放火魔? 強姦魔? 創作への冒涜は許すべからざる悪!
考えすぎて頭から火を噴きそうになり、少し外の空気を吸おうと外に出てみた。
頭を使い過ぎで注意力散漫になっていたのかもしれない。庭園に続く人目の切れた廊下で突然ただでさえ重たい着物の袖を強く引かれてついよろめいた。
「きゃ……っ!」
そのまま、近くの部屋に引きずり込まれる。
(誰か……!)
緋袴の裾を踏んで転んだ上に圧し掛かられ、叫ぶ前にかさついた手で口を塞がれていた。香に罪はないのだが、焚き染めすぎなのか甘くくどすぎて目が痛い。二十一世紀ならスメハラである。
忠子を連れ込んだのは顔を知らない貴族の青年だった。不細工ではないが、パッと見の印象は「中途半端なくせにイケメンぶってる厄介なタイプ」だった。
(やだ! 痴漢だ! 怖い怖い怖い、怖いよう!!)
「お静かに……」
猫なで声にゾッとする。やっている方はロマンチックなつもりだろうが、やられた方にしてみればただひたすら気持ち悪いだけだ。
レイプ犯の情状酌量というこの世に最も必要ないものの一つに、嫌なら女も本気で抵抗したはずなんてふざけた言い草があるが、実際に自分より力が強い者に暴力で来られたらあまりの恐ろしさに全部吹っ飛ぶのである。
そう、抵抗すら。
忠子もただ、ガタガタ震えながら見開いた目で男を見上げることしかできなかった。
男は調子に乗ってキモさマシマシの猫なで声で続ける。
「怖がることはない。お前は私が分からないかもしれないが、私は知っておるぞ。以前関白様のお屋敷の酒宴で垣間見たことがある。そのときから狙ってたでおじゃる」
(嘘つけ!)
そう言っておけば大体は当てはまる、占いみたいなお約束だ。
女房が出入りの公達とそういう関係になるのがほぼ当たり前と頭では知っているが、実際自分の身に降りかかるとは思わなかった。しかもこんな無礼失礼極まりないやり方で。
「さあ目を閉じて、寝たふりをしておくれ。私がいばらの姫や白雪の姫の王子になってあげよう」
(ああいうのが好きなんだろう?)
言外にそう言われているのがはっきりと分かったから、恐怖を怒りが凌駕した。
(こいつ、AVやエロマンガを本気にしてるタイプだ! フィクションと現実の区別がつかない最低野郎だ! すべての創作に対する冒涜者だ! 万死に値する、許すべからざる、悪ッ!)
成敗せずばなるまい。
視界がなくなるのは本気で恐ろしかったが、なけなしの勇気を振り絞って瞼を下ろした。
ギュッと目を閉じるといつのまにかたまっていた涙が目尻からこぼれ落ちて行く。
「泣いておるのか? これから別の涙を……」
陶酔した声とともに涙でも拭おうとしたのか手が口から離れた瞬間。
「き゛い゛や゛あ゛ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
自分でも若い女の口から出たとは信じたくない轟音がとどろいた。
さっきまで怖くて声も出なかったが、一度叫んでしまえばこっちのもの。
「火事だあああああー! 放火だあああああー!!」
不自由ながらに手足を振り回し、声の限りに叫ぶ。「あれ、誰か……」などと言っても恋のアバンチュールは見て見ぬふり、もとい聞いて聞かぬふりの宮廷ではあるが火事は一大事。木造建築だからよく燃えてしまう。必ず誰か来てくれる。
「……っ、この女! おとなしくせい! 私を誰だと……」
「是非お名乗りくださいな! 飛香舎総出で放火魔だって言いふらして差し上げてよ!」
自分にピンチでハッタリをかませる度胸があるとは思わなかったが、これは非常に効いたようで男は明らかに怯んだ。
「分かったらとっとと尻尾を巻いてお逃げあそばせ!」
「こここのアマ、言わせておけば」
(殴られる!)
振り上げられた手に反射的に目を閉じて身を固くした瞬間だった。
「織子様! そのようなことは下人に任せて……!」
「来るまで待ってられないわ! その間に忠子にもしものことがあったらどうするのよっ!」
淑女にあるまじき大声とはしたない足音が聞こえてきたが、衣を引きずっているからその速度は遅い。
男は織子の名前に震え上がり、伏せた顔を袖で隠して転がるように部屋を飛び出した。
「あいつが放火魔なの?! 誰か追いなさい!」
織子の号令一下、駆けつけてきた下人たちが御用御用とばかりに曲者を追って行く。
「忠子、無事!?」
部屋に踏み込んだ織子はまず盛大に顔をしかめた。
「何よこの悪趣味な香! 気持ち悪い!」
簾を上げ換気が済んでようやく口が利けるようになる。
「わわ、わわわっ……すみませ、ひいいい!」
「いいわよそんなの! それより怪我はない?」
「織子様が来てくださいましたから……本当にありがとうございま……あれ?」
気が抜けたせいだろうか。涙が溢れてきた。もう怖くはないし痛いところもないのに零れて止まらない。
そんな忠子を、織子はそっと抱き寄せた。
「怖かったのね。もう大丈夫よ。あたしがいる限り、あんたにも飛香舎の誰にも手出しはさせないわ。叔母様も、皆も、あたしが守ってあげる。だから……ね、泣いていいよ」
泣かなくてもいいよ、ではなかった。
いつもは実年齢より幼いぐらいのやりたい放題の姫君なのに、今の包容力は聖母のようだった。
「織子様……」
そして泣いていいという言葉が本当は誰に向けられたのかも、薄い胸に顔を埋めていれば分かった。
徳子様。
不本意な入内をしても涙ひとつ零さず、完璧な女御として優雅に振る舞うあの人に向けられたものだ。
(この人も、徳子様が大好きなのだ)
同じ人を愛し、その人を助けたいと思う気持ちで繋がっている。これは友情だろうか、それとも同志愛なのだろうか。
自分たちの心が一つになったのを、忠子は確かに感じた。
読んでくれてありがとうございました!
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