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空の小袋を探す幽霊

草木も眠る丑三つ時。

しとしとと降る雨が前庭の桜と橘を濡らしている。


御所の廊下で、女が一人佇んでいる。

不審に思った蔵人くろうどが「もし、どうされました」と声をかける。


「失せもの探しをしているのです……」


今にも絶え入りそうなか細い声は可憐で、頼りない様子はいかにも儚げで保護欲をかき立てられる。


「何をお探しでしょう」

「小袋を……」

「小袋。香り袋ですかな?」


女は黙って首を振る。


「私も探して差し上げます。しかし中身が分からなければ、あなたのものか確信が持てません。何が入っているのです?」

「何も……」

「?」

「何も入っていないのです……」


夜中に一人、空の小袋を探す消え入りそうな女――


うすら寒いものが、男の背筋を駆け降りた。


「空の小袋を、探しているのです……」


女は静かに顔を上げた。

浮かぶのは悲しみ、諦念、追い詰められたような焦り、そしてその底に隠された何とも言えぬ情念……


ひぇえええええええ~……


あまりの鬼気迫る様子に男は悲鳴を上げ、ほうほうの体で逃げ出すと三日間寝込んでしまったという。



 * * *



「マジなのそれ?」

「さあ? 僕は最近スランプ気味の文車太夫ふぐるまたゆうに物語のネタになりそうな噂を持ってきただけで、真偽のほどは」


織子と理知たかちかがお茶菓子を前にのんびり談笑する傍ら、忠子は文机に突っ伏していた。


「さすがにそれは書いちゃ駄目だよね……?」

「リアルタイムではどうかと思うよ。大幅に脚色するならありかもしれないけど、お勧めはしない」


事実を元にしたフィクションが書かれることはもちろんある。


忠子が献上した竜宮の姫だって、見る人が見れば鷹臣たかおみ徳子さとこがモデルと知れる。

しかしこれは二人にとって内容的にも不都合がないものだったからで、今聞いた話は真相が知れない分、怪談として発表した場合どこが誰の障りになるか予想もつかないのだ。


忠子は滅入っていた。

書きたい気持ちはあるが、ネタがない。これは物書きとしてかなりのストレスになる。

まして忠子の物語は少なくない人々に待たれているのだ。


「……取材」


そういう結論に達したのは、気の迷いだけではなかった。



 * * *



皆が寝静まった頃、忠子は手燭を持ってそっと局を抜け出した。


謎の女を目撃したのは蔵人だと聞いている。彼らの詰め所である蔵人所町屋は飛香舎ひぎょうしゃと同じく内裏の西側だ。


(まずは西側から歩き回ってみようかな。あまり人が来ないけど、通り道にしそうなところ……)


それにしても静かだ。

背後から聞こえるさやさやという響きが自分が衣を引きずる音と分かっていても、誰かが後ろからついて来ているような気がする。


長い袖や裾を捌く衣擦れさえ大きく響いて、闇に潜む怪異の注意を惹いてしまいはしないかと逃げ腰になってしまう。


早くも後悔し始めた頃だった。


「もしもし……」

「ひいいっ?!」


背後からの低くくぐもった声に振り返るが、蝋燭の灯りが照らす範囲には人影も何もない。

基本的に憶病な忠子は顔面蒼白で小さな炎に残像が見えるほど震えていた。


「女性がこんな夜分遅くに……出歩くのは感心しませんね……」

「あ、いえ、それはその……」


このときの忠子はネタを拾いたい一心だった。

何の成果も得られずに帰りたくはない。


窮鼠猫を噛む。忠子は仁王立ちになって手燭の灯りを声のする方向へと突きつけた。

何故か吹き出されたのは、ミナミコアリクイの威嚇ポーズに似ていたからかもしれない。


「もうっ! 声作ったって駄目だからね! 出てきなさいっ!」

「バレた?」


柱の陰から、口元を扇で覆った理知が光の中へと進み出る。

動きやすそうな直衣に太刀を佩いた姿は、文官の仕事中とも誰かのところに忍んでいく風にも見えなかった。


「私が理知の声を聞き違えるわけないじゃん! 分かるよ」

「それと同じぐらい、君が何を考えるかぐらいお見通しなんだからね」

「うっ……張り込んでたの?」

「さっき来たとこ。取材するなら一番出ると言われるこの時間、でも怖い……そんなところデショ」

「……大当たり、です……」


行動パターンを完全に読まれていて、別に悪いことはしていないのに思わず小さくなる忠子だった。


「本当に幽霊なんていると思ってるわけ?」

「理知はいないと思ってるの?」

「いるわけないデショ。見間違いとか光の加減とか、片付け忘れたススキだよ」


即答である。

この辺りのドライさは平安人として非常識だ。


「で、でもっ! 蔵人さんは言葉を交わしてるんだよ? 自然現象と会話できる?」

「ふうん? だから、それを確かめに来たってわけ?」

「うん……そりゃ簡単に見つかるとは思わないよ。でも怖い話書くときに、舞台になる場所の雰囲気を実際に体験してるのとしてないのとでは全然違うし……」

「そういうもんなの?」


忠子は静かにうなずく。


「私、凡才だから。想像だけじゃ書くのに限界があるんだよ。見て書かないと」

「君の作家根性には頭が下がるよね。いいよ、付き合ってあげる」


しばらくそのまま固まってしまった忠子に、理知の方が首を傾げる。


「何?」

「いいの?!」

「言ったじゃん、こんな時間に女が一人で出歩くもんじゃないって。でも君のことだから、局まで送ったってまた抜け出すよね。だったら目の届くところで調査してもらった方がまし」

「ありがとう、理知! 良かったあ、本当は凄く怖かったんだ。理知が来てくれるなら安心して取材できるよ」


「じゃ、行こうか」

「行こう」


そういうことになった。


読んでくれてありがとうございました!


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