猫も執着 人も執着
長い間、使っていたブログサイトが閉鎖されることとなった。
始めた頃は何の反応もなく、ただ日々の事を書いたり写真を載せていた。
子供の頃は日記の宿題ですら満足にできていなかったのに、大人なってから日記めいたことを始めたのである。
当初、読者は数える程度しかいなかったが、途中からある年齢層からコメントが寄せられるようになった。ほぼ花の記事が多かったから、一定の年齢層に需要があったのかもしれない。
読者が現れればやる気も多少上がってきて更新頻度も増える。
まだ若かったから多少の夜更かしをしても仕事に支障はないだろうと、根拠のない勢いでブログを綴る。
時にはフラれてしまった話も、素性が知られない気安さから思いっきり書いたこともあった。
扱う記事から読者層は圧倒的に年上であったと思う。励ましてもらったり、読者同士で繋がって記事やコメントを通して色々と教えてもらった。
ある年のこと、当時、ブログでやり取りをしていた女性がテレビに出演していた。本名は明かされていないが、ブログタイトルと使っているブログネーム、ブログ記事やデザインが一致していたので、「この人が〇〇さんなんだ!」と感動を覚えた。
ブログの書き方を中高年に指南する公共放送の番組に彼女は出演していた。
彼女のブログは日々の暮らしのこと、育てている草花の事もあったが、ミニ旅行記が好評だった。
関東の子どもの元に数年のうちに移住することが決まり、住み慣れた滋賀の思い出作りで、琵琶湖のほとりを自転車で少しずつ回って書かれたミニ旅行記だった。私も楽しみにしていた読者である。
想像はしていたがご高齢の為、琵琶湖を一周することは叶わないまま、関東へ移住という事になった時は、滋賀在住ではないのに滋賀在住の気分がして寂しく思った。
そんな風に一時期、ブログを更新することに夢中だった。
日々の不満も記事にすれば面白くなる気がして、ネタになりそうな不満を忘れないようにメモしていたこともあったのだが、本来の性分の飽き性のせいか、サボり癖が出てしまい、現在はほぼ休眠状態である。
休眠状態にしてしまっているブログではあるが、ブログサイトのサービス自体が終了するメールを受け取るといささか寂しい気持ちになった。
あと半年もすれば、長い間、綴ってきたあれやこれやも消えてしまう。大したことは書いていないが何故だか喪失感が押し寄せる。
運営側が紹介する新しいブログに引っ越せばいいだろうか、何かが失われる気がして寂しくなっているのが本音だ。ろくに更新もしなくなったくせにどの口が言うであるが。
失うと分かると急に執着心が出てくるものである。
失うことが分かると途端に執着してしまうことがある。
着ない服の処分も然り。本も、靴も、食器棚に眠るいつか使うかもしれないと押し込んでいる、プリンを入れるための容器などもそうである。確かにプリンやゼリーを作ったりしていたが、あれは何年前の話だっただろうか。残った容器を次に使う時に回すと言っていながら月日は流れた。今、棄てなければ「あれから何十年」レベルで今後も食器棚に鎮座することにもなるだろう。
他にもおびただしい数の空き瓶。
理由は忘れたが瓶が必要な時期があったのだろう。これらですら処分前提にすると惜しくなる。執着してしまう。
「いつか使う、いつか着る」と言うが、その時は来ない。
そうは言うが、一度湧き出てしまった執着はなかなか取り払えない。
自分の物にはなかなか思いを断ち切ることが難しいという点もある。
他者のものなら、一定の期間使用しなければ捨てろと冷酷に言い放てる。自分はグズグズしているくせに他者へはズケズケと言い放てる。全く人に寄り添うなんて思ってもいない身勝手な己の姿である。
茶の間の一角に愛猫ニアの猫のテントが置かれて久しい。
ニアの寝床になったり、隠れて遊ぶんじゃないかしらと思って中を整えて設置してやったが、現実は思うようにいかなかった。
年に数回はテントに入ることがあったような気がするという程度の稼働率である。
人間の都合で与えた物を猫が必ずしも喜ぶとは限らないが、このテントの稼働率は、年末のテレビ通販を見て買ってしまった掃除道具と同程度に低い。
猫に物を買い与えるときの注意点であるが、必ずしも猫が喜ぶわけではない。むしろ喜ばないと思った方がよい。
店で猫が楽しく遊んでいる玩具だと書いてあっても、うちの猫は別であると思い知らされた玩具も道具箱に突っ込まれたままである。
それなりに遊んだ玩具もあるが、猫にも「飽きる」という気持ちがあるのか、見慣れた玩具への執着はすぐに失われてしまう。
一年前によく遊んでいた玩具を取り出して遊びに誘っても、
「あんた、まだそんな物で遊んでるの。」と冷ややかに見返されるだけである。
これらの猫グッズを一切合切処分してスッキリさせようと行動を起こすと、何故だか猫が邪魔をする。
日頃、やらないことを始めた人間どもが気になるのか傍に来て作業を見つめる。
ゴミ箱から少しはみ出た玩具の一部を、前足でチョイチョイと弄って遊び始める。ゴミ箱から引き出して、これで遊んでくれと要求してくる。捨てられると察知して途端に執着が生まれたのだろうか。
その夜からニアは長年、見向きもしなかった猫テントで休むようになった。
「まだ使ってるんです」という意思表示なのだろうか。
一晩で飽きると思っていた猫テントで寝る生活が、一週間ほど続いたので我々は処分を見送った。
見送ったという事をどういう経緯で感じ取ったかは知らないが、現在その猫テントは元の場所で空き家状態である。
しかし、猫テントを動かすとニアがすっ飛んでくる。
猫にも人並みの執着があるのだろう。