理知が黙っているはずもなく
藤原貴照は苛立っていた。
「あの小娘……内裏に足を踏み入れるのも汚らわしい不美人の分際でお高くとまりおって」
藤原とは言え貴照の父の代で見事に傾き、子供の頃は裕福だったがどんどん家財や屋敷を売らなければ生活が立ち行かなくなった。
返り咲こうと必死になるが落ち目の藤原家などイキっていた頃の恨みもあり誰も相手にしてはくれない。
だから文車太夫に目をつけた。
王子と姫が結ばれる夢見がちな物語ばかり書いているのだからお姫様願望があり、しかし容姿はパッとしないからモテたこともない喪女だろう。身分も低いから多少強引なことをしても大目に見てもらえる。
適当に踏み台にして飛香舎に取り入り、身分も容姿ももっとレベルの高い女房に顔を繋げさえすれば、自分は顔立ちも整っているし気も利いている。女御は無理かもしれないが必ず有力な貴族の目に留まり、高い地位に登れる。
そのはずだったのに。
「おい聞いたか、貴照殿の話」
「飛香舎に忍び込んで付け火をしようとしたという? まさか……」
「気持ちのいい男ではないが、そこまでの度胸があるとは思えんな」
「そうだな、だが……」
人の口に戸は立てられぬ。そんな噂が聞くともなしに聞こえてきて、立ち話をしている公達は貴照の姿を見ると話を切り上げてそそくさと解散していく日が続いた。
親しいと思っていた遊び友達も飛び火してはかなわないと思ったか、誘いもめっきりなくなってしまった。
人の噂など気にしない者もいることはいるが。
「貴照様、こちらにおられたんですか。書類が戻ってきましたよ」
理知は無神経と言うか剛の者と言おうか、噂などどこ吹く風で前と態度は変わらない。前から塩対応ではあるが。
貴照は理知が嫌いだ。
昇殿は同じ年の謂わば同期、家柄は自分の方がちょっとだけ上だが、仕事ができてめきめきと地位を上げ今では埋めようのない差がついてしまっている。
それにあの文車太夫の幼馴染みということで飛香舎にも気安く出入りを許され、女房たちに大人気なのはもちろん徳子の覚えもめでたいらしい。
それを鼻にかけないところがまた憎らしいのだ。女に騒がれるのには慣れ切ってるとでも言うつもりか。
確かに今風のあか抜けた容姿だが、自分の方がずっと古式ゆかしき高貴な顔立ちをした美男子だ。
「詰め所にいてもらわないと困ります」
「いるときにその日の分の仕事はしているのだから構わないでおじゃ。サボっているような言い方はやめてもらおうか」
書類を理知の手からひったくって目を通す。白眼視されている男にとって詰め所の居心地がどんなに悪いか、どれだけ自分の雅で繊細な神経をすり減らすか、仕事だけが取り柄の無神経男に分かるはずがない。
書いた覚えのない書き込みに手が止まる。致命的な間違いが訂正されていた。この非常識なほど美しい文字は当代一の書家としても名を上げている理知のものだ。
ほんの数文字なのに、決して下手な方ではない自分の字が耕した畑のように荒いものに見えてしまう。
「お探ししましたが詰め所におられなかったもので、失礼ながら勝手に手を入れました」
「ふん! 余計なことを。文車太夫と言いお前と言い、粗探しが得意のようでおじゃるな」
「恐れ入ります」
しれっとあしらって踵を返した理知だったが、数歩進んでから言い忘れた体で振り返る。
「そうそう、文車太夫に興味がおありなら奇襲しても無駄ですよ。まずはきちんと文をつけるのをお勧めします。太夫は自分に向けられる好意にとことん鈍いですから、どうして彼女に興味があるのか率直に書かなきゃ伝わりません。誠実な気質ですから礼を尽くしてくる相手は決して悪いようにはしませんよ」
「な、な、なっ……!」
周囲の耳目が一斉に集まったのが分かった。正確には耳だけだが。
誰もが素知らぬ振りをしながら、ドキドキハラハラ聞き耳を立てている。
(こやつ、わざと距離を取ってから言ったな……!)
二人で向かい合って話すより周囲も聞き取りやすい。加えて理知は良く通る澄んだ声の持ち主だ。
「これは異なことを? まるで私が文車太夫に袖にされたような言いようではないか」
「違うんですか?」
プライドを傷つけられ、潜めていた声が一オクターブ跳ね上がった。
「私は美女に不自由していないでおじゃる! あのようなつい先日まで内裏も知らなかった、田舎臭い、見た目もパッとしない、身分賤しい女房などに興味はないわ。物語などという取るに足らない絵空事ばかり書き散らして、貴重な紙の無駄と苦々しく思っているぐらいだ」
「その物語を、飛香舎の女御は好んで読んでいらっしゃるのですが?」
被せ気味に返された声の温度は富士の氷室より冷たく、周囲も凍りついた。
「ですが確かに昨今の紙の消費量は増えていますね。僕にはない視点でした。貴照様、貴重なご指摘をありがとうございます。では早速具体的にどれぐらい増えているか調査をして図書寮に具申をいたしましょう」
「たっ……理知殿?」
「僕は仕事が早いのが取り柄なんです」
「理知殿は仕事を抱え込みすぎでおじゃるぞ! わ、私が気づいたこと故に私がやるのが筋である」
「そうですか? また手柄を上げて出世したかったんですが、残念です」
そのときの理知は輝くような満面の笑みだったと言う。
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