賀茂祭が始まりました
京の春が深まり、賀茂祭がやってきた。時代が下ると葵祭と言う。
一条大路の沿道は、御所から賀茂川へ向かう斎院の行列を一目見ようと詰めかけた牛車や身分の貴賎を問わぬ大勢の人々で埋め尽くされていた。
(ふわあああ、綺麗! 圧巻! これがあの車争いの舞台になったところなんだ!)
源氏物語の劇中で、光源氏の正妻の葵上と愛人の六条御息所の場所取り合戦が繰り広げられ、後のヤンデレ生霊事件の発端となった現場である。
光源氏も参加したこの行列に、理知も選ばれた。
徳子がかつて慕った人、源鷹臣も昨年に引き続き勅使役として参加する。
斎院とは賀茂神社に仕える皇女であり、その供をする公卿は宮廷でも特に見栄えが良く人気のある若者が選ばれるのが通例だ。
とても名誉なことなのだ。
しかし本人は選ばれた当初、普段から低いテンションを地の底まで下げて渋っていた。
「ただでさえ祭の時期は通常業務が滞るってのに。辞退できるものならしたい……」
「えー! 私は理知の晴れ姿見たい!」
身を乗り出すと、理知は胡散臭いものを見る目を向けてきた。
「……来るわけ?」
「もちろん!」
「出不精で人酔いする君が?」
「人混みは苦手だけど、理知が出るなら別。楽しみ!」
本人そっちのけではしゃいでいたら、理知も段々と釣られてその気になってくれたらしい。
数日後、車に付ける花飾りを持って乗り込んできた。
やると決めたら忠子がちょっと引くぐらいの行動力を見せるのが理知である。
「当日、車にはこれ飾って。ちょっと行李も見せて……衣裳はこれとこれを合わせて」
「ちょ、ちょっと派手じゃない? 私はただの見物客なんだけどなあ」
「何言ってるのさ、沿道に華を添えるのも貴族の義務だよ」
そうして理知に全身コーディネイトしてもらった衣裳の裾を牛車の簾の下から出し、車そのものも渡された花飾りの他にも彩の良い布をかけ、綺麗におめかしして出かけてきた。
しかし沿道は既に身分の貴賎を問わず見物人で埋め尽くされ、車を停める場所がない。
「ごめんなさい、もう少し早く出て来れば良かった」
見通しが甘かったばかりにと牛飼童に詫びる。童と名はつくが牛車を引く者の役職名なので二人とも立派なおっさんだ。
二人とも気を悪くした様子はないが、多少は呆れ気味だ。
「お嬢様は人がよすぎますよ」
「そうそう、ちょっと強引に行けば入り込めそうな場所があっても、やれあそこは小さい子がいるからやめよう、そっちはお年寄りがいるから遠慮しようって」
「そんなことを言ってたら見る場所なんか取れないって何度も申し上げたじゃないですか」
いかにも腕っぷしが強そうな方が太い腕をかざして白い歯を見せる。
「一言お命じ下されば、この車一台ぐらい割り込む場所はサクッと作ってみせますぜ」
「だ、駄目っ、駄目ですよ! 怪我人でも出したら一大事です!」
牛飼童たちは顔を見合わせてため息をついた。車輪の軋む音も悲し気に聞こえる。
「あの、もし。どうぞこちらへおいでください」
「詰めれば女車一台ぐらい入れると、主の仰せです」
水干姿の牛飼童と小童が側へ駆け寄ってきた。見物人の最前列に並ぶ牛車の方を手で示している。
「お嬢様、お言葉に甘えましょうや」
周りの皆様に申し訳ない気はしたが、牛にも疲れが見えるし、こうしている間にもどんどん混んできている。このままでは行列を見られるかも危ういと、厚意に甘えることにした。
四方八方に頭を下げつつ女神のような方の横に車を止める。
向こうの車にも忠子の車に飾ってあるのと同じ花飾りが差されていた。
「あの……? お邪魔いたします。助かりました」
「いいえ。理知様もあなたに一番見てほしいでしょうから」
「あ、ありがとうございます……?」
落ち着いた婦人の声だった。聞き覚えはないが品の良い話し方だ。
(どうして理知の名前が出てくるんだろう?)
「自己紹介が遅れましたね。私、理知様の兄嫁です」
「ひゃあっ、真理お兄ちゃま……いえっ、真理様の北の方様! お世話になっております!」
「あらあらうふふ、あの人ったら小さい頃はそう呼ばれてらしたのね。いいことを聞いてしまったわ」
とても楽しそうな口調から、円満な夫婦仲が伺えた。
「あら、いらしたわ」
すぐに行列が近づいて先頭の舞人が通りすぎ、華やかな細工物で飾られた風流傘が彩を添える。
騎馬で続くのが勅使の列だ。勅使そのものは鷹臣が務め、理知はそのお供である。
「きゃあ、鷹臣様よ!」
「何てご立派なお姿なの」
「流石は治世の能臣、乱世の 奸雄の治世の方と謳われるだけの風格だなあ」
忠子は鷹臣の実物を見るのは初めてだ。宮廷に上がるきっかけの一端となった人物であり、徳子のつれない想い人。
いちどその面を拝んでやりたいと思ってはいたし、一目見ればその威風堂々とした姿に圧倒されはした。したが。
(理知……カッコいい……!)
鷹臣のお付きという立ち位置だが、背筋を伸ばして静かに馬を進ませる理知は正に貴公子だ。
周囲は鷹臣ばかり見ているだろうが、忠子は理知以外目に入らない。
祭の行列だし、ほとんどアイドルのようなものなのだから沿道に視線をくれたり小さく手を振ったりする者も多いのに、理知と鷹臣は脇目も振らず真っ直ぐ前だけを見て馬を進めている。
正にこれから身を清める儀式に相応しい気品を持ち、凛と張り詰めて美しい。
(あっ……)
だが、忠子の車の前を通り過ぎるその一瞬だけ。
時間が止まった。音が消えた。
御簾越しに、確かに視線が絡んだ。
理知は眉ひとつ動かさなかったし、時間にしてみれば一秒にも満たなかったが、たくさんの人の中でその瞬間だけは確かに二人きりだった。
自分が理知だけを見にきたように、理知は他ならぬ忠子に見てほしかったのだと感じたのは自惚れだろうか。
花飾りをくれたのも、衣裳を調えてくれたのも、ただこの群衆の中から忠子一人を見つけるため。
(……理知……私、きっとこの日のこと一生忘れない)
ほんの一瞬目が合っただけなのに、瞼の裏側が熱い。
理知の後ろ姿が涙の滲んできた視界の向こうに消えていっても、忠子は両手で口元を押さえ、溢れ出す幸福感の中でいつまでも見送っていた。
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