推し活観音
数日後、忠子はとある人物と内密に会っていた。
絹の小布に包んで目立たぬよう持ってきたのは例の小袋である。
目の前に一人座る少女は今にも泣きだしそうだ。
宮中で着る衣裳の縫製や組み紐の製作を担当する縫司の下級女官で、名を由衣子という。
「確かに私のものです……」
細身で小柄、可憐な声も耳を澄まさなければ聞こえないほどか細く、おどおどと気弱そうだ。目撃された空の小袋を探す女と特徴は一致する。
「でもっ、内裏を騒がせるつもりなんてありませんでした! こんな大騒ぎになってしまうなんて……! わっ、私、お咎めを受けるのでしょうか……どうかお許しください……」
恐縮しきってただでさえ薄い体をぺったんこになるまでひれ伏す姿は、初めて徳子のお召しを受けたときの自分のようで身につまされた。
忠子自身の身分は高くないが、縫司のお針子からすれば女御付きの女房様などとても偉い方なのだ。
「ええと、ええと……! わ、私、誰にも内緒で来てますから! まだ誰にもバレてません、ここだけのお話です。だから顔を上げてください」
「う、ううっ……」
「金平糖、召し上がります?」
泣かれたときのために、理知を見習って甘いものを持参しておいた。
受け取ってはもらえたが、口にしてはもらえない。しかし緊張を解すことはできたようだった。
「でも、どうして私のものだとお分かりに……」
「こちらです」
忠子はもうひとつ持参したものを差し出した。
『三国志を知らない君のために』という題名の小冊子を見た瞬間、由衣子は両手で頬を覆った。
「きゃあ! あ、兄の……! 文車の太夫様はこのようなものまでご覧になるのですか?」
「はい、しっかり読ませていただきました。私、物語文庫を作るために本を集めているんです。これはお兄様が寄贈してくださったご本の中にあったんですよ」
登場人物の解説を中心にした三国志の紹介本だ。読みやすく優れた入門書と言っていい。
左慈の記述はほんの数行だが、何度も開かれた跡があった。
「妹にと書いたものだけど、もし役に立つならとお持ちくださいました。これから三国志を読む方の助けとしてとてもよい本だと思います。ありがたく収蔵させていただくことにしました」
「文車太夫様にそう言っていただけるなんて……兄は幸せ者です。私も大好きな本で、内容を覚えてしまうくらい読みました……。で、でもどうしてこれが手掛かりに……?」
「先日、牛車が暴走したそうですね。左近衛府の弓削慈親様が駆けつけて、奇跡的に一人の怪我人も出なかったとか」
「……っ……! はい……」
* * *
暴走牛車を引くのは逞しい黒牛だ。軽い女車と乗っている由衣子の体重などないような勢いで道を疾走する。
(誰か助けて!)
叫びたいが激しく揺れる中で口をきいたら舌を噛みそうだ。
「はい、やっと追いついた! しっかり捕まってなさいよ! 今助けるからね」
「……?!」
葦毛の馬が並走したかと思ったらたちまち追い越し、騎手は馬上で流れるように太刀を抜いた。
気合い一閃、振り下ろされた刃が牛と車を繋ぐ軛の継ぎ目を断つ。
「きゃあっ!」
その瞬間こそ激しく揺れたが暴走牛はたちまち駆け去り、鮮やかな手並みに車は横転もせず無事に止まったのだ。
* * *
「誰も手を出せなかったのに、仙術を使ったみたいだって思ってしまったんです。今になって考えればあれは武術の修行の成果だって分かってはいます、でも……っ」
(非常時ですから失礼しますよ。お怪我はありませんかね?)
「簾を上げてこちらを覗き込んだあの方のお顔を見たら……小さい頃、私が想像していた左慈様そのものだったんですの……! 私、私、胸がいっぱいになって……」
「な、なって?」
「……気絶してしまいました」
館に運ばれて目を覚まし、助けてくれた人物が奇しくも“慈”親という名前だと知ったという。
「それで……左慈様熱が燃え上がってしまって……自分でも訳の分からない衝動に衝き動かされて、柑子の巾着を勢いで拵えてしまったんです」
分かる。
推しのイメージグッズを持ちたい心は凄くよく分かる。
気がついたら何か手元にあるのも覚えがありすぎる。
「た、確かに慈親様も武勇に優れた立派な方で、かっこいいです! でもっ、わたしが好きなのは左慈様であって……! ですが、あんなことがあった後ですから、もしこの袋が見つかって、読み解いてしまう方が出て、誤解されたらって思ったら……!」
「普通はここから慈親様にはたどり着かないと思いますよ」
「文車太夫様はたどり着いたじゃないですかあ……!」
由衣子は顔を覆ってしくしくと泣き始めてしまった。
「両親は……っ、とにかく私を結婚させたがっていて、ちょっとでも男性の話が上がれば、すぐ大騒ぎするんです……っ! み、宮仕えも、反対してて……何かあったら……っ!」
(妻よ! 娘の由衣子を救ってくださった立派な殿方がいらっしゃるそうだ! 身分も蔵人でちょうど釣り合うぞ!)
(旦那様、由衣子はこんなものを作ってこっそり持ち歩いていたのですよ。あの子は三国志が好きでしたから、これは左慈を示すのですわ)
(おお! 恩人である“左”近衛府の“慈”親様になぞらえてのものに違いない)
(文も送れない恥ずかしがり屋のあの子らしいですわ)
(弓削様にお文と贈り物を! 結婚準備じゃ~!)
「……本当に、お慕いしてるとかじゃないんです……信じてください……!」
「分かります。それは“推し”です」
「推し……? 推しとは何でしょう?」
「あなたが好きなのはあくまでも物語上の左慈様」
由衣子は必死で頷く。子リスのようで愛らしい。
「慈親様は助けてくれた恩義もあるしイメージぴったりなので応援はしたいけれど、本人をお慕いしているわけではない」
「そ、そうです! そうなんです」
「お姿を見かけたら今日も素敵とため息をつきたいけれど、自分の存在を把握されたくはない」
「その通りです! どうしてそんなに分かってくださるんですか?」
「それが“推し”の概念だからです」
悟り顔で掌を向ける忠子の姿は、由衣子からは有り難い観音様のように見えたという。
「分かりました。このことは秘密にしておきます。一緒に小袋を見つけてくれた方にだけは事情を説明させてもらいますけど、しっかり口止めはいたします。口の堅い人だから安心してくださいね」
隠れヲタクがアニメのキャラと似ているからと、こっそりジェネリック推しとしてクラスメイトの写真をスマホに保存していたとする。
お節介な友人に見つかり、悪意ではなく良かれと思ってだったとしても仲を取り持とうとされたらたまったものではない。ありがた迷惑大惨事だ。
こうして、空の小袋を探す幽霊騒動は終結した。
実害もなかったから、次々と起こる内裏の出来事に紛れて消えていくだろう。
読んでくれてありがとうございました!
『空の小袋を探す幽霊』編、これにて一段落、次回からは新エピソードに突入するとです。
引き続きよろしくお願いします!
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