたことがあるのも薄々感づいている。

宮廷に勤める者として避けて通れないことと気にせずにいたのに、急に苦しくなってきた。


心への負担なのに、本当に息苦しくなって畳に手を付いたちょうどその時。


「文車太夫、殿司とのもりつかさの方がいらしてるわよ……ちょっと、大丈夫?! 真っ青じゃない! 横になった方がいいわ。お客様にはお引き取りいただくから……」

「いえ、大丈夫です。どちら様ですか?」


取り次いでくれた明式部あけのしきぶが驚くほど顔色が悪い自覚はある。

でも今は体を動かしていなければ嫌なことばかり考えてしまいそうで、何かしていたかった。来客など渡りに船だ。


「お邪魔しまーす」

「あ、ちょっと、困ります!」


明式部の後ろから、まろ眉でお茶目な雰囲気の女官が顔を出した。

明るいが鋭い目が素早く室内を見回し、動転していて隠しそびれていた文の上で止まった。


「ちょっと文車太夫お借りしますね」

言うが早いか片手に忠子の腕を取り、もう片方の手は目にもとまらぬ早業で理知の文を袖の中へと滑り込ませた。

「あ……」

気がつきはしたが意図が分からず、半分呆然自失の忠子はされるがままだ。

「行ってまいります……」


忠子ももう一人前の女房だ。本人が嫌がらなければ明式部も止めようがない。

心配そうに見送るしかないのである。

恋文編スタートです。


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