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言われた通りに昼食の席だけ顔を出すようにした。
昼の時間帯なら顔を合わせるのは基本的に母さんだけで、かなり怒られたけど「忙しいから」と誤魔化した。結果、夜更けに城に帰り日が昇るまえには研究所の棟へと向かい、そして昼の一時また城に戻るという生活。少々面倒くさいけど仕方ない。
それ以外の時間は、時折突撃してくる兄弟たち(主に弟妹)を避ける為に、棟に自分にしか入れない空間を作って、大半はそこに籠るようになった。
一応最低限の約束は守っているのだから文句はないはずだ。
城での昼食を終えて研究棟へ戻る時、中庭のざわめきに窓から下を眺めると、前線へと出るだろう兵士たちの姿があった。
苦さと沸き起こる罪悪感に急いで視線を外そうとして、途中見つけた姿に俺は動きを止めた。
大柄な兵士たちに囲まれているので余計に目立つ小さな体。あれから髪が幾らか伸びたせいか金パツの根元に本来の黒髪が見下ろせた。
マドカの、その顔はここからは見えない。
俺は窓枠に置いた手にぐっと体重をかけようとして、
( ……何、やってんだ…… )
と、自嘲する。
身を乗り出して? 声をかける?
いや、馬鹿かよ?
そういった衝動に駆られないようにマドカを避けてきたと言うのに。
そしてもう一人。同じく避けていた長兄が今度は視界の中に現れて。
マドカに声をかけたのだろう。彼女が振り返り、視線がこちらの建物へと流れそうになり咄嗟に窓枠の下へと身を伏せた。
「はは、ホント何やっての? 俺……」
体を返し、壁に背を預け膝を抱える。
「……カッコ悪ぃ…」
でも、笑い合う二人を見なくてちょっとホッとしている。
しばらくその格好のままでいたら、かける声があった。
「……ジョシュ? どうかしたの…?」
しまった……。ちょっと城に長居し過ぎたみたいだ。
どうしようかと逡巡してる間に、艶やかな麗しい声は再び「ジョシュア?」と呼び。
俺は仕方ないと、俯けていた顔をあげて立ち上がると、綺麗に弓を描く眉に微かにシワを寄せてこちらを見る美しい姉に、「何でもないよ」と首を振った。
「心配しないで、うーん……、ちょっとお昼を食べ過ぎただけ」
明らかに嘘だとわかる返答に、姉のローデリアは眉間のシワを少し深くしただけで改めて問うことはなく。話を切り替え、続ける。
「ちゃんとご飯は食べてるのね」
「食べてるよ」
「ちゃんと寝てる?」
「寝てる………ってハハ、姉さん、母さんと同じこと聞いてるよ」
「姿を見せないから心配してるんでしょ!」
「あ、うん、ごめん……」
姉は一度だけ語尾を強めキッと俺を咎めるように見た。だけど素直に謝った俺に、空色の瞳を緩めこちらへと近づくと、背後の、さっきまで俺が見ていた窓の外へと視線を降ろした。
その視線の先には二人の姿が見えているはずだ。
そちらを向くことが出来ない俺は姉の気配を背中で読む。
何か、声をかけるつもりなのだろうか?
でもローデリアはしばらく無言を貫いた後、唐突に「ハァ……」と息を吐いた。
……何気に、俺の側で兄弟たちはため息を零すことが多い。理由はわかるっちゃーわかるんだけど。
なら構わなきゃいいのに。とも思う。
窓から身を離した姉は俺の正面へと回り込むと、誰もが見惚れるだろう、美しく完成された微笑みを浮かべて言う。
「ねぇジョシュ、何があったのかとかは聞かないけど、自分の中だけで判断して完結させてしまっては本当のことにはたどり着けないわよ?」
話しだしから後半の流れに俺は首を捻る。
「姉さんが何を言ってるのかわからないけど…、でもその本当が自分にとって最良とは限らないだろ? それならば知らなくてもいいって思う」
「ふーん…、なるほどねぇ。 ジョシュらしいといえばらしいけど……。 相手も、貴方と同じとは限らないわよね?」
「………何?」
「うん、まぁいいわ。わたしは取りあえずは退散するわね。 ジョシュは………、そうね、少しは揉まれなさい」
「………もま?」
揉まれる? 何のことだ?
更に首を捻る俺に、姉は視線をこちらの背後へと一瞬流して。また俺を見るとフフフと笑って、「じゃあ、頑張ってね」と優雅に手を振った。
嫌な――、予感しかない。
とは言っても、本当は嫌ではないこと。
けど。そうと認めてはダメだ。
俺は急いでその場を立ち去ろうとして。
「―――ジョシュアっ!!」
背後からかけられた息せき切った声に、足が止まった。
早く立ち去らなければならないのに。
縫い止められたように足は動かない。
( おい……っ、 動けよっ! 早く! )
焦る思いは無視され、体は裏切りを決め込む。 そうこうしているうちに、軽い足音が迫り、乱れた呼吸が背中の直ぐ後ろに来た。
「…やっと…、捕まえた……っ」
粗い息を挟むその言葉は物理的にでもあり、グイッと腕を引かれて強制的に振り向かされた。
膝に片手を付き少し屈んで息を整えるマドカは黒い瞳で俺を見上げる。
そこに宿るのは怒りだ。
……うん、めちゃくちゃ怒ってる。
( そりゃ、あからさまに避けてたからね )
「ホント……、ずっと避けやがって…っ」
こちらが考えてた通りの言葉を口にして、マドカは掴んだ俺の腕を軸にして勢いよく体を起こした。動かなかったはずの俺の足がよろめく。
引き寄せるマドカの体と倒れそうになった俺の体、正面でぶつかりそうになって慌てて踏ん張る。 うん、よく頑張った俺の背筋。
大して鍛えてないので厚みも横幅もあるわけではないけど、日本人基準で言えば十分な体格の俺とぶつかれば、マドカの被害の方が大きい。
というよりも、今は彼女と触れ合うことは極力避けたい。出来ればこんなふうに顔を合わせることも。
力で言えば明らかに勝っているのだから掴まれた腕など振り払って逃げればいい。
なのにそれが出来ない俺の弱さ。
心の何処かで、久しぶりにマドカの会えたことに、喜びを感じている自分がいるから。
そんな俺の心情など知るよしもなく、関係もなく。マドカはぐっと身を寄せ俺を睨む。
「理由を聞かせろよ!」
「…………理由…?」
「何で避けてた!?」
「…………避けて、なんかないよ、忙しかっただけ」
「――はっ!」
穏便な解答は、一瞬であしらわれた。
「っ…ざんけなよ、テメェ…! お前がアタシの先生なんだろっ! 勝手に生徒を見捨てんじゃねーよ!!」
……見捨てる…?
よく言う。最終的に捨てられる側はこちらだろう。
選ぶ側であり選ばれる側な頂点とその選択肢にも入らない底辺な俺。結果なんて目に見えてるじゃないか。
心の奥がザワめく。
何で俺が糾弾されるんだ?
マドカが兄さんの為に頑張りたいと言ったのだ。その兄さんが代わりとなったのだから文句を言われる筋合いはない。
ザワめきが苛立ちになる。
「俺が教えることなんてもうないだろ。アルバート兄さんもいるんだし、マドカはもう十分に強いよ」
「……全然見てないくせに分かるのかよ…」
「俺は人の魔力を読むのとか得意だからね」
「ンだよ、その後だしは?」
「別にマドカに話す必要のないことだし」
募る苛立ちに突き放すように言えば、マドカはぐっと唇を噛んだ。 黒い瞳には怒りとはまた別の色が見えたが俺はそれから視線を外す。
「ごめん忙しいから、もう行くね」
信じてもらえなくても、現状一番妥当であり穏便な言い訳をして。緩んだ拘束に、まだ掴まれたままだった自分の腕を取り返した俺はくるりと背を向けた。
「………逃げるのかよ…っ」
背後から小さく咎める声。
でも今度はそれに足を止められることはなく。俺は転移の術を練る。
魔法を使うことは城内では禁止されている。でもそれを破ってでも今はここから早く去りたかった。
「アタシは――っ、」
彼女の声から、彼女自身から。
早く離れたかった。
自分の中のドス黒い感情が吹き出す前に。
「ジョシュア!!」
一際大きな、悲痛にも聞こえる声すら振り払って。
言われた通り、俺はマドカから逃げた。
研究所の棟の自分の部屋に戻っても、その黒々とした感情を押さえ込むことが出来ず。 代わりに吹き出した魔力で部屋の中は燦々たる有り様になった。
自分の張った結界のお陰でその魔力が外に漏れ出ることはなかったけども。
嵐の去った後のような有り様の部屋の中央に立ち尽くす。籠っている間に書き上げていた新しい魔法理論の草案も足元でめちゃくちゃになっている。
「……あーあ…、三日間の集大成が…」
その光景を見て、大した感慨もなく呟く。
戦場に立てない弱い自分なりに、でも出来ることはやろうと頑張ったものだったけど、もうどうでもいいかと思った。
だって、強く正しく立派な兄弟たちがいて、今は十分な力をつけた聖女がいる。なら別に自分など必要ないじゃないか。
「はは…、今さら気づくとか…」
なんて馬鹿な俺。
全部が、もうどうでもよくなった。
黒い感情が俺の心の中の全てを染め上げたように澱む。まるで瘴気の溜まりのようだ。
魔物を生み出す瘴気の渦。なら俺の心の中から生まれるものはなんなのか。
俺はその場に大の字に寝転んだ。
今は本当に全てがもうでもいい。
渦巻く感情をあえて呼ぶとすれば、空虚であり、虚無であり。でも奥底には、憎しみ、妬み、僻み、怒り、悲しみ、ありとあらゆる負の感情。それこそ、感情だけなら魔王にでもなれそうだ。
「聖女に……、マドカに倒されるなら、本望かも…」と小さく笑って、閉じた目の上に腕を置く。
『アタシは――』と最後に、何か言おうとしていた切羽詰まったマドカの声。
何だったんだろう…?
でも直ぐにそんな考えに自嘲が浮かぶ。
( 馬鹿だな…もう関係ない。そう、俺には関係ない )
そして俺はまた部屋に籠った。
今度は完全なる隔絶。黒く溢れ出た感情の魔力で幾重にも囲う、繭のように。
薄暗い世界で半分眠ってるような幾日か。
不思議なことに水も食べ物も取ることなく俺は生きている。
いや、もしかして死んでいるのか?
………ああ、どちらでもいいか。
ここは誰もいない。心をザワめかすものがないからとても静かだ。
……―――いらない?
( うん、いらない )
―――何も?
( ………何も )
―――なら、壊せばいい
( ………壊す…? )
―――いらないのなら壊せばいい
「壊……、す……」
―――そうだ、壊してしまえ
―――全て壊してしまえ
―――お前にはその力がある
―――お前はオレと、
「 ジョシュア!! 」
「………………―――マドカ?」
微睡む意識が一気に覚醒する。
それを促すように飛び込んできた声はマドカのものだ。俺は荒れ果てたままの部屋の床からがばりと起き上がり彼女の姿を探す。
「マドカ?」
すぐ近くで聞こえたと思った声、だけど部屋の中には誰の気配もない。
気のせいか? 俺はもう一度部屋の中を見渡した。さっきまで薄暗かった部屋の中に差し込む光。今は朝なのか昼なのか、それとも暮れゆく直前か。
クゥとお腹が鳴った。急に活動を始めた体からの抗議の声。
俺自身も物凄い空腹を覚えて、仕方ないと立ち上がると部屋から外に出た。
城に戻るのも何となく何となくだったので研究所の食堂でランチ(昼だった)を取る。
「―――魔王に?」
「そう。急にこっちが襲われたんだ。ホント死ぬかと思ったわ……」
「うわー、マジか」
「王子たちは前線だしさ、後方支援の魔術部隊と聖女さまで何とか持ちこたえたんだけど…」
「だけどって……、何かあったのか?」
「うーん、聖女さまが倒れちゃったんだよねー」
「―――おい、どういうことだ!?」
戦場から戻り同僚と休憩中だった男へと、自分自身でも驚くほど強く低い声で尋ねる俺がいた。