先代猫ハイエナ
現在、我が家で暮らす猫は、私の記憶では家に上がった最初の猫である。
私が1歳頃のころ、祖父母が猫を飼っていたらしいが、私には当然記憶がない。
家に猫を上がりこませる経験と言うのはないし、そもそも動物を室内で好きにさせる行為が我が家には浸透していなかった。
先代猫も家に上げることはなかった。
父が花卉農家をしている。主にガーデニング向きの花や野菜の苗を生産販売している。何棟かのビニールハウスで暖房を入れたりして冬でも花栽培をしている。そのハウスに猫は勝手に住み着いていた。
時々、近所のハウスの中に子猫入りの箱が置き去りにされ、途方に暮れたという花農家がいた。我が家のハウスは市道から離れる農道を入るため、そういう事はなかったが道沿いのビニールハウスを持っている農家はたまらない。
先代猫はそういう仔猫とは違って、自らの意志で我が家のハウスをねぐらにしたようだった。
ある日、ハウスに行ってみると汚れた猫が丸まっていた。
お互い目が合った猫は、ゆっくりと立ち上がり私と距離をとろうとしているが動きが鈍い。見た目もかなり痩せているし、背中に怪我をしていた。毛並みも毛色も外見も悪い姿がとても哀れで、私が思わず近づいてしまったために、猫は力を振り絞って足を引きずり、ハウスの奥にいつの間にか開いていた破れ目から外へ逃げ出した。
何度も、何度も振り返り、ねぐらに未練がある顔をしているようだった。
私はなんとなく悪いことをしたような気になって、ハウスにはなるべく近づかないようにした。
朝夕が冷えるようになった頃、あの猫がいたハウスを使う時期になった。
少し前から暖房を入れたハウスに花が少し入り始めていたので、もうあの猫はいないのだろうと思っていた。
朝のウォーキングがてら、ハウスの暖房を確認してほしいと父に言われていたので、久しぶりにハウスの戸を開けてみると、あの猫が丸まっていた。
怪我が治りきっていないのか、まだ動きが鈍い。今度は走って逃げることもせず、ハウスに置かれた棚の上に登って、静かに私を見ていた。もう疲れすぎて観念したようにも見えた。
ハウスに可哀想な猫が住んでいると、父に話したが、父が行ってみるといなかったらしく、私はまたしても申し訳ないことをした気分になった。
その猫は、どうやら人がハウスに出勤してくる前に、ハウスを出て夕方ハウスに戻っているようだった。
偶然にも、朝のウォーキングでハウスを通った時、あの猫がハウスを出るところ目撃した。
相変わらずボロボロで毛色も綺麗じゃない。調べると「サビ」という毛色なのだという。サビとは言い難い。ハイエナのような毛だ。私の気配を感じたのか、一瞬見たがそのままトコトコと物置の裏に消えた。
それからどういう経緯があったのか知らないが、繁忙期の手伝いにハウスに行ってみると、3人のパートの女性とあの猫が仲良くなっていた。
どうやら、パートさん達のお弁当の残りを少し貰っているうちに、距離が縮まっていたようだ。パートさん達はこの猫がハウスに住んでいることなど知らないようで、物置の方からやってくる野良猫だと思っていたらしい。お弁当のおかずを気が向いたら食べて、どこかに帰っていると思っていたようだった。
見れば怪我は治っており、毛色は変わらないが、毛並みは大幅に改善されていた。
ハイエナのような毛色には変わりなく、眼光鋭い容姿をしているのに、声はか細く可愛らしい。
何より驚いたのが、その猫がネズミや鳥をよく捕ることだった。
時にはイタチも狩るようで、イタチの上半身を土産に咥えながらハウスにやって来て、彼女なりのおすそ分けをしてくれた。
彼女なりの誠意だろうが、半分になったイタチを差し出されるのはホラーである。
餌など人間に貰わなくとも、狩りが上手い彼女はハウスを拠点に行動するようになった。雨の日はハウスの中に出るネズミを狩ってくれたりした。ネズミは蒔いた種を掘り出して食べるので、大変助かると父は言ってはいたが、飼う気はさらさらない。しかし積極的に追い払う気もない。
いつの間にか、猫は「ハイエナのような猫」と言われ、名前がハイエナになってしまった。
ハイエナと言う名前が猫にふさわしいとは言えないが、ハイエナと呼ばれると近づいてくるようになっていた。
梅の花が咲く頃、ハイエナは姿を消した。
新しい住処を見つけたのか、それとも死んでしまったのか気にはなったが、彼女の旅立ちをホッとしていた。正直、野良猫とは言え、メスなので子供が増えると困ると思っていたので、彼女の不在に安堵した。
ところが、そろそろ桜の頃という時になって、ハイエナが再び戻ってきた。
なんと大きなお腹をして!!
そして、数日のうちに4匹の子どもを産んだ。
母となったハイエナは甲斐甲斐しく育児をした。
彼女は定期的に、子猫たちを引っ越しさせ、彼女がいな時に声を発しないように子猫に教育していた。だから普段、子猫はどこに隠されているのかわからなかった。
やがて、離乳の時期になると、ハイエナは子供たちの為に鳥やモグラを運んでくるようになった。
狩りを教え、獲物の食べ方を教えているのだろう。
このころになると、私たちも覚悟を決めた。
ハウスで暮らすにしても、これ以上、猫を増やす訳にはいかない。離乳した時点でハイエナを動物病院に入院させ避妊の処置をしてもらった。
仔猫たちは全く人間に警戒しないし、時々、貰うキャットフードをとても楽しみにしていた。
親子の行動範囲は広がり、時にはハイエナだけでどこかにお出かけすることも増えていた、そんな矢先、
ハイエナ一家は命を落としてしまった。
ある朝、我が家の玄関先でハイエナが息絶えていた。
これまで一度として自宅を訪ねたことがないハイエナが。
当時、近所に毒の餌を仕掛ける高齢女性がいたため、ハイエナには自宅に来てほしくなかった。
その毒婦の周りでは猫や野生動物が度々毒饅頭の餌食になっていた。ハイエナは毒にやられていしまったのだろうか、草を噛んでいた。
残された子猫たちの安否が気になり、ハウス内を探すが猫たちは姿を見せない。
何日も猫の好きなおやつをおいて帰りを待ったが猫たちは帰ってこなかった。
数日して、近所の農家さんが申し訳なさそうに言ったのは、
仔猫4匹が道で死んでいたから埋めてあげたという事だった。