髭と毛
猫を見て季節を知る。
猫は季節を教えてくれる。
寝る位置が徐々に床に近くなれば夏が近づき、敷物や椅子を独占して寝るようになると寒くなる。
大寒の頃はストーブの側の椅子に丸まって寝て、お盆の頃は和室の隅の方で一人仰向けに寝ている。
季節を感じるのは寝姿だけではない。
猫のフォルムが変化する。
秋になると徐々に体が丸みを帯びてくる。初夏の頃からはスリムになり、真夏の頃は随分とすっきりした体型になる。
春彼岸も過ぎた頃から、愛猫ニアはしきりに毛をまき散らす。
朝起きて、人が歩く風圧で廊下に灰色の埃がふわっと動く。
昨夜までなかったはずだがと思って埃を手に取ろうとすると、灰色の塊はフワフワと動いて逃げる。和室にいけば、灰色の塊が数個落ちていて、傍に近寄ろうとする風圧だけで塊は逃げてゆく。
猫を始めた頃、それが生え変わりで抜けた猫の毛だと気が付くまで時間を要した。
三毛猫のニアの毛に灰色なんてないから、埃の塊がどこからやって来たか気になって仕方がなかった。ニアが首周りをしきりに掻いているのを見た時に合点がいった。大量の毛がニアの首から抜け落ちて空中を舞い、畳の上に灰色の埃の塊となって落ちてゆく。
三毛猫のニアの毛は、黒と白と茶なのにニアの首元から落ちてきた毛は灰色であった。時には真っ白の毛の塊も床をフワフワと彷徨っている。きっと腹の毛がごっそり抜けたのだろう。毛根のような皮膚のようなものをつけたまま落ちている。
茶と黒と白の毛が集まって灰色になる。そこらにあるような埃の色となって。
絵具を三色混ぜれば灰色や黒に近い色になる。同じことが猫の毛三色でもみられる。埃は様々な色をした、繊維や塵などが集まってあの色を作っているのだ。構成している一つ一つに注目すれば、好みの色の繊維があるはずだ。
さらにこの時期に注意をしないといけないのは、うっかり腰を下ろした所が、昨夜の猫の寝場所だったりすると、せっかく着替えた服は悲惨なことになる。抜けた毛がびっしりと服に移ることもある。
気温の変化によって寝場所を転々とする今の時期は、ニアの寝床が定まっていない。
灰色の抜け毛のくせに、黒い服に移った毛は白で目立つ。
必死になって取ることもあるが、着替える羽目になることもある。
ニアが足元にすり寄っただけで、大量の毛が足元についてしまう。「毛を抜くな!」と言ってしまって、ニアに「お前も髪の毛も抜け落ちるなよ」と言わんばかりの鋭い眼光で睨まれる。
毛は厄介だが、猫の髭が落ちていると嬉しくなる。
ニアの顔に誇らしく生えている白い髭が、抜けているのを見つけると手に取り感触を楽しむ。
人間の髪の毛よりだいぶ硬い。根元の方は硬く芯がある。シャープペンシルの芯ようでもあるし、プラスチック製の素材のようでもあり、布地を貫通できる。
落ちた猫の髭を大事に拾ってしばし遊ぶ。
ニアの顔に生えている白い髭を、抜け落ちた髭で触れて遊ぶ。くすぐったくて眠りの邪魔になると、前足で顔を隠したり、うつ伏せになり揃えた前足の間に顔をうずめて寝る。土下座しているように見える『ごめん寝』の寝相である。
しばし遊んだ白い髭を巣のまま捨てるのは忍びなくて、髭をキャラメルの箱に収めている。この髭は私とニアの日々の思い出。床にできた新しい傷を猫の髭と見間違って拾おうとしたことだって何度もある。
髭は愛しさの証。毛は厄介の証。厄介も面倒も愛しさの証。
私は猫の首が好きだ。
首から背中にかけての曲線を美しく思う。
後ろからきつく抱きしめたくなる。ニアにそんなことをしたら、奇声を上げられて激しく抵抗され嫌われてしまうのが分かっているから、いつも恐る恐る指で触れているだけ。それでもニアはこの上なく不機嫌になる。
後ろから見た猫の襟足は愛おしくてたまらない。
毛が嫌だと思っていても襟足には指を這わせてしまう。ニアは指を二、三度往復するくらいは触らせてくれるが、それを超えると噛みつこうとする。
もう少し暖かく季節が進んだら、ニアの首は毛が抜け落ちてすっきりとなる。
直接なでたりしたら女王様の機嫌を損ねそうなので、抜け落ちた白い髭でくすぐってやろう。